HOME

 イレッサ薬害被害者の会

リンク集 お問合せ
HOME > 活動の記録 > 2011年のあゆみ

2010年のあゆみ 2012年のあゆみ


2011年のあゆみ

12月 27日 抗がん剤による健康被害の救済に関する検討会が,厚労省12階の専用第12会議室で(10:00〜12:00)開催,傍聴しました。

12月 22日 東京支援連会議・新宿御苑・スモン公害センターで 18:30〜20:00。この後20名ほどの皆さんと忘年会。

12月 20日 11:30〜東京地裁705号で薬害イレッサ「下書き」問題情報公開請求訴訟の第1回口頭弁論期日が開かれました。  <次回期日は2012年3月13日 午前11時30分 東京地方裁判所705法廷>

12月 19日 午後5時30分より,埼玉・桶川駅で打合せ。

12月 18日 10:30〜新宿南口で原告のSさん,加藤弁護士と今後について打合せ。終了して午後1時30分より上野で打合せ。

12月 14〜15日 大阪高裁期日のため14日23:20分新宿南口発の高速バスで大阪へ向い8時過ぎ大阪着。10時30分大阪高裁へ, 11:00より裁判〜12時過ぎより弁護士会館で報告集会〜弁護団との打合せ〜懇親会〜終了午後8時。長い一日の行動が終わってさいたま市に戻ってきたのは深夜1時近くでした。・・お疲れ。

12月 9日  17:00〜19:30,「学生のための薬害イレッサ勉強会」が,早稲田大学8号館で開催され,50人超の学生が参加しました。

12月 9日  朝8時ころより雪が降り始めました。・・初雪です。

12月 8日 8:30より, 厚労省前行動<マンスリー>9:30分迄,以降,参議院議員会館に移動して午前中議員要請

12月 7日 14:00より,全日本民医連出版の雑誌「いつでも元気」の取材を日比谷公園内で受けました。

12月 6日 11:00より,目黒・JR総連〜JR東日本労組〜日赤労組に,支援のお礼と今後の行動取り組みに向けて要請を行いました。阿部弁護士,江川さんと共に。

12月 5日 抗がん剤による健康被害救済制度検討会,厚労省18階専用第22会議室において18:00〜20:00,開催されました。

11月 27日 医療と人権公開講座・・(大分県消費生活・男女共同参画プラザ<大分市東春日町1−1>)において,「ガン患者の命の重さを問う」−夢の新薬,イレッサで死亡したガン患者の命の重さと権利について,午後1時30分〜3時の90分間,講師として講演しました。

11月 25日 午後9:20〜,大阪毎日放送ラジオ・たねまきジャーナル・に電話出演。

11月 23日 第20回・国民の医療シンポジウム 「イレッサ薬害訴訟における国・企業・関係学会の責任 -訴訟を通じての教訓を考える-」が東京御茶ノ水・全労連会館で(10:00〜16:00)開催されました。

11月 19日薬害根絶フォーラムが東京・田町駅側の女性就業支援センターで(13:00時〜17:00)開催されました。

11月 18日 午後2時〜4時,厚労省18階専用第22会議室,抗がん剤による健康被害救済制度の検討会

11月 17日 薬害イレッサ東日本訴訟原告団は東京高裁判決について最高裁判所に上告および上告受理申立てを行い,午後4時30分より司法記者クラブで会見を開きました。

11月 16日 10:00〜,衆議院第一議員会館第一会議室(衆参議員への裁判説明と要請)〜12:00参議院議員会館に移動・院内集会(参議院議員会館地下B-107会議室・約2時間)〜14:30より議員要請,16:30終了。

11月 15日 薬害イレッサ裁判・東京高裁判決日(東京高裁101号法廷)=12:00〜裁判所前集会,12:40〜入廷行動12:45〜傍聴券配布抽選,13:15〜判決(開廷から10分で終了),13:30〜判決報告集会(裁判所前で),14:30〜報告集会(弁護士会館508号会議室),弁護士会館5Fにおいて約10分NHK取材,16:30〜司法記者クラブにおいて会見,新宿に移動・日民協において対策会議19:30まで,〜スモン公害センターでお疲れ会22:30散会。

