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 イレッサ薬害被害者の会

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HOME > 私たちが信じたイレッサ >訴えと非難〜報道の果たす役割




夢のような新薬で何故このような被害が起きたのでしょうか
何故、このように拡大したのか当時を振り返ってみました。

イレッサに関する情報が新聞などで掲載されるようになったのはいつごろからか、またどのような報道がなされたのかについて、当会でスクラップ記事やインターネット、縮刷版などを基に2001年〜2007年までのイレッサに関するさまざまな報道の紹介記事の実態について調査してみました。
イレッサに関する記事が登場しだしたのは、2002年1月25日に承認申請が出される1年ほど前、2001年春ころから関連した効果についての情報が多く見られます。初めの頃は、治験名のZD1839として紹介され始め、いよいよ承認申請間近と思われる辺りから「ゲフィチニブ」という一般名で紹介されています。このゲフィチニブという名前は・ゲフィニチブ・と誤った呼び方をしている専門家も多くいましたが今では販売名のイレッサで浸透しています。この頃から、「新しいタイプの抗がん剤の登場・高い効果と軽い副作用」、と各メディアは一様に素晴らしい新薬の登場を謳い、治験・開発に携わった専門家の解説をつけて紹介しています。これらすべてのニュースソースは製薬会社のアストラゼネカ社からの情報提供によるものですが、効果に関する情報記事のみを薬事法に触れない学述の対談記事として取り繕い掲載している点はメディア各社共通しています。「副作用の少ない画期的な夢のような新薬」、と最初にイレッサを信じ、それを流布したのはマスコミであったと言えるでしょう。
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マスコミが、医薬品に関する取材・掲載で最も懸念しなければならない問題、それは害作用についてということは言うまでもありません。新薬ともなれば尚更で、未解明な部分が多くどのような害作用が発現するかは未知であるわけで、特に治験・承認が他の薬剤とは多少異なる抗がん剤のように、承認申請当時、第U相の段階で腫瘍の縮小効果が治験で得られると申請し認められると承認を受け販売が許される。そして第V相の治験はというと、販売されながら各・臨床の現場において進められる・・という特殊性を考えると、余命短いとされる肺癌患者の延命を目的とした新薬ということであっても、掲載記事はより一層の慎重さと偏りに対する配慮は不可欠で、ほんの僅かでも命の軽視があってはなりません。このことを十分に理解し常に慎重な取材に心掛けている筈のマスメディアであっても、当時の専門家の意見や解説を見る限りでは、重大な副作用被害の発現など予見は不可能だったのであろう思われます。これは新薬の発売に関して、プレゼンする企業側の販促優先の姿勢が、巧みに効果情報のみを示し副作用についての情報は販売促進には不具合と軽視・無視、また、マイナス情報として極力伏せられていたと言うことで、この問題はイレッサの被害に限らず、これまでにも繰り返し行われてきた企業の保身の構図です。このイレッサ被害についても、「東京女子医大の永井厚志教授グループの副作用に関する研究データ」、がそれを証明しています。
医薬品とは、いかに副作用による被害を防いで、より多くの患者に恩恵・効果を得るかが重要なのであり、万一重篤な副作用による被害が発生したときはその医薬品がたとえ難病の薬であっても、余命の限られた肺癌患者に対して処方する薬であっても、起きた被害についての原因を正面から検証して被害拡大の防止を速やかに行うことが第一に求められます。一番大切なことは、なぜ被害が発生したのか、その原因は何処にあるのかが問題であって、使用して効いてる患者が多くいることと、被害が発生した事とはまったく別問題として考えなければ、今回のような緊急性が求められる間質性肺炎のような症例では対応の遅れにつながり、実際に効果が得られている患者の命までも危険に晒しかねません。報道のあり方によっては、被害を軽視する危険な流れに繋がる可能性も生じます。正確な被害状況の報道は、拡大防止を果たすことにも繋がる大きな役割を担うのは言うまでもありません。
2002年7月の販売開始から僅か5ヵ月で、死亡した患者の報告数は180人、翌年2003年は202人と拡大して驚くべき死亡被害であることに見紛いようもないのですが、被害と同列に、このイレッサの効果により延命している患者が多くいる、として抗がん剤治療に副作用被害は避けようもないもので、時には重篤な副作用に見舞われ死亡に至る事もあるといった特殊性も考慮すると、被害を優先させてその警告を重要とするのか、希望を抱いて使用している患者への思いを配慮した掲載とするのか・・、分かれる意見として理解できなくはありませんが、被害と効果に対する双方のバランスを取ったと思われる報道が及ぼすことによる次への被害の発生は防がなければなりません。
