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 イレッサ薬害被害者の会

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2012年のあゆみ

12月 25日(火) 今年最後の、東京支援連絡会議が新宿御苑のスモン・公害センにおいて午後6時30分より行われました。早めに会議を切り上げて新宿3丁目の居酒屋で支援の皆さん、そして一部の弁護団と共に忘年会。今年一年も、辛いこと、苦しいことの多い一年でしたが、来年こそ、来年こそはと、長い・・、長い・・、戦いを続けて、来年こそはと解決を信じて11年目を迎える。しかし、原告の私たちには忘年もなく新年もない。

12月 19日(水) 早朝宣伝と最高裁判所への要請を行いました。午前8時15分より,支援の皆さんや弁護団、原告の27名は、凍りつくような寒さの中、最高裁判所西門前において約一時間の早朝宣伝行動を行いました。宣伝行動の後,10時より、最高裁判所内の要請会議室に入り、この日までに集まった「薬害イレッサ訴訟の公正判決を求める要請署名 (個人署名) と (団体署名)」を提出いたしました。また、要請では、参加していただいた薬剤師の方、公害被害団体より、そして中央大学法学部の学生の方より要請書、上申書を提出、適正な審理と早期の解決を訴えました。
イレッサ訴訟の早期解決を求める2012年の行動は、この日の早朝行動と要請で終了しました。ご支援を頂きました多くの皆様、有難う御座いました。

12月 17日(月) 多くの政党が乱立した衆議院議員選挙(第46回)が終り、投票率は59%にも満たないもので戦後最低だったようです。国民の多くが、どの政党、どの候補者も信じられない!! とNOを示し棄権への勇気? を示した表れかも知れません。
党派別当選者数・・ 自民党118⇒294 民主党230⇒57 日本維新の会11⇒54 公明党21⇒31 
みんなの党8⇒18 日本未来の党62⇒9 日本共産党9⇒8 社民党5⇒2 
国民新党2⇒1 新党大地3⇒1 新党日本1⇒0 新党改革0⇒0 
諸派・無所属9⇒5

12月 16日(日) 今日は、午前7時から午後8時まで、衆議院議員と東京都知事選挙の投票日です。

12月 4日(火) 今日、衆議院選挙が公示されました。明日、5日からは期日前投票も開始されます。

11月30日(金) 神戸学院大学薬学部の依頼を受け、薬害被害と関連してイレッサの副作用被害に関するお話をさせていただきました。29日、新宿発23時30分の高速バスに乗車、大阪駅には翌朝7時40分に到着、一件の用を済ませて三宮へ。神戸学院大学には12時半に入って講義は1時15分から約90分でしたが、その後・出席の250人の学生の皆さんによる報告発表会が5時まで、長時間に亘る授業でした。帰路は再び、大阪駅から高速バスを利用。朝7時過ぎ一睡も出来ないままに月が替わった12月1日の新宿に到着、さすがに疲れました。

11月24日(土) 第14回・薬害根絶フォーラムが、広島大学霞キャンパスにおいて開催されました。

11月18日(日) 関東地方に木枯らし一号が吹きました。天気予報で、木枯らしが吹きましたと聞いて、そうなんだ・・と思ってしまうくらい、まったく寒さを感じない冬の到来です。

11月16日(金) 本日、衆議院が解散されました。漸く解散です。・・日本国憲法第7条により衆議院を解散する・・読み上げる声に張りもなく、万歳! 万歳! の声も虚しく聞こえました。棚ボタ期待で、16もの政党が乱立しています。次の議員バッチを求めて、民主党から他の政党に移るもの、嫁ぎ先を探し回るもの大変なサバイバルです。マスコミは、第3極を盛んに報道しているが、第1も、第2も、通電が悪くて不具合が生じてばかりだから、第3極に期待としてのこの騒ぎなのだろうか?。・・森を見て木をみない?、それとも木を見て森を見ないのか・・。

11月14日(水) 午後6時より午後8時過ぎまで、東京・新宿御苑のスモン公害センターにおいて弁護団との打ち合わせ会議に参加しました。

11月 5日(月) 6日に金沢で行う講演のために、5日午後11時10分に東京駅八重洲南口を発車する高速バスに乗車、翌朝7時40分に金沢駅に到着、すぐに朝食をとって身支度を整え10時30分から約90分の講演のために会場へ急ぎました。午前中の講演が無事終了して午後4時30分から再び90分の講演開始まで少し時間が空きましたので、金沢の街を散策、しかし時折の激しい雷雨には閉口しました。2回目の講演が終了したのは午後6時、一日で3時間を一人で喋り続けるのは、喉も身体も疲れきった一日でした。

10月 31日(水) 「司法に国民の風を吹かせよう・Part22=風の会」、が東京・新宿区四谷の主婦会館プラザエフ3階において 13:00〜16:30 開催されました。今回は、司法の現状と課題を検証すると題して、前・日弁連会長の宇都宮健児弁護士による「司法改革の評価と今後の運動・給費制の行方は」についての講演が行われました。・・日本の裁判官事情、ドイツの裁判官との違い、裁判官の給与体系問題、法科大学院問題、ABS問題等多岐に亘る内容でした。このあと、ビギナーズネットから活動への理解と支援等、これまでの取り組みについての状況説明がありました。訴訟関連では、首都圏アスベスト訴訟、憲法25条と生存権訴訟、大気被害者救済制度、薬害イレッサ訴訟、それぞれのこれまでの取り組みと今後について各・弁護団より報告が行われました。質疑応答では、司会者の元・主婦連会長の清水鳩子さんのご配慮で、近澤を指名していただき発言の時間をいただきましたので、イレッサ訴訟のご理解とますますのご支援をお願いしました。

10月 29日(月) 早朝宣伝行動を行いました。午前8時15分より,最高裁西門付近において約一時間の早朝宣伝行動を行いました。宣伝行動の後,10時より、最高裁内の要請会議室において、支援の皆さん、弁護団、原告2名の17名で要請を行いました。

