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2013年のあゆみ

12月18日(水)  薬害イレッサ訴訟に参加していただいた弁護団や支援のみなさん達20人で忘年会を行いました。午後より冷たい雨が降りだし、夜になると初雪に変る可能性もあると予報されている中、新宿の歌舞伎町の居酒屋で19時より、楽しく、賑やかに一年を振り返りました。

12月13日(金)  鈴鹿医療科学大学薬学部(三重県鈴鹿市)より、薬害問題について学生に話して欲しいとの依頼で、11時10分より90分間、約100名の4年生の学生と一部教職の皆さんに、薬害被害にまつわるさまざまな問題を、そして今年、最高裁判決が下され原告敗訴で終結とされた抗癌剤イレッサ(2002年7月、アストラゼネカ社より販売が開始された直後より副作用被害が多発、僅か2年5ヵ月で557人の死亡者を出した) 被害の経緯を聞いていただきました。

11月13日(水)  「提言・患者の権利法 大綱案・・いのちと人間の尊厳を守る医療のために(日本弁護士連合会 人権擁護委員会・編)」の出版記念で、患者の権利・団体との意見交換会が、日本弁護士連合会人権擁護委員会の主催で東京・霞ヶ関の弁護士会館17階1701会議室において(午後6時〜午後8時)開催され当会も一患者団体として招かれ参加した。開催に先立ち関東近県に在住の患者団体(会)約10団体に参加の打診がなされ参加したのは、日本難病・疾病団体協議会、医療過誤原告の会と、私たちの会の3団体のみで傍聴も少なく少し寂しい開催となった。「枠を作らず垣根を超えて」を常々の教訓として今回の意見交換会に参加したのだが不参加の団体が多くて残念。それでも中身の濃い意見交換会であった。患者の権利法で守られる人、権利を主張しないままに悔しさ悲しさを殻に閉じ込め諦める人、主張し戦い続けるも権利が認められず見捨てられた人、・・・それでも、少しづつ前に進んでいるという。そんな人たちを無くす為に必要なんですと、理解していないと思われてか・・力説される。解っているのです。理解しているのです。ただ、見捨てられた人達の人権はと思うと、私たちも辛い経験を繰り返した身、胸が締め付けられるのです。終了後、内幸町の素材屋で2人だけのお疲れ会。風邪の熱を吹き飛ばすビールの冷たさが荒れた喉にしみる。

11月11日(月)  関東地方で木枯らし。・・・冬の到来を知らせる木枯らし一号が、夕暮れ時の関東地方に吹き荒れた。

10月29日(火)  イレッサ訴訟和解勧告に関する厚労省の下書き提供問題・情報公開請求訴訟の裁判(判決)が東京地裁7階705号法廷:午後1時25分〜より開かれ傍聴した。裁判は、「原告の請求をいずれも棄却する。」として、僅か5分弱で閉廷。判決の内容は(判決文一部抜粋)【本件聴取記録に含まれる情報が情報公開法5条2号イに規定する不開示情報(法人等情報)にあたるか否かについて・・・本件聴取記録に含まれる法人等は、医学関係の学会であり、本件被聴取者である学会関係者の氏名、押印、所属する学会名簿、役職、回答内容等は、当該学会に所属する者が、本系事情聴取の対象となったことなどに関する情報である。イレッサ訴訟問題については、イレッサ弁護団や各種報道機関等から、「産官学の癒着」、「ヤラセによる和解拒否」、「科学者としての倫理観の欠如」などとする強い批判が学会にも向けられている。本件調査において調査の対象となった学会等を特定する情報が開示されると、その真偽にかかわらず、当該学会等が厚生労働省や製薬会社と癒着しているなどという批判を受けるなどして、当該学会等の社会的評価が低下するなどの不利益を被り、当該法人等の権利その他正当な利益を害するおそれがある。したがって、上記の各情報は、情報公開法5条2号イに規定する不開示情報にあたる。】と原告の請求をいずれも棄却する判決が下されました。裁判終了後・東京弁護士会館509会議室において約30名の皆さん参加の中、報告集会が開かれました。

