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戦い済んで・・・ |
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2002年10月17日のこと,さいたま市の大宮駅に近い公立病院のベッドで,息が出来ない!,もっと酸素を流して!と,顔をゆがめ座ったまま亡くなっていった我が子のあまりにも悲惨な様子に,この原因は何なのか,何故このような苦しみが生じたのかと,親ならば・・,疑問に感じて真相を調べるのは当然。 |
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これが,画期的な夢の新薬として販売が開始された,抗がん剤イレッサによる副作用の間質性肺炎の症状であることは,娘の三津子が死亡する直前に知らされた。 |
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販売前から効果についての宣伝が大々的に繰り広げられ,国も審査の時間を取らないままに承認,医療の現場も前評判の宣伝を信じて,危険性の認識もないまま,医師の管理もなく自宅服用での投与が多く行われていたこと等から,副作用の間質性肺炎の発見が遅れ,まだまだ生きられる多くの命がこの薬によって奪われた。 |
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あれから... 10年の歳月が流れた。毎日,毎日,黙々と巡礼のように同行二人の思いで訴え歩き続けた。
そして漸く終盤が見えるところにまで辿りついた。抗がん剤イレッサ副作用被害の裁判としては最後の,判決を聞くために202号法廷の中に入り席に着いた。 |
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・・・主文,一審原告らの各控訴を棄却する。
このあと続いた裁判長の読み上げる判決文の要旨が、まるで宗派の違う経文を聞いているように耳の中に流れ込んでいた。怒りもなかった。悔しさもなかった。・・・今の時代、これで良いのだと皆が思っているのならこれで良い。そう感じて、懐の娘の写真をそっと撫でて法廷を後にした。 |
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