11月 15日 テレビ東京取材 8:00〜 埼玉・大宮自宅から大宮駅までを。

11月 11日 テレビ東京取材 埼玉・大宮自宅 13:00〜

11月 10日 毎日しんぶん取材 埼玉・大宮自宅 15:00〜

11月 9日 金沢医科大学医学部3年生教職員講演 13:00〜14:50

11月 5日 しんぶん赤旗取材・日比谷公園内レストランで,午後1時〜。

11月 3日 読売新聞取材・大宮の自宅で,午後2時〜。

10月29日 「薬害イレッサ問題について考える−原告の生の声を聞きながら考えよう」と題して,東京都新宿区新宿1-14-4 AMビル日本民主法律家協会会議室において学習会10:30〜12:00を開催しました。

10月27日 薬害イレッサ西日本訴訟控訴審第1回裁判が,大阪高裁202号法廷で開かれました。

10月26日 木枯し一号が吹いたと気象庁が発表。

10月26日 千葉大学薬学部講義 10:30〜12:00・・西千葉総合校舎

10月25日 イレッサ東京訴訟の控訴審裁判が,午後3時30分より開かれ原告,被告双方より意見陳述の後,裁判所は合議に入り,合議の後,この審理で結審しますと,裁判長より申し渡されました。同時に,判決日は11月15日午後1時15分より行いますと指定されました。

10月22日 12:00より,埼玉・上尾市の新埼玉霊園で法事。

10月21日 「第3回・抗がん剤による健康被害の救済に関する検討会」が,東京港区新橋の航空会館7階大ホールにおいて17:30〜19:30,開催されました。前回に引き続き関係者からのヒアリングとして,臨床腫瘍学会,愛知県がんセンター,患者から2団体,が参加。意見を述べ,質疑が行われました。

10月20日 東京高裁第10民事部に対し支援の皆さん,弁護団と共に署名提出を行ないました。
個人署名5012筆(累計19811筆)団体署名203筆(累計1251団体)

10月17日 三津子が亡くなって9回目の命日を迎えました。
お花や大好きだった飲み物などを持って命日の墓参に出かけました。娘が受けた副作用被害については,提訴から7年を迎えても未だ何一つ解決はしてません。被告,国もアストラゼネカも抗がん剤による副作用の死亡被害は仕方がない被害であると主張し続けています。多くの者が、この被害は医師の過失であると言い,アストラゼネカを訴えたことで医療は萎縮と混乱が生じている、医師を訴えるのが筋だと言います。この主張を100歩譲ったとして、では何故,素晴らしく効果のある、副作用の少ない薬と承認前から宣伝してまるでビタミン剤でも売るような販売を行ったのか。まだまだ生き続けられる多くの命が失われたことを何一つ知ろうとしないで非難を続ける。信じて服用した患者は浮かばれないでしょう。

