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10月 22日(月) 午後6時30分より,薬害イレッサ訴訟板橋支援連絡会会議が,東京・板橋区小豆沢の小豆沢病院隣り,健康文化会組合事務所において午後8時まで行われました。原告からは近澤が,弁護団からは阿部弁護士が参加の中、これまでの行動報告、今後の活動について等話し合いました。 |
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10月 17日(水) イレッサによる副作用被害が明るみにされて、この15日で10年を迎えます。余りの被害数の実態に、そして癌患者に対する命の軽視とも感じるさまざまな関係機関の対応に憤りを感じて、行動を始めて10年になります。この間・訴訟にも頼りました。さまざまな団体や多くの支援の皆様にもすがり、その解決と改善を願って、このイレッサの被害で亡くなった娘と共に全国各地を巡り訴えて来ましたがまだ、イレッサの副作用による死亡の原因と実態については何も解決はありません。必ずや事の真相が解明されて次の社会へと生かされると信じてはいるのですが、是までの薬害被害の歴史から見ると、後・10年はかかるのでしょうか、「イレッサ薬害被害の実態と生かされた教訓」などと言った論文が出されるのは。その時までは、多分私は生きていることは出来ないでしょうから拝見することは出来ません。そんなことを思いながら、10年の節目に、一束の花と線香に思いを託して、亡き娘との会話が出来るのを楽しみに墓参。 |
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10月 14日(日) 2004年9月10日にホームページを開設して8年を迎えました。私たちの行動・活動に対して理解して訪れていただいた方たち。私たちの活動には理解は出来ない方たち、どちらでもないがテレビや新聞などで時々報道されているイレッサの副作用被害とはどのような事なのかについて知りたい・・・などなどどの理由から多くの皆様に訪れていただきき、本日で23万アクセスを迎えました。何れにしましても、興味を持っていただき有難う御座いました。 |
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10月 12日(金) 午後6時より、新宿・御苑にあるスモン公害センターにおいて、薬害イレッサ東京支援連絡会が開かれ参加しました。 |
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10月 10日(水) 午前10時より、弁護団、東京支援連、原告の近澤が参加して団体要請を行いました。 |
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10月 3日(水) 10年前の今日、自宅においてイレッサを服用していた娘の三津子が、定期の診察のために出掛けたところ、肺に気になる影があるので緊急の入院をして下さいと言われ、酸素マスクの準備など余りの物々しさに驚き、不安一杯の悲しそうな娘の顔が昨日のことのように浮かんできます。医師からのはっきりとした説明もなく、感染症か結核の疑いがあるので取り敢えず検査をしますとの説明だけ。この日から2週間、何故、あんなにも悲惨で地獄のような経験をしながら、ベッドに座ったまま息を詰まらせ亡くなって逝かなければならなかったのか。あの日から時間は止まっています。 |
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9月 26日(水) 早朝宣伝行動を行いました。午前8時15分より,最高裁西門付近において約一時間の早朝宣伝行動を行い,公正で早期の解決をと訴えました。宣伝行動の後,11時より一時間,最高裁の要請会議室において要請を行いました。 |
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9月 20日(木) すべての争議の全面解決を!! のスローガンの下,22争議組合、争議団と支援団体が参加した東京地評争議支援総行動が行われました。この総行動に、薬害イレッサ訴訟も支援を受けましたので、イレッサ訴訟支援連絡会、弁護団の皆さん、原告からは近澤が参加して午前9時過ぎからの行動、東京駅・日本橋口で宣伝行動と訴えを行いました。この後、霞ヶ関の法務省、そして東京地裁・高裁前での全体集会では約300人ほどの参加者が夫々の所属、訴えるのぼり旗を掲げて争議の公正な判断による早期解決をと訴えました。この日の行動に、イレッサ訴訟支援関係からは約20人が参加しました。 |
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9月 3日(月) 午後6時30分より,薬害イレッサ訴訟板橋支援連絡会会議が,東京・板橋区小豆沢の小豆沢病院隣り,健康文化会組合事務所において午後8時まで行われました。原告からは近澤が,弁護団からは阿部弁護士が参加,事務局長の千田さんより,これまでの行動報告,そして今後のイレッサ訴訟の取り組みについては,各・団体への要請と署名集めなどが話し合われました。 |