10月 28日(日) スモン公害センター設立30周年レセプションが、東京・新宿区四谷駅前のスクワール麹町3階において開かれ、参加しました。

10月 23日(火) 下書き提供問題の情報公開請求訴訟の第5回裁判終了後・・12時より、東京・弁護士会館1002号会議室において、静岡民医連の静岡健康企画の皆さん、そして薬学生の方たちが参加して、薬害イレッサ被害についての勉強会が開かれました。講師は、弁護団から関口弁護士、そして、原告から近澤が、薬害被害の問題に関して、イレッサ被害と訴訟の問題について、お話をさせていただきました。・・・勉強会が終わって、静岡民医連の静岡健康企画の皆さんと共に日比谷公園内の日比谷グリーンサロンで昼食を兼ねて懇親会を行いました。静岡健康企画の薬剤師の皆さん、静岡市で公立病院に勤務する薬剤師の方、静岡大学の学生の方たち、協立医師協同組合に勤務する薬剤師の藤竿氏、そして近澤の8名でしたが懇親というより、場所を変えての第二回勉強会になりました。時間も忘れて午後6時まで行いました。

10月 23日(火) 下書き提供問題の情報公開請求訴訟の第5回期日が11時30分〜12時、東京地裁705号法廷で開かれました。今回の期日も、多くの方が裁判を傍聴しました。

10月 22日(月) 午後6時30分より,薬害イレッサ訴訟板橋支援連絡会会議が,東京・板橋区小豆沢の小豆沢病院隣り,健康文化会組合事務所において午後8時まで行われました。原告からは近澤が,弁護団からは阿部弁護士が参加の中、これまでの行動報告、今後の活動について等話し合いました。

10月 17日(水) イレッサによる副作用被害が明るみにされて、この15日で10年を迎えます。余りの被害数の実態に、そして癌患者に対する命の軽視とも感じるさまざまな関係機関の対応に憤りを感じて、行動を始めて10年になります。この間・訴訟にも頼りました。さまざまな団体や多くの支援の皆様にもすがり、その解決と改善を願って、このイレッサの被害で亡くなった娘と共に全国各地を巡り訴えて来ましたがまだ、イレッサの副作用による死亡の原因と実態については何も解決はありません。必ずや事の真相が解明されて次の社会へと生かされると信じてはいるのですが、是までの薬害被害の歴史から見ると、後・10年はかかるのでしょうか、「イレッサ薬害被害の実態と生かされた教訓」などと言った論文が出されるのは。その時までは、多分私は生きていることは出来ないでしょうから拝見することは出来ません。そんなことを思いながら、10年の節目に、一束の花と線香に思いを託して、亡き娘との会話が出来るのを楽しみに墓参。

10月 14日(日) 2004年9月10日にホームページを開設して8年を迎えました。私たちの行動・活動に対して理解して訪れていただいた方たち。私たちの活動には理解は出来ない方たち、どちらでもないがテレビや新聞などで時々報道されているイレッサの副作用被害とはどのような事なのかについて知りたい・・・などなどどの理由から多くの皆様に訪れていただきき、本日で23万アクセスを迎えました。何れにしましても、興味を持っていただき有難う御座いました。

10月 12日(金) 午後6時より、新宿・御苑にあるスモン公害センターにおいて、薬害イレッサ東京支援連絡会が開かれ参加しました。

10月 10日(水) 午前10時より、弁護団、東京支援連、原告の近澤が参加して団体要請を行いました。

10月 3日(水) 10年前の今日、自宅においてイレッサを服用していた娘の三津子が、定期の診察のために出掛けたところ、肺に気になる影があるので緊急の入院をして下さいと言われ、酸素マスクの準備など余りの物々しさに驚き、不安一杯の悲しそうな娘の顔が昨日のことのように浮かんできます。医師からのはっきりとした説明もなく、感染症か結核の疑いがあるので取り敢えず検査をしますとの説明だけ。この日から2週間、何故、あんなにも悲惨で地獄のような経験をしながら、ベッドに座ったまま息を詰まらせ亡くなって逝かなければならなかったのか。あの日から時間は止まっています。

9月 26日(水) 早朝宣伝行動を行いました。午前8時15分より,最高裁西門付近において約一時間の早朝宣伝行動を行い,公正で早期の解決をと訴えました。宣伝行動の後,11時より一時間,最高裁の要請会議室において要請を行いました。

9月 20日(木) すべての争議の全面解決を!! のスローガンの下,22争議組合、争議団と支援団体が参加した東京地評争議支援総行動が行われました。この総行動に、薬害イレッサ訴訟も支援を受けましたので、イレッサ訴訟支援連絡会、弁護団の皆さん、原告からは近澤が参加して午前9時過ぎからの行動、東京駅・日本橋口で宣伝行動と訴えを行いました。この後、霞ヶ関の法務省、そして東京地裁・高裁前での全体集会では約300人ほどの参加者が夫々の所属、訴えるのぼり旗を掲げて争議の公正な判断による早期解決をと訴えました。この日の行動に、イレッサ訴訟支援関係からは約20人が参加しました。

9月 3日(月) 午後6時30分より,薬害イレッサ訴訟板橋支援連絡会会議が,東京・板橋区小豆沢の小豆沢病院隣り,健康文化会組合事務所において午後8時まで行われました。原告からは近澤が,弁護団からは阿部弁護士が参加,事務局長の千田さんより,これまでの行動報告,そして今後のイレッサ訴訟の取り組みについては,各・団体への要請と署名集めなどが話し合われました。

8月 27日(月) 午前10:30〜,霞ヶ関・弁護士会館においてお昼まで打ち合わせを行いました。

8月 27日(月) 午前10時より,厚労省出に向き,「抗がん剤による副作用被害救済制度の早期創設を求める要望書」を厚労省1階共用会議室において対応いただいた室長に提出。その後,この制度の必要性について約15分程度でしたが説明を行い意見交換いたしました。