10月26日(土) 薬害根絶フォーラム(第15回)時間:13:00〜17:会場:慶応大学薬学部芝共立キャンパス1号館地下1階マルチメディア講堂・・が開催された。今回は数日前から沖縄方面に停滞していた台風27号の動き次第では関東直撃もあると予想されていたことから開催も危ぶまれていたが、幸運にも、台風の関東通過はなく、無事に開催。雨の中140名もの皆さんに参加していただいた。

9月29日(日)〜2日(木)  金沢大学医学部・薬学部・保健学科(看護中心)の学生のみなさん。時間:17:30分〜19:00  場所・・十全講堂。演題:「がん患者の命の重さを問う」〜イレッサの副作用で死亡した人の命の重さと権利とは・・の講演のために金沢へ。金沢大学十全講堂の講演では、大勢の学生の皆さんや教職員、看護学生に参加して聞いていただいた。後に送っていただいた感想文では、薬害被害者の講演や、この度のイレッサの被害に関する話は、被害者が延々と自己の主張を述べるだけの話だろうと思って気重であったが、とつづられ・・・しかし、講演を聴いてこれまで描いていたこの手の話に関して誤った考えを持っていたことに気付かされた・・と多くの学生の方たちがレポートを寄せていただいた。イレッサの処方の在り方、インフォームドの大切さ、新薬の添付文書は隅々まで読めと教わった授業を肝に銘じて医療従事者として今後に生かしていきたいと多くのレポートは綴られていた。講演が終わって・・・7年も金沢に出掛けていながら、全くのトンボ帰りが続いていたこともあり、今回は市内や能登半島を一周する観光を企画してホテルを予約。恵まれた天気の中を駅前で借りたレンタカーで、素晴らしい金沢を、能登の各地を満喫することができた。

9月19日(木)〜20日(金) 広島大学薬学部三年生・患者志向型合宿勉強会が、グランドプリンスホテル広島において行われ、全国薬害被害者団体連絡協議会(薬被連)に加盟する団体より、7名を講師に招きグループに分かれてそれぞれの薬害被害を2日間に亘って勉強、報告が行われました。イレッサ薬害被害者の会からは近澤が参加しました。 

9月15日(日) 薬被連の世話人会が京都・スモンの事務局で行われ参加しました。交通手段は、今回も、前夜の午後9時30分に東京駅八重洲口を発車する高速バスを利用しましたが、台風の接近ということで帰りの足を心配しながらの京都行きとなりました。

8月24日(土) 昨日23日、薬害根絶デーが開催されました。次から次と繰り返される薬害被害を断ち切ろうと続けられて今年で14回目(第一回開催は2000年8月)を迎えます。イレッサ薬害被害者の会も、会が発足して以降9年続けて参加し、薬害の根絶を!、イレッサの被害を知って下さい!、がん患者の命の重さを!と訴え続けてきましたが、今年参加して感じたことは、イレッサは・・既に過ぎ去った被害、多くの人達の心には次の新たな薬害へと関心と活動の心は移っているように感じて、何とも悲しく、虚しい今年の薬害根絶デー参加となりました。メディアのほとんどに薬害根絶デーの報道はなく、翌24日のしんぶん赤旗の記事でも、イレッサ薬害被害はこれまで繰り返し起こされてきた薬害被害の、その中の一つに過ぎず、唯一、薬害問題を根底から追及している新聞と信じて購読を続けてきましたが、赤旗でもこうなのかと悔しく残念でなりません。例え、最高裁の判決は出されても、裁判では終結したとは言え、何一つ解決されないこのイレッサ被害を過去の被害とする。何も知らされず、新薬の実験台となって亡くなった私たち家族が経験したこの被害を、ただ、今後の教訓とするのみでは亡くなった者は浮かばれません。「薬害の根絶」がただのお題目となっては・・・。

8月15日(木) 12時30分イレッサ弁護団のお一人と代々木で待ち合わせ。訴訟支援への挨拶回りを行いました。終戦の日の今日、お盆休みになっている会社も多く、電車は比較的空いている感じです。代々木のお伺いした会社では、お昼休みの時間をさいて10人もの皆さんに集まって聞いていただきました。この後・近澤は日比谷線の入谷にある団体へ、そして午後4時ころに人形町と回って、本日のご挨拶回りは終了。気温は35度と少し低め?ですがアスファルトからの照り返しはまさに灼熱、ジリジリと焼け付くような暑さでした。