イレッサ被害でもみられましたが、被害にあった患者遺族の写真や被害の経緯や悔しさを映し出した後に、使用して効果が得られているとされているイレッサ使用の患者の闘病の様子など、・・生き続けるには大切な薬です!、どうかこの薬を取り上げないで下さい・・と、あたかも訴訟を起こした被害遺族が、生きたいと願って服用続けている患者たちから薬を奪おうとしていると思わせるような訴えの映像を流す手法は、視聴者に判断してもらう公平な手段である、とこのような報道を行った担当者は主張していますが、平たく言えば、効果が得られていると考えられる使用中の患者と、服用まもなく死亡したとされる被害遺族双方へ配慮した偏りのない報道であるとしたいのでしょう。しかしことが緊急性を要する薬剤の副作用被害についての報道であることを思えば、目の前の使用患者を救い、これから使用しようとする患者を被害に遭わせないための方法は一つしかありません。バランスの報道ではなく、勇気と信念をもって危険性について事実を伝えること、これ以外にはありません。
このイレッサについては、多くのテレビで、さまざまな新聞で、医学専門雑誌で、効果についての特集記事が出され、有効性や安全性、副作用発現のメカニズム等、未だ効果証明がされていないことなど伏せられたままに、「イレッサはガン患者の命を繋ぐ大切な薬剤である」との記事が多く掲載され、被害を訴え拡大の防止を願う遺族に対しての敵対心が床に油のごとく広がりました。これまでに連鎖を続けてきた日本の薬害事件を振り返りみると、被害にあった者たちは、悲惨な実態を在りのままを伝え、被害の拡大防止を願って安易な使用に対する危険性を訴えますが企業の思惑による情報操作を疑うこともなく、運よくその薬によって効果を得ていると思われる患者たちや、使用を推奨する一部の臨床の現場からの巧みなバッシングは.累々と繰り返され、企業や行政は責任の回避にこれを巧み利用する。これは、訴訟を提起、原告となる者は、ある程度は覚悟しなければならない大きな問題で、イレッサの被害でも同様のバッシング悲劇は起こされました。
当会に寄せられた非難・中傷メールの中から最も多かったものを以下に記してみると
亡くなった患者は予後のない患者でイレッサが死亡の原因ではない。
抗がん剤治療とは、時には命の危険があることも承知した上受けているもので死亡は自己責任である。
抗がん剤による副作用死亡は他の薬剤でも起きていることでこの被害も許容の範囲内である。
被害を取り上げることで医師が抗がん剤治療をしなくなる。(癌医療が萎縮する)。
被害の一方で、この薬が効いてる患者も多くいることを考えるべき。
運・不運は誰にでもあること、それが抗がん剤治療というものであるのだから諦めるのが賢明。
副作用で死亡した患者のことより今も使用している患者のことを最優先に考えるべきでである。
抗がん剤の副作用被害を訴えることは、未承認薬の早期承認の問題に大きな妨げとなる。
被害を訴えたことが原因で使用を怖がったり中止した患者が多く出て助かる命が多く奪われた。
この裁判で原告が勝利するようなことになったら、今後・医師たちは抗がん剤治療は行わないだろう。
何れの意見も、抗がん剤治療なのだから苦しい副作用は当り前、時には死亡することも仕方がないのですと述べてこのイレッサ被害の本質の部分・・・
・・ 何故、販売が開始される前から効果のみの宣伝を行い使用へと導いたのか。
・・ 何故、重篤な副作用が生じる抗がん剤治療であるのに医療側の管理ができない自宅服用による投与が多く行われたのか。
・・ 何故、被害発生の後、速やかな使用規制、使用患者に対しての説明などの対策が取られなかったのか。
これらについては全く触れていません。抗がん剤による副作用被害という特殊性ではあっても、集中して発生した被害については、原因が解明されるまでは拡大防止を第一番に図らなければなりません。それと並行して自宅で服用し続けている患者の状況の把握を早急に行うことで次の死亡拡大を防ぐ、使用患者を速やかに医師の管理下に置くということは言うまでもありません。これらの対策が曖昧なままで、イレッサ必要論ばかりに目を向けることは次に使用を希望する患者の命までも危険に晒してしまう問題で、異議ありと声を出し続けた結果がこのような非難を受ける事態となり、まるで被害を訴える私たちが抗癌剤不要論者、イレッサ不要と言っているかのように作為をもったストーリーに作り上げ、世論を誘導するような心無い一部のマスコミ報道も見られました。これを一部の学会や製薬会社が責任回避への思惑に利用して、見えない溝となって原告叩きは深まる一方で、一部の愉快犯的な者までも出現してブログやホームページを開設し、発信者・発信元は何一つとして明らかにしないまま影に隠れて陰湿に、独自の理論を展開して、訴訟原告への嫌がらせや抗議を繰り返します。しかし、この問題もイレッサに始まったことではないのもまた悲しい現実です。特に昨今、ネットを利用した匿名による抗議の波は、それが例え名無しであったとしても次から次と誰とも知れない匿名者による「国民の声」と称する書き込みが、大きな力を持って時には取り上げられていますが、このインターネットを利用した無責任な"名無し問題"は今後の課題としていずれ何らかの対策が必要と感じます。