8月 24日(金) 薬害根絶デーが開催されました。今年で13回目を迎えます。薬害エイズの和解による解決と被害者の悔しさを忘れてはならないと,厚労省の中庭に記念碑が建てられた1999年8月24日を記念して毎年この日を薬害根絶デーとして開催が続けられてきました。今年も猛暑の中を厚労省前に200人を超える人たちが参加して薬害の根絶を訴えました。
この日24日は,イレッサ訴訟の宣伝行動である最高裁判所前行動と重なってしまい,8時から支援のみなさんや弁護団,原告からは近澤が参加して永田町の最高裁前で一時間の訴えを行い,その後,薬害根絶デーの一連の行動で,薬被連に加盟する団体で行う文部科学省交渉参加のために電車を乗り継ぎ虎ノ門に向かいました。午前9時の霞ヶ関はじりじりと肌に焼け付く暑さでハードな一日の幕開けでした。
お昼からは,厚労省前で行われている集会に合流,リレートークでは大勢の参加みなさんが薬害の根絶を訴えました。民主党の本多平直議員,みんなの党の川田龍平議員,共産党の高橋ちづ子議員も駆けつけ薬害の根絶を訴えていただきました。薬害被害者の団体は小宮山厚労大臣に要望書を提出,そして厚労省内会議室においての交渉では薬害根絶に向けた強い取り組みと改善を,項目別に要求いたしました。
日比谷公園内のコンベンションホールで行われた合同の集会,そして銀座・マリオン前での行動と本当に長い一日でしたが,今年も,大勢の学生の皆さんが,数ヶ月も前からの準備段階から実行委員として参加していただき,支えて頂きました。本当に有難うございました。

8月 7日(火) 作・6日,「抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会」は,具体的な検討や提案がまったくなされないままに審議が終了しました。最愛の娘・三津子が使用したイレッサの被害をきっかけとして,せめて,不適切な使用による死亡被害に対しては救済制度の中での補償は必要ではないかと,2005年ころより,厚労省交渉の中で,雑誌等の取材の中で,事ある毎に訴えてきましたが理解へのミゾがこんなにも深くて大きいのかと痛感。語れども語れども意見は見捨てられてきたこの積年を思い,この検討会の終了は,何とも残念でなりません。
この検討会は,薬害イレッサ訴訟の和解勧告を拒否するコメントの中で,当時の細川厚生労働大臣が,イレッサの被害にふれて,重篤な副作用等の危険も知らされず投与を受けて死亡した多くの被害者を思えば,抗がん剤を対象とする被害の救済制度については検討する必要があると言明。また次の,小宮山厚生労働大臣も,7月13日の閣議後の記者会見で,「政策上の課題と受け止め,十分に検討を尽くします」とこの制度の創設を約束して立ち上がったものです。
日本国の2大臣が,公式の場で,被害の救済制度の創設に向けた発言は,非常に大きく重いものであると受け止めて,検討委員に選ばれた各・委員の皆様には制度創設の実現に向けた審議を尽くしていただきたかったのですが,この制度の創設には真っ向反対の意見を持つ方が多く選任されてしまったのでは,前向きな審議は望むべくもありませんでした。
確かに,さまざまに難しい問題は多く含んでいました。しかし,スタートする前からこれら難問は織り込み済みの問題で,だから検討の継続は不可能と言う事にはならず,ワーキングチームを立ち上げるなど方法はありました。明日への抗がん剤治療のためには,大きなチャンスを逸してしまったといわざるを得ません。
この検討会を、より良い明日の抗癌剤医療にと活かして欲しかった。

7月 17日(火) 九州より先に関東地方で梅雨明けが宣言された。朝から気温は上がり続け群馬県館林市と隣接の埼玉県熊谷市では最高気温39度を超え,ここ,さいたま市でも焼け付くような暑さである。今日は娘の月命日ということで,午後から時間を作って墓参に出掛けたもののお墓の掃除も困難なほどに墓石が焼けている。・・どこか,涼しいところに退避してくれていると良いのだが。

7月 14日(土) 「抗癌剤による健康被害の救済に関する検討会」が今後に向けた抗がん剤による被害の救済について何一つとして見出せないままに終了しました。肺ガン治療薬イレッサによる大勢の副作用死亡被害の異常な状況を目の当たりにして,抗がん剤による副作用被害のすべてを対象とする救済は困難としても,せめて,適切な説明,処方でない治療による死亡被害については,医薬品副作用被害救済制度の中で救済されるようにするべきではないかと,娘の三津子が亡くなって以降,多くの反対は承知の上で,一人訴え続けて参りましたが,念願が叶い,昨年のイレッサ訴訟の東京地裁判決の後,細川厚労大臣が,抗がん剤にる副作用被害に関して検討会を開き審議を行うとの発言を受けて,第一回の「抗癌剤による健康被害の救済に関する検討会」が開催されたのは2011年6月27日,そして,今年・7月13日の10回目の開催で最後の検討となってしまいました。現時点での制度の創設は,さまざまな癌医療の発展の妨げになるとの結論が出され見送りと決まりました。・・・この件に関しましては多くのメディアより連絡を頂きコメントを求められました。言いたいことは喉元までいっぱい出かかりましたが,事、ここに至っては何を語っても詮無いことでしょ。
優等生的なコメントで・・ただ,残念の一言です。

7月 10日(火) 午後1時より,厚労省に対して,抗癌剤による健康被害の救済に関する検討会の継続についての要望書を提出。2011年6月27日の第一回開催から次回,7月13日の開催で10回目の検討会となりますが,13日の開催を最後として,このまま問題提起で一応の取り纏めとする動きが濃厚となっている点についての要望。提出のあと,厚労省記者クラブにおいて会見を行いました。

7月 9日(月)  先週一周間も,原発再稼働反対行動で官邸周辺は揺れに揺れた。しかし,福井の大飯原発は再稼働・そして送電が開始されて,お陰と言うことになるのだろうか・・,それぞれの家々に灯が点り不自由のない生活が送れていることは確かである。原発反対!!,再稼働反対の声は梅雨の雨に流されて、官邸の中には届かない。
諸外国に向けては,日本の国民はこんなにも原発反対を訴えたと報じられるのだろうか。日本政府は,こんなに大勢の国民が原発反対!!,再稼働は許すな!!の悲痛な声は聞きながらも,断腸の思いで国民の生活を、命を守るために再稼働に踏み切ったと,世界は野田政権を評価するのであろうか。鹿児島県知事選挙でも,条件付きで再稼働を認める候補が原発反対を訴えた候補を大差で破って当選とニュースに流れている。友好国に対して原発の再稼働を認めてもらい,見返りとして沖縄にオスプレイが届く。

7月 6日(金)  薬害イレッサ訴訟東京支援連絡会総会が、18時30分より東京・新宿区四谷・JR四ツ谷駅そばの主婦会館プラザ・エフで開催されました。民医連関係の薬剤師の方たち、主婦連元会長で現参与の清水鳩子さん、公害総行動に参加の各団体の皆さん、中央大学の学生さん等35名の皆様に参加していただき、活動報告、収支報告、今後の取り組み等の議題が話し合われました。