8月 7日(水) 薬害イレッサ訴訟を支援する東京・板橋支援連絡会の解散・報告会が、午後6時30分より、板橋区小豆沢の小豆沢歯科ビル2階会議室において、参加者27名(内・子供3人)の皆さまにお集まりいただき開催されました。2007年1月に地域支援として立ち上げていただいて以降、ほぼ毎月、定例会を開いて、裁判傍聴や活動拡大、署名集めなど続けていただいた支援の会でした。代表には医療関係者の西川さん、事務局代表には健康文化会の日向寺さん、事務局長には薬剤師の千田さん、この三人の方たちを中心にして、訴訟の勝利を目指し懇親的な活動を続けていただきました。言葉では言い尽くせないほどの励ましと支援を6年間に渡り続けていただきました。時には言葉もまだ分からないロシアからの研究生が参加したり、小豆沢病院の院長先生が参加されたり、勉強会や講演会を開催していただいたりと、このイレッサの死亡被害は余にも異常だ、何の説明もないままの医薬品の使用は医療ではない、このような被害は二度と医療の現場で起こしたくないとたくさんの病院関係者を集めて活動を続けて来ましたが、今日で最後の集会となりました。 

8月 6日(火) 今日の各・団体への挨拶回りには弁護団から事務局長の阿部弁護士、それと、東京支援連絡会の土田さんが参加していただき、午前11時よりお茶の水の数ヵ所の団体へのご挨拶をせていただきました。その後、新大久保、御苑と回り、午後4時過ぎ目黒の団体へのご挨拶で本日のご挨拶回りは終了です。出掛ける前の朝の天気予報では、雨模様の蒸し暑い一日とのことで、傘を持参し、帽子は要らないな・・と出掛けたのですが、何と!、ジリジリと照りつける太陽、気温は32度前後。これって幸なのか不幸なのか・・夕方まで雨は降りません。数日前から続いている扁桃腺の腫れによる熱はいっこうに引かず、容赦なく照りつける灼熱が坊主頭には堪え、辛い行脚の一日となりました。後・数日、あと、数日で、これまでご支援、ご理解を頂いたすべての皆さまへのご挨拶回りは終わります。これは、敗訴原告としての私の、せめてもの皆さまへ出来る最後の仕事。洩れのないように最後の団体、お一人へのご挨拶が済むまで。 

8月 5日(月) 今日のお礼挨拶回りは、午前9時30分より、渋谷区千駄ヶ谷の団体からスタートして新宿御苑、新宿三丁目と回りこれまでの支援の御礼をいたしました。何処でも暖かく迎えていただき、お話を聞いていただきました。今日は朝からじりじりと焼けるような暑さです。坊主頭に灼熱が降りかかり、めまいがしそうでした。2日前から、扁桃腺を腫らし少し高めの熱が出てしまい、辛い挨拶回りとなってしまいました。明日は、この熱が引いてくれると良いのですが... 。 

7月 31日(水) 今日の団体へのご挨拶は、午前9時立川市から始めて小平市と回り、午後は中野区方面へ。一日4〜5件の予定で体調とも相談しながらですが、以外と一人での要請も亦楽しからずやです。しかし、蒸し暑さには閉口しております。 

7月 30日(火) 薬害イレッサ訴訟が終結して既に4ヵ月近くが経過しましたが、ようやく支援していただきました各・団体へのお礼のご挨拶に回っています。今日は、午前9時から川崎、大田区方面を回って港区の田町駅周辺の団体へ、午後からは四ッ谷駅の主婦会館とご挨拶させていただきました。 