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8月 27日(月) 午前10:30〜,霞ヶ関・弁護士会館においてお昼まで打ち合わせを行いました。 |
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8月 27日(月) 午前10時より,厚労省出に向き,「抗がん剤による副作用被害救済制度の早期創設を求める要望書」を厚労省1階共用会議室において対応いただいた室長に提出。その後,この制度の必要性について約15分程度でしたが説明を行い意見交換いたしました。 |
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8月 24日(金) 薬害根絶デーが開催されました。今年で13回目を迎えます。薬害エイズの和解による解決と被害者の悔しさを忘れてはならないと,厚労省の中庭に記念碑が建てられた1999年8月24日を記念して毎年この日を薬害根絶デーとして開催が続けられてきました。今年も猛暑の中を厚労省前に200人を超える人たちが参加して薬害の根絶を訴えました。
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この日24日は,イレッサ訴訟の宣伝行動である最高裁判所前行動と重なってしまい,8時から支援のみなさんや弁護団,原告からは近澤が参加して永田町の最高裁前で一時間の訴えを行い,その後,薬害根絶デーの一連の行動で,薬被連に加盟する団体で行う文部科学省交渉参加のために電車を乗り継ぎ虎ノ門に向かいました。午前9時の霞ヶ関はじりじりと肌に焼け付く暑さでハードな一日の幕開けでした。 |
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お昼からは,厚労省前で行われている集会に合流,リレートークでは大勢の参加みなさんが薬害の根絶を訴えました。民主党の本多平直議員,みんなの党の川田龍平議員,共産党の高橋ちづ子議員も駆けつけ薬害の根絶を訴えていただきました。薬害被害者の団体は小宮山厚労大臣に要望書を提出,そして厚労省内会議室においての交渉では薬害根絶に向けた強い取り組みと改善を,項目別に要求いたしました。 |
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日比谷公園内のコンベンションホールで行われた合同の集会,そして銀座・マリオン前での行動と本当に長い一日でしたが,今年も,大勢の学生の皆さんが,数ヶ月も前からの準備段階から実行委員として参加していただき,支えて頂きました。本当に有難うございました。 |
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8月 7日(火) 作・6日,「抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会」は,具体的な検討や提案がまったくなされないままに審議が終了しました。最愛の娘・三津子が使用したイレッサの被害をきっかけとして,せめて,不適切な使用による死亡被害に対しては救済制度の中での補償は必要ではないかと,2005年ころより,厚労省交渉の中で,雑誌等の取材の中で,事ある毎に訴えてきましたが理解へのミゾがこんなにも深くて大きいのかと痛感。語れども語れども意見は見捨てられてきたこの積年を思い,この検討会の終了は,何とも残念でなりません。 |
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この検討会は,薬害イレッサ訴訟の和解勧告を拒否するコメントの中で,当時の細川厚生労働大臣が,イレッサの被害にふれて,重篤な副作用等の危険も知らされず投与を受けて死亡した多くの被害者を思えば,抗がん剤を対象とする被害の救済制度については検討する必要があると言明。また次の,小宮山厚生労働大臣も,7月13日の閣議後の記者会見で,「政策上の課題と受け止め,十分に検討を尽くします」とこの制度の創設を約束して立ち上がったものです。 |
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日本国の2大臣が,公式の場で,被害の救済制度の創設に向けた発言は,非常に大きく重いものであると受け止めて,検討委員に選ばれた各・委員の皆様には制度創設の実現に向けた審議を尽くしていただきたかったのですが,この制度の創設には真っ向反対の意見を持つ方が多く選任されてしまったのでは,前向きな審議は望むべくもありませんでした。 |
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確かに,さまざまに難しい問題は多く含んでいました。しかし,スタートする前からこれら難問は織り込み済みの問題で,だから検討の継続は不可能と言う事にはならず,ワーキングチームを立ち上げるなど方法はありました。明日への抗がん剤治療のためには,大きなチャンスを逸してしまったといわざるを得ません。