6月29日(金)  最高裁要請の後,午後1時〜午後3時,弁護団の木下先生とご一緒に,東京民医連企画の,イレッサに関する学習会が,東京・JR中野駅近くの健友会本部で行われましたので招かれて参加して来ました。近澤からは,この被害の拡大の実態と,理解が得られない抗がん剤死亡被害の背景を原告側から感じたお話をいたしました。例え効いている患者が何百人,何千人い.るからと,こんなに大勢の死亡被害をおこした原因と責任と究明しなければ,服用する患者の死亡は防ぎようがない,社会に対する貢献は貢献,過失による責任は責任とはっきり区別して,たとえ抗がん剤と言え,仕方がない被害と許すべきではないと説明と訴えをいたしました。参加されたのは医療に従事する皆さん全部で9名でしたが大変に素晴らしい学習会でした。

6月29日(金)  午前8時15分より,最高裁西門付近において約一時間の早朝宣伝行動を行いました。こんなに早い時間帯にも関わらず33名もの大勢の皆さんに駆けつけていただき,宣伝行動の後の最高裁の中の要請会議室においての要請でもみなさんに訴えていただきました。

6月12日(火)  「抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会」が、昨日・15時00分〜17時00分に、厚生労働省6階共用第8会議室で開催された。第一回は昨年の6月に開かれてこの回で9回目となる。続けて傍聴してきたが今回は体調の不良で傍聴の参加を見合わせた。この制度の創設については、娘がイレッサの副作用により亡くなって以降、さまざまに活動する中で、ガン医療の改善を訴える一つとしてどうしても必要な制度で前向きに使えば決してガン医療の妨げ等にはならないと事あるごとに訴え続けて来た。漸くの感で、この制度のための検討会が開催されることが決まり嬉しく感じていた。参考人として出席し意見も述べ要望書も提出しするなど大きな期待を抱いてきたのだが、開催の回を重ねる度に私の胸の中では失望が大きく膨らんでいた。
慎重な態度で進行を努める厚労省の職員や検討の中身を理解して重く受け止め進行具合を見守る傍聴人と比して、検討委員に選ばれている各・委員の方たちの緊張感のなさ。毎回、時折は笑い声の中で生ぬるい進行振りに、唖然とし、怒りがわき、そして虚しくも感じて来た。
この検討会の開催のきっかけとなったのは、イレッサによる副作用で大勢の死亡被害者が出たことがきっかけとなっているのだが、多くのガン患者がさまざまな治療の不備により思い半ばで亡くなっていった無念さは、この委員の方々には正確に伝わっていなかったようで、単に"イレッサ訴訟アレルギー"にとらわれているように感じられる。この検討会は多分・・流れることになるのではないだろうかと感じていたが、・・・そして今日、この検討会に関する記事を目にした。「社会に問題提起することで、同検討会としての議論を終わらせることになりそうだ・・・」 。時期尚早とは、このような事案では永遠でもある。・・再び私の胸の中に思いが過ぎった。"多くの人が、これで良いと思っているのならこれで良いか"。

6月 9日(土) 関東・甲信越地方が今日梅雨入りと発表されました。・・朝から細かな雨が降り続いています。ジトジトした不快なこの季節も亦楽しからずや、とは思えない雨です。

6月 6日(水) 公害総行動デーの2日目,薬害関係のヤコブとイレッサは省庁交渉として,イレッサは10時〜11時,ヤコブは11時〜12時,厚労省1階会議室において交渉が行われました。

6月 5日(火) 2005年の初参加から8年目,毎年6月の上旬に開催されている全国公害被害者総行動デー,今年も,パレードや各・省庁交渉,日比谷公会堂での集会など,全国から参加の約1,300人が,5日〜6日の2日間にわたってそれぞれの団体の皆さんが訴えを行いました。イレッサ訴訟からも,原告や弁護団,支援の皆さん約20名が参加しました。(写真スライドはこちらからご覧ください)

6月 5日(火) 薬害イレッサ西日本訴訟原告団は,5月25日に出された大阪高裁の判決を受け入れる事は出来ないと最高裁判所への上告を決意,午後5時より厚労省記者室において会見を行いました。

6月 3日(日) これまで続けられた訴訟で・またさまざまな活動でも多くのご理解と支援をして頂いている関西の医療関係の団体の方からメールが届いた。その内容は・・とんでもないことです。抗議だけで済むのだろうか?とある。はて何のことだろうかとメールを読むと,・・生存原告清水さんを「亡清水英喜」とした大阪高裁判決!!!と書かれていた。急ぎメールに指摘されている判決文のそのページをめくって調べてみると確かに,亡清水英喜は・・・,と判決文に書かれてあるではないか。私達が主張して来たイレッサの裁判では,昨年の11月に下された東京高裁判決ではあまりにも杜撰な,東京高裁への上告から判決までの期間が僅か2ヶ月余りというスピド審理で原告側敗訴の決定が下されたが,よもや大阪高裁ではしっかりと審査をしてくれたものと信じていたのに,再びの杜撰な判決文を目の当たりにして,大阪高裁の判決そのものが信じられるものでないことが証明されたのではないだろうか。こんなにも初歩的なミスが人の命を裁く裁判所で,それも高裁の判決文そのものがこのような杜撰さでは,何ともやり切れない。

5月31日(木) イレッサ裁判の大阪控訴審の判決が出されて以降,私の所には,一時鳴りを潜めていた非難の電話やメールが後を絶たない。この手の苦情?には当然であるのだが名前も住所も告げることなく,一方的に主張を述べて全く会話にはからないのである。・・・この訴訟によって,服用することが出来なくなった大勢の患者が亡くなっていると言うことを原告等は知っているのか! とその主張は共通している。これまでの薬害被害においても繰り返されてきた非難・嫌がらせではあるのだが,その内容は,・・この薬は必要としている患者がいるので被害について訴えるな!! 訴訟は中止しろ!!,と乱暴なことを言う。さまざまな手段を講じても訴えるしか術がなかった。訴えなければ被害の連鎖を止められないのはこれまでの薬害事件のすべてが物語っていることを知って欲しい。2012年3月時点のイレッサによる副作用死亡は847名と公表された。この被害の問題と責任をすり替えても何の解決にはならないと言う事だけは理解して欲しいと願っている。すべての医薬品に副作用は避けられないものである。しかし,使用する過程で大勢の患者に不利益な被害が発生した場合には,速やかに検証して拡大防止に努め,起きた被害の事実関係は明らかにするべきである。それが次の患者の命を守るためになるのだから。・・・訴訟とは,そのためのひとつの手段でもあるが,原告となった被害者の誰一人として訴訟を好むものはいないことだけは確かである。