7月 27日(土) イレッサ訴訟が終結して4ヵ月近くが経過したが、余りにも漠然とした判決の中身にいつまでも釈然としないままの状態が続いている。・・・被害が起こされて、そのことが原因で多くの死亡者が出たことには誰も異論は唱えていない。では、この責任の所在はどこにあるのだろうか?となると、誰もが口をつぐむ。裁判所でも意見が分かれた。一審の地裁判決では、・・「全国的に起きたこの被害は、医師の一人二人が添付文書を読み誤ったというのであればともかく、多くの医師が読み誤ったと考えられるときには、医師に対する情報提供の方法が不十分であったとみるべきである。」と、製薬会社と一部国の責任を認めた。しかし、控訴審の高裁判決では一転、「抗がん剤の処方には癌に精通した専門医がおこなうもので、それぞれの医師がしっかりと添付文書を読み解いていればこの被害は起きなかった。」とし続いて上告した最高裁判所は、高裁判決を支持する判断を示し、国も製薬会社にも責任はないとする決定を下し終結した。何度もお話してきたが、全国的に発生したイレッサの死亡被害について、一人や二人の医師の責任とするには余りにも無理があり、ことの原因を究明しなければ被害は繰り返されるとの判断で、私たち原告は医師を訴えてはいない。ということは、このイレッサに関する被害は・・こんなにも大勢が亡くなっていながら、その責任はどこにもないことにされてしまった。この、亡くなった者の中にはまだまだ生きられる命が、「副作用が少なく延命の効果が大きい・夢の新薬」、と当時出された情報を信じて、まるでビタミン剤のような処方を受けて、医師の管理もない自宅服用の中で息を詰まらせ亡くなっている。最高裁判所は判決の中でこう述べている。・・「法の目的が、製造者の責任を規定し、被害者の保護を図り、もって国民生活の向上と国民経済の健全な発展に寄与することにあるならば、有用性がある新規開発の医薬品に伴う副作用のリスクを、製造業界、医療界、ないし社会的により広く分担し、その中で被害者保護、被害者救済を図ることも考えられて良いと思われる。」。被害者に、そしてその遺族に対して言い訳的に配慮を示してはいるが、法に、こんな抜け道的な判決は予想もしなかった。そうか、このような判決の示し方があったのか!。このような、万一の判決も予想して、二重にも三重にも対応できる被告を作っておく必要があるという事か。
<仮にの話し、医師も訴えていたら、裁判所は、この被害を医師のみの責任としたのか疑問を呈する>
やはり・・何とも釈然としない。ほんとうにこれでよいのであろうか。
今後の教訓とするのみで・・・。
これでは、私の無念さは一生消えない。

7月 24日(水) 薬害イレッサ訴訟でお世話になりました皆様、各・団体へお礼状を発送しました。本来ならばお世話になりました方々すべて、直接にお伺いしてご挨拶しなければならないところですが、失礼をお詫びしながら約70通発送しました。 

7月 21日(日) 7月4日に公示され始まった第23回参議院選挙の投票日、即日開票の結果午後9時ころには大勢がほぼ決定した。予想通りの自民圧勝で、参議院のねじれも解消とどのテレビでも放送している。聞き様によると、ねじれは悪かったと聞こえるのは、私の心がねじれているからだろうか。・・暴走許すまじ!!。そう思わずにはいられない。
これまで何度、選挙に一喜一憂したことだろう。・・・時には、あ〜、これで日本は終わりだと感じたり、国民はバカじゃないんだ、これで日本は変ると期待したことも何度もあった。・・・しかし振り返ると変ったのは利便性のみ。
もう、と〜い昔のこと・・、宮崎の一葉海岸の松林の中にあった国立病院・赤江療養所。この病院で結核の治療で入院していた昔のことである。仲間の患者たちと夕食前の一時をテレビ室でテレビを見ていた。そのとき、何を観ていたのかも覚えていない。相撲だったのか、ドラマだったのか記憶は定かではないが、日本社会党委員長の浅沼稲次郎さんが、日比谷公会堂の壇上で演説している画面である。つつつつと、突然走りよった男が浅沼さんの脇腹あたりにぴたりと張り付き、その瞬間、浅沼さんはその男に驚き体を斜めにしメガネが外れた。・・・これが、1960年10月12日の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件である。この時の犯人が当時の私と同じ17歳の少年であったということ、たまたま観ていたテレビのあまりのショッキングな映像は、今も生々しく胸の中に残り続けている。たいへんなことが起こった!!、この先日本はいったいどうなるのだろう。そう不安を感じ、そして、この事件をきっかけに私は政治に興味を持つようになった。
暴力で政治をかえることは出来ない。また、その行為は絶対に許されない。しかし、このままではきっと・・国民の怒りは沸騰点に達してしまう。天下国家を論じる前になすべき基本的政治を忘れているのではないだろうか。怒りが爆発しない前に人民のためになる政治を・・・そう願って今回も一票を投じた。