10月12日 金沢大学医学部講義・・午前10:30〜12:00   薬学部(角間) 講義・・14:45〜16:15

10月7日  18:30〜東京支援連の会議が新宿御苑のスモン公害センターで開かれ参加しました。

10月 6日 午前8時30分より約一時間,霞ヶ関・厚労省前で,イレッサ訴訟の早期解決を願って,支援の皆さんや弁護団と共にマンスリー宣伝行動を行いました。たくさんの皆さんにチラシを受け取っていただきました。・・・しかし,近澤がマイクを握って訴えていると前に立ち止まった50過ぎで一応身なりの整った,この近く,多分霞ヶ関の官庁に勤める方と思われましたが,"そんなに金が欲しいのか・このばかやろー"と罵声を浴びせて行く。今日から暫くはまた,この手の嫌がらせや非難などは覚悟しなければならないだろうな・・・とは予想していても,やはり悔しさと辛さは言葉に出来ません。昨夜,フジTVのニュースジャパンで,イレッサ問題が放映されて,続きは今夜も放送される。効いている患者もたくさんいることを強調して,これが薬害と言えるのだろうかと岩澤倫彦ディレクターは締めくくっているが,いずれにしても,何も知らされず,副作用も少ない,どこでも手軽に飲めますよ,とまるでビタミン剤でも渡されるように服用が始まり,その直後・何がなんだか分らない間に苦しみながら死んで行った我が子。発売から僅か2年5ヵ月で557人が亡くなって逝った現実。この悲惨さを訴え続けて,そして今では,この薬は重篤な副作用があるから,服用には注意が必要ですと,事前に危険性を知らされて服用には医師という保険,担保付で使用できる幸せ。万一,間質性肺炎が発症しても,すぐに医師が最善を尽くしてくれる。この両者を何の根拠で比較するのか?。この違いをこのディレクターはどのように考えているのだろう。
ま,どちらにせよ,この放送でまた暫くは嫌がらせや抗議の電話かぁ... 
抗議のメールや電話をされる皆様,どうかお手柔らかにお願いします。

10月 3日 「第3回・抗がん剤による健康被害の救済に関する検討会」が,東京港区新橋の航空会館7階大ホールにおいて18:00〜,開催。この検討会に参考人として近澤が参加,意見を述べ,委員の皆さんより,この制度について多くの質問が出されましたが,裁判の原告としてでなく,イレッサの副作用で娘を亡くした一遺族として,この制度の必要性を主として分る範囲で回答いたしました。まだまだ,多くの問題は議論しなければなりませんが,本・検討会が開催され,制度の創設が叶えばより良いガン医療の改革が又一歩進み,安心と信頼の医療にも繋がると,実現を望んでいるところです。

9月 15日 15:00〜15:30,東京地評争議支援の支援を受けて,東京日本橋口において多くの各・団体の皆さまと共にアピール行動をしました。アストラゼネカ東京支社に対して裁判の早期解決に向けた要請書を東京地評連名で提出しました。

9月 6日 午後6時〜8時,厚労省12回専用12会議室において,「抗がん剤による健康被害救済に関する検討会」を傍聴。

9月 6日 薬害イレッサ東日本訴第1回訟控訴審裁判が開かれました。

9月 5日 14:30〜,日比谷グリーンサロンにおいて江川さんと「薬害イレッサ学集会」の打合せ。

9月 5日 12時〜,東京高等裁判所第10民事部に伺い,早期解決の署名を提出。

9月 1日 午後1時〜,霞ヶ関・弁護士会館において控訴審への打合せ。

8月26日 午後3時〜,霞ヶ関・弁護士会館において控訴審への打合せ。

8月24日 薬害根絶デーに,被害者の会から6人で参加しました。今年は,薬害被害者団体(薬被連)が行う,10時からの文部科学省交渉,13時からの厚労省碑の前行動と,厚労省交渉には参加を取りやめ一般の参加の皆さまと共にリレートークやパレード,弁護士会館二階クレオで開催された集会,そして午後5時30分から銀座マリオン前で行われた宣伝行動と参加しました。

8月 8日 公明新聞の取材を受けました。東京・日比谷で13時〜2時間ほど。

8月 4日 朝宣伝・マンスリー行動に参加しました。午前8時30分より一時間,東京駅日本橋口付近において,支援の皆さん,弁護団の皆さんなど15人に参加していただきました。宣伝行動の中,9時より,原告・近澤がアストラゼネカ東京支社へ要請を行い団体署名を提出しました。

7月27日 薬害イレッサ東日本訴訟の原告のお1人である,新潟の浦澤茂さんが25日に急逝されました。68歳でした。2年余のご自身のガンとの戦いにも頑張っておられましたが力尽き,訴訟の解決を見る事もなく旅立たれたのは悔しく,申し訳ない思いで一杯です。院内集会の後,3時より近澤が代表して葬儀参列のため新潟に参りました。

7月13日 福井大学医学部(医学科6年生約150名)で講義を行いました。講義内容は「イレッサの副作用被害とガン患者の命の重さ」について(14:45〜16:15・一こま90分)。