5月29日(火) 12時30分より,衆議院第二議員会館1階多目的会議室において,薬害イレッサ訴訟高裁判決報告集会,「薬害イレッサの全面解決を求めて〜大阪高裁判決を受けて」を開催しました。大勢の国会議員の先生方に参加していただき,昨年の東京高裁に続いての今回の大阪高裁の判決に対して,あまりにも不条理な判決が下されて驚いている。これでは国民の命は守れない,国会の場で厳しく追求し解決をしていきたいと発言していただきました。
◆ご出席いただいた国会議員の先生方です。(順不同)
民主党・・川内博史先生、三宅雪子先生,初鹿明博先生,田代郁先生,橋本勉先生
みんなの党・・川田龍平先生
◆秘書の方のご出席
民主党・・平岡秀夫先生,福田衣里子先生,今野東先生,宮島大典先生,長尾敬先生,
工藤仁美先生,日本共産党・・志井和夫先生,田村智子先生

5月29日(火) 午前11時より,東京地裁705号法廷において,「薬害イレッサ下書き問題情報公開請求訴訟」第3回期日が開かれ傍聴しました。

5月26日(水) 前日の午後11時10分に大阪駅バスターミナルを出発する高速バスに乗車して新宿に到着したのは7時を少し過ぎていた。土曜日に新宿到着と言うこともあってか車内は満員である。疲れはピークに達してはいたがそのまま埼京線に乗車,ともかく自宅に急ぎ帰って横になりたかった。"泥のように疲れた"と聞くがそれがどんな疲れた様なのか良く分からなかったのだが,多分このような疲れをいうのかなと,それほど疲れきっていた。9時過ぎに帰宅して,旅の整理もそこそこにすぐさまベッドに。途中で痛みで起こされてボルタレンを一錠服用。4時間ほどの睡眠の途中電話で起こされることもなくぐっすりと寝ることが出来たのは実に有難いことではある。・・・目覚めてその後,夜に入ってからも、携帯への電話は一本だけ。8年も戦い続けた裁判の判決の翌日と言うのに,この裁判闘争の明け暮れですべての友達を失くしてしまったようだ。

5月25日(火) 西日本訴訟控訴審裁判の判決が大阪高裁で言い渡されました

5月23日(日) 2004年7月の提訴から実に8年が費やされたイレッサ訴訟の大阪高裁の判決を迎えるために,今夜,22時50分に新宿発の高速バスで大阪に向かう。大阪で行われた地裁,高裁の裁判は実に36回も開かれて,その度毎に埼玉から大阪を何度も往復して,可能な限り出廷してようやく,この判決期日で大阪での審理は全て終了する。人生という歳月を費やし,自分の事だから当然であるのだが,自費というお金を費やし,出来ることならば他人さまにはあまり見せたくなかった自分自身の内に持つ喜怒哀楽の怒哀の部分を曝け出しながら,ただ黙々と歳を重ねてきた。比較することに多少の違いはあっても,今話題となっている東京スカイツリーは2008年7月14日に着工し完成までの期間が4年弱で,これだけの大事業を成し得ている。しかし,この裁判は8年が費やされてもまだ解決しない。人の命の問題についての是非を問う裁判で,何故こんなにも年月が掛かるのかと疑問に感じながらひたすら歩き続けてきた。訴え初めて10年。裁判開始から8年を経て漸く,高裁の判決を迎える。
しかし,また通過点....。

5月17日(木) 午前8時15分より約1時間,国民救援会の支援を受ける各・訴訟中の団体の皆さんと共に,最高裁判所西門付近において早朝宣伝行動を行いました。薬害イレッサ訴訟からは,支援連の皆さん弁護団,原告等11名が参加,訴えを行いました。この後,11時より最高裁判所内の会議室において,要請を行い要請書を提出しました。
◆最高裁西門前の宣伝行動終了後,10時より国会議員への要請のために衆議院第二議員会館へ移動,お昼を挟んで午後3時過ぎまで第一,第二,参議院議員会館と手分けして要請を行いました。
◆議員要請の後,午後3時より4時まで,衆議院第二議員会館第5会議室において開催された,「薬害イレッサ問題の解決をめざす民主党議員の会」に参加。出席の議員の皆さんより,イレッサ訴訟の早期解決に向けて,大きな働きかけを行って行くと一致した意見が示され,来る,25日の大阪高裁の判決に向けて大きな励みを頂きました。

5月 9日(水) 薬害根絶デー実行委員会主催の”薬害を学ぶ連続講座”の第3回目は薬害イレッサ問題。午後6時30分より,池袋の城北法律事務所で行われました。参加者は40名を超え一番大きな会議室に立見が出るほど大勢の学生さんが参加してくれました。イレッサの副作用被害で娘を亡くした近澤より発売当時のイレッサの販売方法や広告宣伝に関する問題,また,特に臨床の現場からの誤解が多いイレッサ裁判について,誤解が生じている原因と抗がん剤治療の改革など話しを聞いていただきました。終了後・皆さんと共に懇親会へ。

5月 9日(水) 公害総行動の団体要請に参加しました。今年で37回目,全国公害被害者団体が一同に集まり6月5日〜6日の2日間開催される”公害総行動”に向けて,ご理解と参加への要請を各・団体へ行うということで,午前9時30分より新宿御苑のスモン・公害センターにそれぞれの団体の皆さんが集まって,何組かに分かれて午前中いっぱい要請に回りました。イレッサ訴訟からは近澤が参加しました。