7月 12日(金) 阪神調剤薬局の2013年度フォローアップ新人研修に講師として参加させていただきました。新大阪駅前の新大阪丸ビル別館2Fにおいて2日間にわたり行われました研修・学習会の最終日の今日は、午後1時より午後5時まで、薬害被害に関する学習ということで、今年入職された約60名の新人の薬剤師の皆さんに、・・薬害被害が及ぼすさまざまな問題と、関連してイレッサ薬害被害が起きた原因と、この被害を教訓とした今後の課題・・について聞いていただきました。

7月 6日(土) 関東地方の梅雨明けが宣言されました。昨年と比べると今年の夏は、訴訟も終結したことで街頭での行動はほとんどなくなったから体力的には楽な夏を過ごせるかも・・。

7月 4日(木) 午後6時30分より、板橋支援連絡会(東京・板橋区)の事務局会議が板橋区志村の健康文化会事務所において行われ参加しました。 

7月 4日(木) 参議院議員選挙が今日公示され、午前8時30分より立候補の受付が開始されました。投票日は21日です。しっかりと見極め投票したいと思います。 

6月 28日(金) 午後6時30分より、薬害イレッサ東京支援連絡会として最後の連絡会総会が、四谷区民センター11F集会室2・3東京都新宿区内藤町87番地において、約40名の皆さまに参加していただき開催されました。司会進行には牟田さんと中央大学の清野さんに務めていただき、開会あいさつとして宮地典子さんより、今日までの行動の経緯、最高裁までの戦いを振り返っての感想を、中でも、裁判の中での被告・アストラゼネカの、「育薬上仕方のない被害である」との主張には、一薬剤師として、思い出すたびに怒りが湧いてくると製薬会社としての人命軽視の欠落に対して訴え続けて行きましょうと述べていただきました。続いて、原告あいさつとして近澤より、提訴から最高裁判決までの8年5ヵ月に渡った支援に対するお礼と、訴訟に対する思いを述べさせていただきました。弁護団より阿部事務局長より裁判の意義と成果について、小池盛明支援連事務局長より7年間の活動総括を、そして意見交換では参加者の皆さんより多くの思い、今後に対する意見・提言など出していただき午後8時閉会しました。閉会後、御苑駅近くでほとんどの皆さんに参加していただき懇親会を行いました。 

6月 13日(木) 薬害イレッサ西日本訴訟報告集会が午後6時より、エル大阪701号において約60人の参加者の中で開催されました。この集会は、薬害イレッサ西日本訴訟としては最後の集会ということで、これまでさまざまな事情で行動参加が出来なかった原告たちも出席して、9年近くのご支援に対するお礼を述べました。参加していただいた皆様からもご意見とこれからの思いを発言していただきました。

6月 6日(木) 第38回全国公害被害者総行動デーが今年も開催され、お昼から官庁街を一周するデモ行進、午後6時からの日比谷公会堂で行われたされる総決起集会に、薬害イレッサ訴訟(イレッサ薬害被害者の会)も参加して、薬害イレッサ訴訟に対するこれまでのご支援へのお礼を述べさせていただきました。

6月 5日(水) 午後6時30分より、東京・板橋区志村の健康文化会事務所において、板橋支援連絡会事務局会議が行われました。 

6月 2日(日) 薬害被害と制度を学ぶ 公開講座の第二回目が午後2時より、東京・神田駿河台の中央大学駿河台記念館570号において開催されました。今回は、イレッサ訴訟原告団代表として活動してきました近澤昭雄が、「イレッサ副作用被害〜がん患者の命の重さを問う10年の歩み〜」>について、イレッサ訴訟弁護団事務局長の阿部哲二氏より、「抗がん剤副作用被害救済制度の創設に向けて」、参加者40名の皆さんに聞いていただきました。学生の皆さん、また、薬害被害者の方たちや薬剤師のみなさんにも参加していただき多くの質問も寄せていただきました。