7月 7日 朝宣伝・マンスリー行動が行われ参加しました。午前8時30分より一時間,東京駅日本橋口付近において,支援の皆さん,弁護団の皆さんなど13人に参加していただきました。

6月27日 「抗がん剤等による健康被害の救済に関する検討会・第一回」が,厚労省19階専用第23会議室において,午後6時〜8時で開催(関連資料はこちら),近澤が傍聴に参加しました。・・・抗がん剤による副作用被害という問題を議論,救済するための検討会としては,選出された各・委員の初心表明を聞く限り漠然として取り所をどこに置くのか厳しい船出を感じる。まず,この検討会は「イレッサによる死亡被害を教訓として」からスタートしなければさまざまな問題が広くなりすぎて土台すら出来ないままに継続に至らず,またも,時期尚早との結論も可能性ありそう。

6月24日 東邦大学薬学部(千葉県習志野キャンパス)で「薬害への招待」について講義を行いました。今年はA館401号に教室が変更,約400人超の学生でしたがほとんど私語居眠りも見当たらずメモを取り質問なども有り熱心な学生の多いのには感激でした。講義時間は,5時限14:50〜16:00・・10分休憩・・6時限16:10〜17:20でした。

6月17日〜18日 医療研究全国集会in新潟(場所:新潟県民会館大ホール)で,一日目の特別報告として,イレッサ薬害被害者の会が招かれましたので近澤が参加して被害の実態について話をいたしました(新潟日報掲載記事)。二日目は午前9時より新潟大学医学部においての分科会「薬と社会」にお昼まで参加,意見交換など致しました。近澤からは,これまでは被害について全て救済と一括りにされてきた部分があるが被害に遭っているのに救ってあげますは被害者からは違和感を感じる,救済の部分と償いと表記すべき部分を分ける必要があるのではないかと思いを述べました。

5月7日  ホームページアクセス数が20万件に達しました。

5月 1日 9:30〜10:30の一時間,メーデー参加で賑わうJR原宿駅参宮橋において支援の皆さんや弁護団,原告で宣伝行動,署名活動を行いました。

4月30日 13:00〜大宮パレスホテルで産経新聞取材 (長島さん)

4月28日 15:00〜衆議院第二議員会館第4会議室において,「薬害イレッサ問題の解決をめざす民主党議員の会」が開催され参加しました。

4月 5日 18:00〜新宿・オンブズパースンで打合せ。19:00〜国の控訴に対して原告と弁護団は厚労省記者クラブで会見。

4月 4日 大阪行き。12:30〜アストラゼネカ本社前で抗議行動,支援者100人近くが参加。13:30〜アストラゼネカ本社に対して早期全面解決の申し入れ。

3月31日 10:30〜11:30「薬害イレッサ問題の解決をめざす民主党議員の会」が開催。東京判決についての厚生労働省からのヒアリングが行われ参加。

3月30日 17:00〜アストラゼネカが控訴会見。23日の東京地裁判決を不服として,被告・アストラゼネカが控訴しました。

3月30日 12:30〜参議院議員会館地下会議室において,「薬害イレッサ事件の早期全面解決を求める院内集会」を開催しました。終了後,衆参議員に要請。以後打合せ17時過ぎ終了。

3月29日 13:00〜衆議院第二議員会館地下会議室において「薬害イレッサ問題の解決をめざす民主党議員の会」が開催され参加。終了後,衆参に対して17時過ぎまで要請。この後,新宿に移動,御苑の公害スモンセンターにおいて18:30〜イレッサ東京支援連会議に参加。

3月25日 13:15〜衆議院第一議員会館地下会議室において,民主党の議連に参加。

3月24日 10:00〜衆議院第二議員会館。14:00〜アストラゼネカ東京支社に対して申入れ。この後,15:30〜厚労省に対して申入れ。(大阪でも,16:30〜アストラゼネカ本社に出向き申入れ書提出)。17:00〜衆議院第二議員会館会議室で要請,打合せ。