5月 1日(火) 5月1日のメーデーに合わせて宣伝行動を行いました。渋谷区原宿の神宮橋付近で午前9:30〜約1時間,支援の皆さんや弁護団,原告からは近澤が参加して,イレッサ訴訟へのご理解と早期解決を願って,2007年以降毎年訴えています。
このところ頻繁にめまいを感じて何となく気になり憂鬱になって出掛けるのが不安です。不安はついつい無口になってしまいます。しかし,今年で70歳という年齢ですからある程度の身体の不調は当然のことで我慢しなければとは思うのですが最悪です。まだまだやらなければならないことがいっぱい,立ち止まることは許されません。・・・ということで早々に支度を済ませて最寄駅に.....。
私たちイレッサ訴訟の行動が早めに終了しましたので,メーデー会場に行ってみました。実は、メーデーのメーン会場に入るのは初めてです。会場入口から人・人・人で一杯です。のぼり旗を持って,プラカードを掲げて,この日のために制作したのでしょうか,アニメのコスチュームを着込んだ一団,障害を抱え参加している車椅子の人,小さな子供さん連れの親子,杖をついたかなり年配のお年寄りの方たちなど続々と会場の中に入って行きます。メーン会場はノボリ旗で一杯でした。この一本・一本に訴えが,抗議が,不満があるのを実感しました。(写真はこちらです)

4月28日(土) 東京・新宿区四谷・JR四ッ谷駅麹町口前の主婦会館・7Fカトレアにおいて,風の会Part21=司法に国民の風を吹かせよう=が開催( 13:00〜17:00),参加しました。

4月25日(水) 第8回抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会が厚生労働省17階 専用第21会議室で(18時00分〜20時00分)開催。参加しました。

4月19日(木) 午前8時15分より約1時間,最高裁判所西門付近において,支援の皆さん,弁護団,原告20名で一日も早い解決をと朝の訴えを行いました。この後,最高裁判所内,会議室において,支援の皆様17名と共に要請を行い要請書を提出,また支援者から上申書を提出しました。 ・・・行動と要請がお昼前に終わりました。最高裁判所を出るとすぐ目の前は緑いっぱいの皇居です。のんびりと皇居の周りを歩いて2時間ほど,久しぶりに一周してみました。

4月10日(火) クオールグループの新人研修(伊豆の修善寺のホテル・ラフォーレ)に,新人研修生総勢300名を二回に分けての研修で,引き続き前回同様のお話を聞いていただきました。三島駅から,伊豆箱根鉄道駿豆線で修善寺に,そこからホテル・ラフォーレの送迎バスを利用してホテルまでの20分ほどの山道は満開の桜が咲き誇っていました。前回,5日の日に訪れた時はまだツボミで,少しほころびから顔をだしている程度でしたがこの日は,ホテル入り口から山道に入る,人一人として通らない桜並木は咲き誇り,花びらが時折舞い散っていました。どこまで歩いても誰一人として出会うことのない,そんな寂しげで静かな花見でした。(もしよろしければ一枚一枚の画像を映像としましたのでご覧ください。)

4月 5日(木) 薬局チェーン店を全国展開しているクオールグループの2012年度の新人研修が伊豆の修善寺のホテル・ラフォーレで行われ,抗がん剤による被害についての講演依頼がありお引き受けしました。6年制となって3年振りに薬剤師として合格し新入社員となられた300名の皆さんの内,この日は半数の150名の皆さんに,医薬品に関する副作用被害の救済制度について,そしてこれから先,薬局でも処方が増えるであろう抗がん剤に関して,イレッサの死亡被害の問題について聞いていただきました。

3月 31日(土) 「川田龍平と新しい日本を考えるシンポジウム vol.4」に参加しました。
関東地方は朝から強風が吹き荒れて埼玉や千葉では電車のダイヤが大幅に乱れるなどの被害が出るそんな中,東京・四谷の開催会場へと出かけました。今回のゲストは黒柳徹子さん。さすがに開場は超満員で午後2時から4時までの2時間が短く感じるほどで,人間の命について,特に貧困の中で生きる発展途上国の子供たちの命についてのお話は,胸が痛くなりました。後半部分の,川田議員に聞く質問のコーナーでは,福島原発に関する問題が多く出て,国の対応の遅さに怒る国民の声が寄せられていましたが,分りやすく丁寧に答える川田議員は,1人1人の国民の声を大事にする数少ない庶民派国会議員の1人と感じました。この集会と同時間,場所も隣接の四谷のスクワール麹町において,「全国公害弁護団連絡会議創立40周年記念シンポジウム」が開催されましたが,こちらのシンポは午後1時から午後7時までの開催でしたので,午後4時から参加させていただきました。
この集会と同時間,場所も隣接の四谷のスクワール麹町において,「全国公害弁護団連絡会議創立40周年記念シンポジウム」が開催されましたが,こちらのシンポは午後1時から午後7時までの開催でしたので,午後4時から参加させていただきました。

3月 29日(木) 昨・28日,大阪地方裁判所で,大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟(第2陣)の裁判が開かれ再び国の責任を認める判決が下されました。この判決を受けて,原告や弁護団,支援者が29日,午前8時から永田町の官邸前に集結して,国は,下された判決を真摯に受け止め無益な上告などやめて解決に向けた話し合いのテーブルを速やかに設けるように,と訴え行動を行いました。
イレッサ薬害被害者の会から,近澤が参加,官邸前では励ましのメッセージをさせていただきました。官邸前行動の後,厚労省前に移動して大勢の支援者による抗議行動の中,厚労省への要請が行われました。また,午後2時からは,衆議院第1議員会館大会議室において,院内集会が開催され,約350人もの参加者で溢れました。この訴訟では,平成18年5月の提訴依頼すでに7名の原告の方が亡くなっています。高齢者がほとんどと言うこの裁判,何とか一日も早い解決を願うばかりです。