この検討会を、より良い明日の抗癌剤医療にと活かして欲しかった。 |
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7月 17日(火) 九州より先に関東地方で梅雨明けが宣言された。朝から気温は上がり続け群馬県館林市と隣接の埼玉県熊谷市では最高気温39度を超え,ここ,さいたま市でも焼け付くような暑さである。今日は娘の月命日ということで,午後から時間を作って墓参に出掛けたもののお墓の掃除も困難なほどに墓石が焼けている。・・どこか,涼しいところに退避してくれていると良いのだが。 |
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7月 14日(土) 「抗癌剤による健康被害の救済に関する検討会」が今後に向けた抗がん剤による被害の救済について何一つとして見出せないままに終了しました。肺ガン治療薬イレッサによる大勢の副作用死亡被害の異常な状況を目の当たりにして,抗がん剤による副作用被害のすべてを対象とする救済は困難としても,せめて,適切な説明,処方でない治療による死亡被害については,医薬品副作用被害救済制度の中で救済されるようにするべきではないかと,娘の三津子が亡くなって以降,多くの反対は承知の上で,一人訴え続けて参りましたが,念願が叶い,昨年のイレッサ訴訟の東京地裁判決の後,細川厚労大臣が,抗がん剤にる副作用被害に関して検討会を開き審議を行うとの発言を受けて,第一回の「抗癌剤による健康被害の救済に関する検討会」が開催されたのは2011年6月27日,そして,今年・7月13日の10回目の開催で最後の検討となってしまいました。現時点での制度の創設は,さまざまな癌医療の発展の妨げになるとの結論が出され見送りと決まりました。・・・この件に関しましては多くのメディアより連絡を頂きコメントを求められました。言いたいことは喉元までいっぱい出かかりましたが,事、ここに至っては何を語っても詮無いことでしょ。
優等生的なコメントで・・ただ,残念の一言です。 |
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7月 10日(火) 午後1時より,厚労省に対して,抗癌剤による健康被害の救済に関する検討会の継続についての要望書を提出。2011年6月27日の第一回開催から次回,7月13日の開催で10回目の検討会となりますが,13日の開催を最後として,このまま問題提起で一応の取り纏めとする動きが濃厚となっている点についての要望。提出のあと,厚労省記者クラブにおいて会見を行いました。 |
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7月 9日(月) 先週一周間も,原発再稼働反対行動で官邸周辺は揺れに揺れた。しかし,福井の大飯原発は再稼働・そして送電が開始されて,お陰と言うことになるのだろうか・・,それぞれの家々に灯が点り不自由のない生活が送れていることは確かである。原発反対!!,再稼働反対の声は梅雨の雨に流されて、官邸の中には届かない。 |
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諸外国に向けては,日本の国民はこんなにも原発反対を訴えたと報じられるのだろうか。日本政府は,こんなに大勢の国民が原発反対!!,再稼働は許すな!!の悲痛な声は聞きながらも,断腸の思いで国民の生活を、命を守るために再稼働に踏み切ったと,世界は野田政権を評価するのであろうか。鹿児島県知事選挙でも,条件付きで再稼働を認める候補が原発反対を訴えた候補を大差で破って当選とニュースに流れている。友好国に対して原発の再稼働を認めてもらい,見返りとして沖縄にオスプレイが届く。 |
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7月 6日(金) 薬害イレッサ訴訟東京支援連絡会総会が、18時30分より東京・新宿区四谷・JR四ツ谷駅そばの主婦会館プラザ・エフで開催されました。民医連関係の薬剤師の方たち、主婦連元会長で現参与の清水鳩子さん、公害総行動に参加の各団体の皆さん、中央大学の学生さん等35名の皆様に参加していただき、活動報告、収支報告、今後の取り組み等の議題が話し合われました。 |
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6月29日(金) 最高裁要請の後,午後1時〜午後3時,弁護団の木下先生とご一緒に,東京民医連企画の,イレッサに関する学習会が,東京・JR中野駅近くの健友会本部で行われましたので招かれて参加して来ました。近澤からは,この被害の拡大の実態と,理解が得られない抗がん剤死亡被害の背景を原告側から感じたお話をいたしました。例え効いている患者が何百人,何千人い.るからと,こんなに大勢の死亡被害をおこした原因と責任と究明しなければ,服用する患者の死亡は防ぎようがない,社会に対する貢献は貢献,過失による責任は責任とはっきり区別して,たとえ抗がん剤と言え,仕方がない被害と許すべきではないと説明と訴えをいたしました。参加されたのは医療に従事する皆さん全部で9名でしたが大変に素晴らしい学習会でした。 |