3月23日 東京地裁判決申渡し日。13:00〜霞ヶ関・弁護士会館クレオで打合せ。14:00〜東京地裁前において判決前集会。この後,入廷行動,15:00〜東京地裁101号法廷において被告・国とアストラゼネカに対し被害者への損害を認める判決が申し渡されました。判決は主文の言渡しのみ開廷10分で終了。この後,弁護士会館クレオにおいて報告集会が開催。17:00〜,東京地裁2階の司法記者クラブにおいて会見。17:30〜,弁護士会館509会議室において打合せ会議。終了後,銀座にて懇親会。

3月22日 16:30〜新宿・オンブズパースンにおいて原告・弁護団会議。

3月19日 13:00〜,新宿・御苑,薬害オンブズパースンにおいて弁護団会議を開催,今後の行動,取り組みについて西の弁護団とテレビ会談を行う。

3月17日 東北沖地震の発生に伴ない死者,行方不明者は2万人を超える可能性。福島原発の全てが崩壊,政府,原発開発の研究者は未曾有の被害に対策も解らないまま烏合の衆の体。この被害を重く捉え,薬害イレッサ訴訟の全ての行動を暫くの間自粛と決定。

3月11日 2月25日に出された大阪地裁判決は受け入れることは出来ないとして不服として被告・アストラゼネカが高裁へ上告控訴しました。

3月11日 午後2:46分,東北・太平洋沖でマグニチュード9.0と人類が未だ経験したことのない大地震が発生。地震発生直後に予想もできないほどの津波が襲来,福島,宮城,岩手の東北三県は特に被害が甚大,全てが流され大勢の人達が津波によって亡くなりました。東京でも,大きな地震で全ての交通機関は止まり混乱。このさいたま市の近澤自宅でも,震度6弱の強い揺れで家具やパソコン・食器棚などが倒れるほどの大きな被害でした。

3月10日 午後4時〜、参議院予算委員会で川田龍平議員より、薬害イレッサ問題に関する質問が行われ傍聴しました。18:30〜,東京支援連絡会が新宿・御苑のスモン・公害センターで行われました。

3月 9日 8:30〜衆議院第一議員会館地下会議室。12:00〜判決を受け止め早期解決を求める官邸前行動を250人程の参加者で行いました。この行動の後,14:00〜15:30衆議院第一議員会館国際会議室において「薬害イレッサ訴訟の全面解決を求める院内集会」を開催,多数の国会議員の先生方に参加していただきました。16:30〜17:30JR東京駅日本橋口付近において,支援の皆さん,弁護団や東西の原告など参加,約60人でアピー行動を行いました。

3月 8日 大阪行き。12:00〜大阪・北区でアピール行動。この後,午後1:00〜アストラゼネカ本社に対して申入れを行う。午後3:00〜中島康之法律事務所において打合せ。17:00終了。

3月 7日 夜半より関東地方で雪が降りだし,さいたま市ではうっすらと積雪が見られました。

3月 5日 13:00〜民医連・東日本薬局長会議が東京大塚の大塚労働会館において開かれ,この会議に招かれ原告から近澤,弁護団から阿部弁護士が参加,イレッサ被害の経緯と訴訟の経過について約一時間説明。

3月 3日 16:30〜厚生労働省記者クラブにおいて記者会見。

3月 3日 13:00〜衆議院第二議員会館地下会議室。14:00〜15:30薬害イレッサ問題の解決を目指す民主党議員の会のヒアリングに参加。厚生労働省からの声明文下書き問題のヒアリング,イレッサ弁護団からは大阪地裁判決についての報告,日本公定書協会理事長土井脩氏の講演など行われました。

3月 2日 10:00〜衆議院第二議員会館集合,議員要請。12:30〜14:00薬害イレッサ訴訟大阪判決院内報告集会を開催。国会議員20名のご出席のほか、150名もの方々の参加をいただきました。この集会の後,午後3:30〜東京駅日本橋口において原告,支援者,弁護団のみなさん約50人で宣伝行動を行いました。