5月 23日(水) 午後3時より、抗がん剤副作用被害救済制度創設の国会議員へ要請のために、永田町の衆議院第二議員会館第4会議室に集合、参加していただいた15名の皆様と手分けして、衆参厚生労働委員の議員の先生方に資料を持参して説明、この制度創設に向けたご理解とご協力をお願いいたしました。 

5月 17日(金) 薬業総行動学習会(薬害と製薬企業のあり方を学ぶ学習会)が、日本橋公会堂(東京・中央区日本橋蛎殻町日本橋区民センター内)において、15:00〜17:00開催されました。
今年度の薬業総行動学習会は、最高裁判決が下された薬害イレッサの問題を製薬企業で働く皆さんと考えようとの企画で、講師に近澤昭雄氏(イレッサ訴訟原告団代表)が招かれ約一時間の講演を行いました。

5月 11日(土) 午前7時に大阪駅高速バスターミナルに到着。以前と比較して、バスを利用する人たちが多くなったようで今回も満員の車内は身動きも出来ない。10時に天王寺で約束の時間まで暫くはのんびりとコーヒーが飲めると早速、行きつけの店へと向かう。
10:00〜天王寺の医薬ビジランスセンターで13:00まで対談取材、終了後、阪急に乗車して京都・烏丸駅へ。15:00〜薬被連世話人会へ出席。17:30分に終わって懇親会。〜大阪駅近くのホテル到着8時と長い一日。・・・疲れました。
翌・12日は午前8時より午後9時まで、大阪、京都と私用で飛び回り、再び大阪より帰りのバス、22:20分発に乗車して13日午前8時30分に新宿到着・・帰路、高速道路の集中工事の影響ということで乗車時間が10時間にもなる。下車の際、多少のめまい・・大丈夫かな? エコノミックシンドロームの不安。。

5月 10日(金) 19:00〜21:00 薬害被害と制度を学ぶ・・公開講座が場所・東京:新宿区早稲田・・早稲田奉仕園行われ参加しました。講師・サリドマイドの増山ゆかりさん、関口正人弁護士
・・終了後、明日・11日京都で行われる薬被連世話人会出席のため、東京駅八重洲南口のJRバスターミナルに移動、22:10分発のバスに乗車してしばし窮屈なバスの旅で大阪へ向かいました。

5月 9日(木) 18:30から、東京都新宿区御苑、スモン・公害センターにおいて、薬害イレッサ訴訟東京支援連絡会の最後の事務局会議が行われました。  

4月 12日(水) 最高裁判所第三小法廷において、午後3時より判決が行われ、原告の上告を棄却する決定が下されました。この判決により、2004年7月提訴の西日本訴訟は8年9ヶ月、2004年11月に提訴した東日本訴訟の8年4ヵ月をかけた長い戦いは終結しました。

4月 12日(水) 午前10時〜、薬害イレッサ訴訟の最高裁判決に関してNHKの取材を受けました。 

4月 10日(水) 午後2時より5時まで、12日に行われるイレッサ訴訟の最高裁判決に関して、しんぶん赤旗の取材を受けました。

4月 10日(水) 全国450店舗を展開する薬局チェーン、クオール株式会社の2013年度新人研修での講演、前回5日同様に午前10:20〜1時間、話をさせていただきました。

4月 5日(金) 全国450店舗を展開する薬局チェーン、クオール株式会社の2013年度新人研修が、東京・中央区八重洲で行われました。このクオール株式会社に今年新たに入職する薬剤師、370人の皆さんに、医薬品に関する健康被害の問題について講演をして欲しいとの依頼をいただき、午前10:20〜約一時間、医薬品における有害事象、副作用が薬害へと発展する問題、この中ではイレッサという分子標的薬の発売からその被害の経緯を、また、薬害被害者が続けてきました薬害根絶運動について等を聞いていただきました。