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6月29日(金) 午前8時15分より,最高裁西門付近において約一時間の早朝宣伝行動を行いました。こんなに早い時間帯にも関わらず33名もの大勢の皆さんに駆けつけていただき,宣伝行動の後の最高裁の中の要請会議室においての要請でもみなさんに訴えていただきました。 |
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6月12日(火) 「抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会」が、昨日・15時00分〜17時00分に、厚生労働省6階共用第8会議室で開催された。第一回は昨年の6月に開かれてこの回で9回目となる。続けて傍聴してきたが今回は体調の不良で傍聴の参加を見合わせた。この制度の創設については、娘がイレッサの副作用により亡くなって以降、さまざまに活動する中で、ガン医療の改善を訴える一つとしてどうしても必要な制度で前向きに使えば決してガン医療の妨げ等にはならないと事あるごとに訴え続けて来た。漸くの感で、この制度のための検討会が開催されることが決まり嬉しく感じていた。参考人として出席し意見も述べ要望書も提出しするなど大きな期待を抱いてきたのだが、開催の回を重ねる度に私の胸の中では失望が大きく膨らんでいた。 |
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慎重な態度で進行を努める厚労省の職員や検討の中身を理解して重く受け止め進行具合を見守る傍聴人と比して、検討委員に選ばれている各・委員の方たちの緊張感のなさ。毎回、時折は笑い声の中で生ぬるい進行振りに、唖然とし、怒りがわき、そして虚しくも感じて来た。 |
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この検討会の開催のきっかけとなったのは、イレッサによる副作用で大勢の死亡被害者が出たことがきっかけとなっているのだが、多くのガン患者がさまざまな治療の不備により思い半ばで亡くなっていった無念さは、この委員の方々には正確に伝わっていなかったようで、単に"イレッサ訴訟アレルギー"にとらわれているように感じられる。この検討会は多分・・流れることになるのではないだろうかと感じていたが、・・・そして今日、この検討会に関する記事を目にした。「社会に問題提起することで、同検討会としての議論を終わらせることになりそうだ・・・」
。時期尚早とは、このような事案では永遠でもある。・・再び私の胸の中に思いが過ぎった。"多くの人が、これで良いと思っているのならこれで良いか"。 |
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6月 9日(土) 関東・甲信越地方が今日梅雨入りと発表されました。・・朝から細かな雨が降り続いています。ジトジトした不快なこの季節も亦楽しからずや、とは思えない雨です。 |
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6月 6日(水) 公害総行動デーの2日目,薬害関係のヤコブとイレッサは省庁交渉として,イレッサは10時〜11時,ヤコブは11時〜12時,厚労省1階会議室において交渉が行われました。 |
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6月 5日(火) 2005年の初参加から8年目,毎年6月の上旬に開催されている全国公害被害者総行動デー,今年も,パレードや各・省庁交渉,日比谷公会堂での集会など,全国から参加の約1,300人が,5日〜6日の2日間にわたってそれぞれの団体の皆さんが訴えを行いました。イレッサ訴訟からも,原告や弁護団,支援の皆さん約20名が参加しました。(写真スライドはこちらからご覧ください) |
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6月 5日(火) 薬害イレッサ西日本訴訟原告団は,5月25日に出された大阪高裁の判決を受け入れる事は出来ないと最高裁判所への上告を決意,午後5時より厚労省記者室において会見を行いました。 |
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6月 3日(日) これまで続けられた訴訟で・またさまざまな活動でも多くのご理解と支援をして頂いている関西の医療関係の団体の方からメールが届いた。その内容は・・とんでもないことです。抗議だけで済むのだろうか?とある。はて何のことだろうかとメールを読むと,・・生存原告清水さんを「亡清水英喜」とした大阪高裁判決!!!と書かれていた。急ぎメールに指摘されている判決文のそのページをめくって調べてみると確かに,亡清水英喜は・・・,と判決文に書かれてあるではないか。私達が主張して来たイレッサの裁判では,昨年の11月に下された東京高裁判決ではあまりにも杜撰な,東京高裁への上告から判決までの期間が僅か2ヶ月余りというスピド審理で原告側敗訴の決定が下されたが,よもや大阪高裁ではしっかりと審査をしてくれたものと信じていたのに,再びの杜撰な判決文を目の当たりにして,大阪高裁の判決そのものが信じられるものでないことが証明されたのではないだろうか。こんなにも初歩的なミスが人の命を裁く裁判所で,それも高裁の判決文そのものがこのような杜撰さでは,何ともやり切れない。 |