3月 1日 10:00衆議院第二議員会館地下会議室,12:00まで議員要請。12:00〜13:00衆議院第二議員会館前においてアピール行動(参加者約150人)。この後,午後6:30まで議員要請。この行動には,薬害肝炎原告10人が参加。

2月28日 8:30〜9:30の一時間,厚労省前において朝宣伝。宣伝の後,厚労省に対して申入れを行う。申入れの後,11:00〜厚労省記者クラブにおいて会見。12時〜アストラゼネカ東京支社に対して早期解決の申し入れ書提出。13:00〜18:30衆議院第二議員会館地下会議室・議員要請。

2月26日 大阪弁護士会会議室において(午前11時〜13時)薬害イレッサ原告団総会を開催。

2月25日 大阪毎日放送・ラジオ番組出演。「RADIO NEWS たねまきジャーナル」20:40〜22:00

2月25日 大阪地裁判決のために大阪へ。
12:00新大阪駅到着より関西テレビ取材。午後2時より大阪地裁前,若松公園において判決前集会(集会参加者は約200人)。午後3時〜午後3時30分,大阪地裁判決。この後,16時〜中之島公会堂において報告集会。

2月24日 午後3時20分から、衆議院予算委員会を傍聴。
高橋千鶴子衆議院議員が予算委員会で薬害イレッサ問題に関する質問を傍聴。

2月 21日 しんぶん赤旗取材,さいたま市・大宮駅近くパレスホテルにおいて,午後1:00〜午後3:30

2月 20日 川田龍平参議院議員を応援する会 新宿・エステックビル21において午後2:00〜午後4:30
2月 17日 関西テレビ取材・大宮市大成にて午後1:30〜午後7:30

2月 15日 女性自身取材,さいたま市大成で,午後2:00〜16:30 発売は3月1日号の予定。

2月 14日 関東地方にも積雪,所によっては5pにも。さいたまでは3〜4センチ。

2月 14日 団体要請,新宿スモン公害センター9時〜16:30 霞ヶ関の労働組合を中心に要請。

2月 11日 フジテレビ・ニュースジャパン取材・大宮・大成〜霊園 午後1:00〜午後5:00

2月 8日 大阪・新梅田シティ(タワーイスト36階)において2/8総決起集会 午後6:00〜午後8:00
帰りは午後10:20発 大阪駅・桜橋口より高速バスで帰京,新宿着7:20

2月 4日 13:30〜15:30 しんぶん赤旗取材・・代々木駅近くで。

2月 4日 12:20〜13:30 JR総連中央執行委員会開催の始めに,イレッサに関する訴え。

2月 3日 マンスリー行動 午前8:30〜9:30 厚労省前・・近澤風邪発熱のため不参加。

2月 1日 ホームページアクセス数が19万件に達しました。

1月31日 10:00〜しんぶん赤旗取材 大宮パレスホテル午後3時まで。

1月28日 9:30〜,衆議院第二議員会館1F第一面談室にて打ち合わせ。10:30〜参議院本会議,みんなの党川田龍平議員の代表質問を傍聴。<衆議院第二議員会館前ではアピール行動が行われました>。12:00〜衆議院第二議員会館1階102号において打ち合わせ。19:30〜厚労省記者クラブにおいて会見を開きました。

1月27日 10:00〜第二議員会館ロビー。第二議員会館前においてアピール行動。11:00〜12:00,岡本政務官と面談。13:00〜14:00,参議院議員会館地下103号会議室において院内集会を開催。15:00〜16:00フジテレビニュースジャパン取材。19:30〜20:10,厚労省記者クラブにおいて会見を開きました。

1月26日 12時より13時まで,厚労省前においてアピール行動。15:00〜厚労委員を中心に議員要請。衆議院第二会館において打ち合わせ。19:00〜新宿・オンブズパースンにおいて大阪と打ち合わせ。・・終了10:00。