3月 25日(日) 薬害ヤコブ病勝利和解10周年記念集会が滋賀県大津市の,におの浜で午前に式典が,午後は琵琶湖ホテルでレセプションが開催され,その出席のために前夜より高速バスを利用して京都へ,そしてJRを乗り継ぎ大津駅に8時に到着。前日には宮崎,高知とサクラの開花が始まったとニュースで流れていましたが,まだまだブルッと震えが来るほど大津は厳しい寒さでした。到着してすぐに,駅前で,レンタサイクルを借りて集会までの2時間余りを琵琶湖散策と試みたものの寒い,手が凍えるような冷たさの中を我慢して人気も疎らな湖畔をママチャリで走ってみました。
 ここ,びわ湖畔,におの浜に「薬害根絶の碑」が建っています。この碑は,薬害ヤコブ病和解調印当時の坂口厚生労働大臣が揮毫し確認書の調印から一年後,石碑に刻まれて2003年3月23日この地に建立されました。この,におの浜で,午前10時より大勢の遺族,弁護団が集まって勝利和解10周年記念式典が開催されました。私は,2005年3月の3周年記念式典から2度目の参加となりましたが,再びお会いした方のお顔には7年の年月の皺が刻まれていました。記念式典とは言っても喜びの式典ではありません。寒さに凍えながら献花する遺族の皆様に笑顔は見られません。現職の厚労大臣が自らの手でしたためた「薬害根絶」の文字も,この碑を建立した前年には薬害C型肝炎の裁判が始まって,また,抗がん剤イレッサによる大勢の死亡被害が発生しています。次は,貴方かも知れません。薬害の被害者となるのは...。

3月 24日(土) 新宿・南口を23:30分発のJR高速バスに乗車して京都へ。この時期の高速バスターミナルは大勢の利用客で待合室のベンチに空きはなく発車を待つ人達で溢れている。土曜日の京阪神行きということからある程度の混雑は覚悟はしていたが,何度も利用するいつもの車内,中央の通路を挟んで左右2人掛けの座席に一つの空きもない。一睡も出来ないままに7時前,京都駅に到着。

3月 22日(木) 午前8時15分より,三宅坂の最高裁判所西門付近において宣伝行動を行いました。この行動は,さまざまな最高裁への上告審裁判を支援する国民救援会が主催している定例宣伝で、今回は,私立高校教師の不当解雇撤回裁判、過労うつ病労災認定裁判、国公法弾圧裁判、派遣切り撤回裁判、介護ヘルパー窃盗えん罪裁判など,9つの団体の皆さまと共に訴える行動で,約50人の皆さまが参加する中,イレッサ訴訟からも14人が早朝にもかかわらず駆けつけて共にチラシを配って訴えて頂きました。
この行動の後,10時より,最高裁判所において要請が行われ,この要請も9つの団体の皆さんと共に最高裁判所の,訴訟上席書記官に訴えを聞いていただき要請書を提出いたしました。他団体との時間配分の都合上,イレッサ訴訟からの要請へ
の参加は3人と決められましたが,原告の近澤,支援事務局長で薬剤師の小池さん,弁護団より阿部先生も発言,訴えていただきました。

3月 14日(火) 大阪控訴審裁判の判決日のお知らせのページを作成して今日サイトへUPした。振り返ると,2004年9月にこのサイトを立ち上げて以降,私たちの叫びが届けと,生きたいと願って飲み続け,そして息を詰まらせながら亡くなっていった娘の悔しさを理解して欲しいと,裁判が開かれる度ごとに一枚,また一枚とページを作り続けて200枚を超える。訴えることが出来ない娘に代わって,癌患者の命の重さを一枚一枚のページに代えて訴えてきたが,例えマルチ紛いの宣伝・広告で使用した被害であっても,余命僅かの抗がん剤治療は信じて使用した者の責任,騙され損と大勢が言う。ましてや訴訟など・・,そんなにお金が欲しいのか!と蔑まれ,もの言えぬ娘に申し訳ない思いでいっぱい。ただただ辛く苦しい10年だった。それもようやく,高裁の裁判もあと少し,あと少しで終わる...。

3月 13日(火) 11:30〜東京地裁705号で薬害イレッサ「下書き」問題情報公開請求訴訟の第2回口頭弁論期日が開かれました。 <次回期日は年5月29日 午前11時00分 東京地方裁判所705法廷>
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3月 8日(木) 一年前に取材を通じて知合いとなったあるテレビ局の記者さんが,午後1時よりプライベートで大宮の自宅を訪ねていただき,時間を忘れていろんな話しをいたしました。朋あり遠方より来たる亦楽しからずや。

3月 8日(木) 午前8時30分より1時間,霞ヶ関の厚労省前において支援の皆さんや弁護団,原告はイレッサ訴訟の解決と被害への理解を訴え行動を行いました。数日前には日中の気温12度にもなる,春の訪れを感じる温かな陽気でしたが,この日は気温8〜9度と厳しい寒さに逆戻り,ミゾレかな?と思われるような小雨の中を20人ほどの皆さんが参加していただきました。
・・・毎回・毎度のことですが、この日も,午前9時過ぎに,厚労省の前を通ってその先の役所が勤務先ではないかと思われる50台後半の方が,私に近づき,何時もの言葉・・「そんなに金が欲しいのか!」と吐きかけて行きます。もう,4〜5ヵ月前からということもあるのですが,今では全く腹も立たずに何故かホッといたします。この人は,薬害被害などに無縁の方なのでしょう。早朝から皆で訴え,チラシを配る私たちの活動に,・・迷惑集団と・・違和感を感じてそれが嫌悪感に変り罵声となっているのかも知れません。こんな経験など、しない!,知らない!,が良いのですから・・。

3月 3日(土) 薬害エイズを考える山の手の会のホームページの制作依頼を受けて,引き受けはしたものの取り掛かる時間がなく,延ばしのばしにして来ましたが試作の末ようやく,だいたいの形がまとまりましたので,細かい詰めなどの打合せのために,午後12時より足立区新田の江川宅を訪ねました。

3月 1日(木) 午後4時より,東京・港区神谷町・城山トラストタワーのクオールで打合せ。
午後は、6時30分よの新宿御苑のスモン公害センターで,イレッサ訴訟東京支援連絡会議に出席。

2月 29日(水) 関東地方で前日より降り始めた雪が10センチ程にも積もりましたました。

2月 18日(土) 薬害肝炎訴訟・薬害イレッサ訴訟,弁護団新人ガイダンスが,東京・千代田区神田駿河台の中央大学駿河台記念館560号において午後2時より開催されました。イレッサ原告からは近澤が参加して,訴訟に至った経緯,行動の困難さや果す役割など,新たに弁護士として登録された64の皆さんに聞いていただきました。午後5時終了。