4月 3日(水) 午後8時より約20分間、J-WAVEのラジオに出演して、イレッサ訴訟に関するこれまでの経緯について話をさせていただきました。

4月 2日(火) 午後1時過ぎ、最高裁判所よりの連絡で、薬害イレッサ訴訟の東日本訴訟(東京高裁分)について,国に対しては上告不受理、企業は受理で4月12日に判決との連絡が最高裁より弁護団へ連絡があった旨報告がありました。東日本訴訟の国に対する敗訴は本日確定しました。

企業に対する判決は4月12日ですが、弁論再開はありませんので、判決理由については修正がある可能性はありますが、敗訴は確実と思われます。西日本訴訟(大阪高裁分)については,未だ何の動きもありませんが,同じ小法廷に係属し,担当裁判官,担当調査官も同一ですので,おそらく遅くない時期に,同様の結論となると思われます。・・・このような結果が下されて真に残念としか言いようがありません。

4月 2日(火) 午後2時、東京・品川区西五反田のJR総連へ、個人、団体併せて4万5千筆もの署名を集めていただきましたお礼も兼ねて要請にお伺いしました。

4月 2日(火) 薬害防止議員連盟創立総会が12:00〜13:00、参議院議員開会一階101会議室において開かれ、薬被連の一世話人として参加しました。会長に自民党・尾辻秀久参議院議員、事務局長にみんなの党・川田龍平参議院議員、他・公明、生活、共産、みどり、改革の衆参議員の超党派による皆さんが参集、今後、薬害の再発防止の制度創設の実現に向けて定期的な議論が進められることとなりました。

3月29日(金) 午後1時〜午後8時、静岡民医連による奨学生合宿が、静岡・御殿場市の御殿場高原・時の栖で29日〜30日の二日間に亘って行われ、その第一日目、午後二時からの、「薬害を学ぶ」で、講師として招かれ参加いたしました。参加された学生の皆さんは、薬害、医学、看護学、法科とさまざまでした。午後6時までの学習会の後・ホテル内で懇親を兼ねて食事会まで参加させていただきました。午後8時過ぎのシャトルバスで三島駅へ、新幹線こだまで東京駅から埼玉大宮駅23時前に着。

3月28日(木) 午後1時〜、東京都千代田区紀尾井町1-1 千代田放送会館7階・BPO(放送倫理番組向上機構)において、2012年5月16日・申し立ての件で審理についての書面の交付がありました。

3月22日(金) 午前8時15分より最高裁判所西門付近において約1時間の早朝宣伝行動を行いました。今回は、国民救援会の支援を受ける各・訴訟中の民事事件、刑事事件のそれぞれの団体の皆さんとの連携行動でした。薬害イレッサ訴訟からは、支援連の皆さん、弁護団、原告等10名が参加して訴えを行いました。この後、10時より最高裁判所内の会議室において他団体の皆さんと共に要請を行いました。

3月19日(火) ソメイヨシノ桜の開花宣言が17日に気象庁より出されました。
まだまだあちこちでは梅の花も満開となっているこの時期、今年はかなり早い桜の開花です。とはいえ、さいたま市の大宮公園ではまだ、まばらにしか咲いていません。桜というと、やはり、入学式で校門をくぐる時に満開となって迎えてくれる4月の上旬に咲いてくれる桜が一番ですね。

1月14日(月) 成人式の今日、関東地方に初雪が降りました。午前10時ころから降り始めた雪はお昼頃には2〜3センチの積雪となり、以降も絶え間なく降り積もり、首都圏の交通機関では運休や大幅な遅れが出ました。ここ、さいたま市でも午後5時頃には10センチ超の積雪になりました。

1月2日(水) 穏やかな年明けです。10年もの間、戦い続けて来たイレッサによる副作用被害。イレッサの誤った情報により、その使用で亡くなったことに対する裁判は、今、最高裁判所で審理が行われている。公開の裁判が行われないことから、いつ終るのかまったく分からないが今年こそ解決できることを願っている。裁判が始まって、訴えの中身について、訴訟活動について、多少の違和感を感じてその都度いろいろと言って来ました。・・・あいつがどもならん、こいつがどもならん、と・・ しかし、思えば・・おいらが一番どもならん。だったのかも知れません。


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