1月25日 12時より13時まで,厚労省前においてアピール行動。13:30〜官邸前行動・内閣府を訪れ要請書を提出。15:00〜,自民党本部においてヒアリングを行いました。自民党から出席していただいた議員は田村憲久衆議院議員,加藤勝信衆議員議員,松本純衆議院議員,丸川珠代参議院議員。

1月24日 12時より13時まで,厚労省前においてアピール行動を行いました。
午後3時より,衆参議員へ和解への働きかけ要請。〜日本肺がん学界による訴訟に対する非難,批判声明に関して午後7時まで議員会館で要請と打ち合わせ,〜アストラゼネカ社和解勧告受け入れ拒否の声明。〜新宿オンブズパースンにて翌日の行動打ち合わせ,午後8時40分まで。

1月21日 午後6時30分より,東京新聞の取材を受けました。時間も遅くなることを配慮していただき、東京・銀座よりさいたま市までの途中を車中取材となり、大宮の自宅について写真撮り、午後10時近くまで。

1月21日 午後5時より約一時間,銀座・マリオン前において薬害イレッサ訴訟の早期全面解決に向けた,和解の受け入れを国とアストラゼネカは一日も早く行えと大勢の支援の皆さんや弁護団に参加していただき抗議の訴えを行いました。

1月21日 内閣総理大臣に対する面談申し入れ書を内閣府に赴き提出しました。午後4時より,首相官邸前に20人ほどの支援のみなさんや原告,弁護団が参加してチラシを配り,マイクで呼びかけ,国は一日も早い和解勧告を受け入れるよう訴えました。原告の近澤と支援の皆さん,弁護団は申し入れ書を提出しました。この後,厚生労働省の記者クラブにおいて会見を行いました。

1月20日 公明党のヒアリングが,午後4時より,参議院議員会館2階第2会議室において実施されました。渡辺孝男議員,古屋範子議員,山本博司議員の先生方にご出席いただき,原告の近澤,弁護団,支援の会より数名が参加,和解勧告が出されて以降の状況など説明,早期の解決に向けてご理解とご尽力をお願いいたしました。

1月19日 午後3:30〜東京駅日本橋口において早期解決に向けてアストラゼネカは和解勧告を受け入れ話し合いのテーブルに着けと訴え,アストラゼネカ東京支社に出向き,「和解勧告に応じることを求める申し入れ」を手渡しました。

1月19日 午後2時より,厚生労働省前において,被告側はイレッサ訴訟の和解勧告を受け入れ話愛のテーブルに着けと原告や,支援の皆さん,弁護団など50人ほどで訴えました。訴えの中を厚生労働省に対して「和解に基ずく早期・全面解決を求める要望書」を省内・1階共用会議室において手渡しました。

1月19日 午後12:30〜13:30 「薬害イレッサ問題の全面解決をめざす院内集会」が参議院議員会館地下1階・第4会議室において,民主党,公明党,みんなの党,共産党,社民党から多くの議員の先生方にご出席いただき開催されました。原告の四日市の清水さんは体調不良で参加出来ませんでしたが他の原告すべて参加して皆様のご支援を訴えました。薬害C型肝炎原告の山口さん,坂田さん,薬被連からも,また,がん患者団体からはスマイリーの片木さん,グループネクサスの天野さんも参加して癌医療の改革は共に進む道は同じ,がんばりましょうとメッセージを頂きました。5〜60人程の会場に130人もの大勢の皆さんに参加して頂きました。

1月17日 午後6時30分より,薬害イレッサ東京支援連会議が東京・新宿のスモン公害センターで行われ近澤が参加しました。

1月16日 時事通信社の取材を,午後1時より3時まで,さいたま市の自宅で受けました。

1月15日 NHKの取材を,午後1時より午後4時30分まで,さいたま市北区の自宅で受けました。

1月14日 午後3時30分より,薬害イレッサ弁護団と原告代表の近澤が厚労省の記者クラブで記者会見を行いました。

1月14日 13時30分より薬被連が厚労省に対して,薬害イレッサ問題に大して早期の解決を図るよう,副作用対策室長に要望書を提出しました。提出後,厚労省記者クラブにおいて記者会見を開きました。この行動には,薬被連から花井代表,栗原氏,肝炎原告からお二人,イレッサから近澤,間宮氏,他,大勢が参加しました。