2月 15日(水) 2004年9月にホームページ開設から7年5ヶ月,多くの皆さまに訪れて頂き,本日アクセス数が22万に達しました。

2月 9日(木) 午前8時30分より厚労省前において,支援者,弁護団,原告14人で,早朝恒例となりましたマンスリー行動を約1時間おこないました。1年のうちで,もっとも寒いこの時期,吐く息も白くチラシを配る手は凍えますが,役所に急ぐ多くの皆さんが快くチラシを受け取っていただきました。この日、この寒さの中,私たちの他にも,148名が提訴したJAL契約制CA雇い止め撤回裁判・で高裁に
おいて戦いを続けている「JAL契約制雇い止めCAを空にもどす会」の皆さんも、霞ヶ関駅出口付近においてチラシを配り支援とご付近においてチラシを配り支援とご理解を訴えていました。原告の方たちの職場復帰が認められるようガンバレ!,応援しています。

2月 2日(木) 東京・板橋区で支援活動を続けていただいている板橋支援の会の連絡会議が,板橋区小豆沢病院隣の健康文化会の組合事務所において18:30より開かれました。

1月28日(土) 前夜,21時50分に大阪駅発の夜行バスに乗車,新宿駅東口には,まだ人もまばらな午前6時30分に到着。一睡も出来ないままに9時間近くを狭い座席で過ごしたせいか,バスから一歩外に出ると,ブルブルッと身震いするほどの寒さ,そして少しのめまい,振り返ると7年もこんな行動を続けてきたのが不思議な位で,よく体が持ったなぁ。何も理解しない人達は,お金欲しさで裁判をしていると言うが,お金を使い,余命を費やし全国を駆け回って7年,まだこの先2年かかるか,3年かかるのか,しかし,これは私が選択した現実でまさに自己責任。いや,私に反感を持った人達は自業自得と言うかな。乗り切らなければ。

1月27日(金) 裁判当日,8時15分からの大阪高裁前と淀屋橋南詰め付近においての朝宣伝のために,7時に宿をチェックアウトして淀屋橋駅に。1番出口から外にでると川から吹き上げる風が頬を刺すように痛く感じます。30名ほどの皆さんで3箇所に分かれて宣伝行動を1時間,この後,大阪高裁前の若松公園に集合してミニ集会を開催,早朝にも関らず大勢の皆さんに参加していただきました。この後,入廷行動,そして,傍聴券の抽選が行われ,外れた皆さんには申し訳なかったのですが隣接の大阪弁護士会館の会議室で待機していただきました。裁判は10時30分に開廷して11時45分に終了,弁護士会館2階ホールにおいて報告集会を開催しました(裁判の報告をご覧下さい)。2時間の集会の後,大阪司法記者クラブで記者会見を行い,再び弁護士会館において支援,弁護団,原告による今後の行動会議と,休み無しのスケジュールが続き,終了したのは午後3時を回っていました。皆さんと別れて再び淀屋橋駅に,1人スタバに入り,半日の慌しさを振り返りながらようやくコーヒーとサンドイッチで昼食。やはり疲れは隠せずコーヒーカップが重たく感じます。・・・この後,大阪駅を21時50分発の夜行バスの時間まで大阪を散策,・・実に辛い時間潰しとなりました。

1月26日(木) 東京駅を午後2時すぎ発の新幹線に乗車して大阪へ。雪の影響で20分ほどの遅れで新大阪に到着。一件私用を済ませて地下鉄御堂筋線で淀屋橋駅へ,そこから徒歩で10分ほどの距離にある今夜の会場,薬害イレッサ西日本訴訟控訴審裁判前夜集会が開催されるエル大阪へ。18時30分〜約2時間,120名ほどの皆さんに参加していただきました。終会後,近くの居酒屋で23時00近くまで懇親会。

1月24日(火) 午後6時30分〜,東京支援連絡会議が新宿御苑のスモン公害センターで開かれました。

1月20日(金) 前夜からの雨が未明には雪に変り、東京や横浜、埼玉で今年の初雪です。さいたま市での積雪は屋根に積もっているのは今の所は1〜2センチ程度で、道路への積雪はありません。暫く乾燥が続いていましたので、この雪は喉への癒しになりそうです。でも寒い、只今の気温は3度です。

1月17日(火) 薬害エイズを考える山の手の会主催による勉強会、◇薬害イレッサ問題について◇〜薬害イレッサ訴訟原告近澤昭雄さんと分かち合い〜が日時:1月17日(火)午後7時〜9時(JR飯田橋駅隣セントラルプラザ10階)場所:東京ボランティア市民活動センター会議室Bで開かれました。参加人数は20名、川田龍平議員、本多平直議員の代理として秘書の方、新宿区議会議員鈴木ひろみさん、薬剤師、患者会の方、学生さん、団体職員の方々、様々な分野の皆さまに参加していただき、イレッサの被害から学ぶ・原因の背景と死亡被害拡大の要因について、と題して一時間聞いて頂きました。この後、川田議員から、国民の命を守る医療が政治の中で大きく後退を感じているので健康と福祉の問題について全力で取り組んで行きますと挨拶がありました。終会後、飯田橋駅側の居酒屋で賑やかで和やかな懇親会、親交を温めました。

1月12日(木)2012年年明け最初の行動を厚生労働省前で行いました。厳しい寒さの中を午前8時30分より9時30分の一時間、支援のみなさん、弁護団、原告は近澤が参加してイレッサ訴訟の一日も早い解決を願って25名の皆さんに参加して頂き訴えました。
この冬一番の寒波ということで厚労省前の日比谷公園の鶴の噴水は、広げた羽根がツララで凍ってとても寒そうでした。

1月5日(日) 浅草近くの田原町の仏具やさんへ立ち寄り、訴訟の解決を願って墨田堤通りの牛島神社、そして浅草の浅草寺から浅草神社、下谷神社に祈願しました。どこかの神社で私の願いを聞き届けてもらえると嬉しいのですが。
・・・しかし、神社参拝のはしごは願い事叶わずとか。

1月1日(日) おせち料理やお飾りのない新年を迎えるのは今年で10回目になります。娘の三津子が亡くなって10年、あの間質性肺炎による呼吸苦に顔を歪めながら座ったまま亡くなっていった悲惨さについて、これはアストラゼネカの責任、国の責任であったと認めてもらうまで私におめでとうはありません。全国的に起きたイレッサの被害を、処方したそれぞれの医師の責任にするには無理があるのですから。
 
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