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5月31日(木) イレッサ裁判の大阪控訴審の判決が出されて以降,私の所には,一時鳴りを潜めていた非難の電話やメールが後を絶たない。この手の苦情?には当然であるのだが名前も住所も告げることなく,一方的に主張を述べて全く会話にはからないのである。・・・この訴訟によって,服用することが出来なくなった大勢の患者が亡くなっていると言うことを原告等は知っているのか! とその主張は共通している。これまでの薬害被害においても繰り返されてきた非難・嫌がらせではあるのだが,その内容は,・・この薬は必要としている患者がいるので被害について訴えるな!! 訴訟は中止しろ!!,と乱暴なことを言う。さまざまな手段を講じても訴えるしか術がなかった。訴えなければ被害の連鎖を止められないのはこれまでの薬害事件のすべてが物語っていることを知って欲しい。2012年3月時点のイレッサによる副作用死亡は847名と公表された。この被害の問題と責任をすり替えても何の解決にはならないと言う事だけは理解して欲しいと願っている。すべての医薬品に副作用は避けられないものである。しかし,使用する過程で大勢の患者に不利益な被害が発生した場合には,速やかに検証して拡大防止に努め,起きた被害の事実関係は明らかにするべきである。それが次の患者の命を守るためになるのだから。・・・訴訟とは,そのためのひとつの手段でもあるが,原告となった被害者の誰一人として訴訟を好むものはいないことだけは確かである。 |
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5月29日(火) 12時30分より,衆議院第二議員会館1階多目的会議室において,薬害イレッサ訴訟高裁判決報告集会,「薬害イレッサの全面解決を求めて〜大阪高裁判決を受けて」を開催しました。大勢の国会議員の先生方に参加していただき,昨年の東京高裁に続いての今回の大阪高裁の判決に対して,あまりにも不条理な判決が下されて驚いている。これでは国民の命は守れない,国会の場で厳しく追求し解決をしていきたいと発言していただきました。 |
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◆ご出席いただいた国会議員の先生方です。(順不同) |
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民主党・・川内博史先生、三宅雪子先生,初鹿明博先生,田代郁先生,橋本勉先生
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みんなの党・・川田龍平先生 |
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◆秘書の方のご出席 |
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民主党・・平岡秀夫先生,福田衣里子先生,今野東先生,宮島大典先生,長尾敬先生,
工藤仁美先生,日本共産党・・志井和夫先生,田村智子先生 |
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5月29日(火) 午前11時より,東京地裁705号法廷において,「薬害イレッサ下書き問題情報公開請求訴訟」第3回期日が開かれ傍聴しました。 |
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5月26日(水) 前日の午後11時10分に大阪駅バスターミナルを出発する高速バスに乗車して新宿に到着したのは7時を少し過ぎていた。土曜日に新宿到着と言うこともあってか車内は満員である。疲れはピークに達してはいたがそのまま埼京線に乗車,ともかく自宅に急ぎ帰って横になりたかった。"泥のように疲れた"と聞くがそれがどんな疲れた様なのか良く分からなかったのだが,多分このような疲れをいうのかなと,それほど疲れきっていた。9時過ぎに帰宅して,旅の整理もそこそこにすぐさまベッドに。途中で痛みで起こされてボルタレンを一錠服用。4時間ほどの睡眠の途中電話で起こされることもなくぐっすりと寝ることが出来たのは実に有難いことではある。・・・目覚めてその後,夜に入ってからも、携帯への電話は一本だけ。8年も戦い続けた裁判の判決の翌日と言うのに,この裁判闘争の明け暮れですべての友達を失くしてしまったようだ。 |
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5月25日(火) |