1月14日 厚労省前行動を行いました。 午後12時より一時間,厚労省前にたくさんの支援の皆さん達に参加していただきチラシを配って,国は一日も早く和解に応じろと訴えました。この行動にはみんなの党の川田龍平参議院議員,民主党の柚木道義衆議院議員,共産党の高橋千鶴子衆議院議員も駆けつけ,国は早期に解決に向けた取り組みをするべきと訴えていただきました。

1月12日 議員要請をいたしました。

1月12日 和解勧告受け入れを裁判所に回答しました。
薬害イレッサ訴訟原告団は,裁判所から出された和解勧告を受け入れると,本日,東京・大阪両地裁に回答書を提出いたしました。・・提出後に裁判所二階の司法記者クラブにおいて会見を開きました。

1月11日 午後5時30分より,弁護団数名と原告の近澤は,みんなの党の川田龍平参議院議員の議員会館事務所を訪ね,和解勧告について,みんなの党として,早期の解決に向けた声明など取り組みをお願いしたいと要請に伺いました。川田議員には,この訴訟に対して深い理解を示していただき,みんなの党としても,解決に向けた取り組みへの声明なり対応を早急に検討しますとお話いただきました。

1月11日 午後3時30分より,支援の皆さん,原告,弁護団により衆参の厚生労働委員の皆様を中心に,先に出されました和解勧告について,一日も早い話し合いが開かれることをお願いして,各・議員の皆様方に要請を行いました。

1月11日 午後2時より,「抗がん剤イレッサ問題を解決する民主党議員の会」が衆議院第二議員会館の地下第4会議室において開かれました。イレッサ訴訟から近澤と弁護団が参加しました。

1月11日 早朝宣伝行動〜「抗がん剤イレッサ問題を解決する民主党議員の会」会議〜国会議員要請〜川田龍平議員との面談・・などのスケジュールで一日行動いたしました。
午前8時30分より,大変に厳しい寒さの中,原告,支援の皆さん,弁護団総勢20人余が厚労省前で宣伝行動を行い,一日も早い解決を呼びかけチラシを配って訴えました。この行動には,早朝にもかかわらずメディアも注目して取材がありました。9時30分よりは,東京駅・日本橋口に移動して,ここでも約一時間の宣伝行動を行いました。

1月10日 ホームページアクセス数が18万件に達しました。

1月10日 午後3時より,京都駅・八条口よりすぐのJA会館において,原告団総会を開催しました。参加者は,東西原告が7名,東西弁護団から20名ほどが参加の中で,和解勧告が出された直後の原告団総会ということで多くのメディアの取材も行われました。主な議題は,7日に出された和解勧告についての回答日と今後の取り組みの細かに確認が主となりました。会議の最後に原告団の近澤が記者会見を行いました。

1月7日 午後1時45分より和解勧告の件で、東京地裁民事24部に弁護団と共に原告の近澤が出向き勧告文書を受け取りました。東京地裁正面では多くの新聞、テレビカメラが待ち構える中を入廷、この訴訟に対しての反対意見、賛成意見を内心では理解はしながら、いずれにしても安心して受けられる癌治療の実現を願いつつ、反響の大きさに驚きと共に身が引き締まりました。

午後2時30分より,新宿の薬害オンブズパースンの事務所を借りて西日本の弁護団とテレビ電話を用いての今後の対応について打ち合わせを行いました。

午後4時30分〜、東京他方裁判所司法記者クラブにおいて、和解勧告が出された件で記者会見を行いました。午後6時、新宿に戻り,和解勧告の内容に関する弁護団、原告の確認作業と今後の対応を打ち合わせ。
終了後にお疲れ会を近くの居酒屋にて行いました。


2010年のあゆみ 2012年のあゆみ



 Copyright (C) Iressa Yakugai Higaisyanokai.All rights reserved.
裁判関連資料
Topics一覧