抗がん剤イレッサによる副作用死亡年次別死亡被害数の推移(2002年7月から2009年)が、厚生労働省のホームページで公表されています。(イレッサによる急性肺障害・間質性肺炎の副作用死亡の推移と平成16年度・抗がん剤の副作用死亡報告<厚生労働省ホームページ参照>) この報告を見ると、被害は2004年までの2年半に集中して、実に557人もの死亡が報告されています。これは他の抗がん剤による死亡被害の4倍から5倍の数値です。しかし、2004年末に訴訟が起されたその翌年から死亡被害数は大きく減少しています。この死亡被害の減少さえも、それは訴訟が起こされたことにより、医師が訴訟を怖がり使用を見合わせたために被害が減少したものであって、効果が得られるであろう患者に対して使用が妨げられてしまった。これは医療の萎縮にも繋がることでイレッサ訴訟の原告たちの行動はけっして好ましい行為ではない。訴訟原告たちの身勝手さから多くの患者の命が奪われている等と販売元であるアストラゼネカ社の主張を丸呑みして、これを信じた医療側から多くの訴訟非難の意見が出されました。しかしこの問題も、後に開示された販売錠数の推移から大きな減少のないことが判明、そのような事実はないことが明らかとなりましたが長い年月が経過されました。 (厚労省に報告されたイレッサの使用販売錠数)
また、日本で使用されている抗がん剤別の副作用被害も、厚生労働省のホームページに報告されていますがこの中で、使用に際して最も細心の注意を要すると言われ死亡に至る重篤な被害が多く報告されているドセタキセル (タキソテール)の被害推移を見ると、平成16年度は40人の死亡が報告、イリノテカン (カンプトポテシン)では26人、ゲムシタビン (ジェムザール)では19人が副作用による死亡と報告されています。この報告数と比較して、イレッサは販売開始7月から12月までの5ヵ月間で180人の死亡、そして翌年は202人の死亡被害の報告はやはり異常と捉えなければなりません。
家族が、思いもよらない被害にあって、例えその原因が抗がん剤に因るものであったとしても、多くの専門家が推奨した安全性と効果を信じて服用したことによる、全国規模で起きた死亡被害について、単なる病態の悪化による死亡でお気の毒ですとされたのでは到底納得が出来ないと、アストラゼネカや厚生労働省に説明を求め、問い合わせをしても、・・抗がん剤の治療上による死亡はどのような状況で被害に遭ったとしても、それは仕方のない死として諦めなければならないとされている。また処方した個々の医師への責任も問うことは出来ないとされている・・だけでは死亡した患者としては納得が出来るものではありません。死の受忍から始まるのが抗がん剤治療とされている考え方にはただ唖然とするばかりですが、一被害遺族の主張よりマスコミの情報を信じるということは当然の成り行きであり、被害を理解してもらうことへの難しさを痛感します。
2004年7月に大阪で、そして11月に東京で、がん医療のさまざまな問題の改革とイレッサによる死亡被害の解明を求める、抗がん剤イレッサ訴訟を提起しましたが、抗がん剤による死亡被害を訴訟に持ち込むことは余りにも身勝手な行動であるといった意見が厚労省や各・学会を中心として、また一部の患者会までも巻き込んで展開されました。一部の医療者の中には公然と自身のブログの中で、・・・何でも製薬会社や医者のせいにして被害を主張するが、このイレッサによる被害と主張している原告たちはお金欲しさからのとんでも原告たちなのだから払う物を払って早くすっきりする方が賢明だろう。・・・と述べて薬害被害への理解が希薄な医師が多いことも現実です。要するに、被害を訴える者は貧しさから来る金銭目当てであり、医療者虐め以外の何ものでもないと考える意見も多くある。・・・悲しい現実です。
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この被害は、医師が添付文書をしっかりと読み処方していれば起きなかった。責任を問うのであれば処方した医師にある、と被告側の国とアストラゼネカ社は法廷の場で主張しました。
既に皆さまはお気づきのことと思いますが、被害が発生した当初のアストラゼネカ社は、・・被害は発生してはいない、使用している患者の癌の悪化による死亡が重なったものである、とコメントしていましたがそのコメントがいつしか・・使用患者の一部で間質性の肺障害が発生して死亡が報告されているが、しかし迅速な対応により被害は収束に向かっているので続けて使用しても何も心配は要らない。死亡被害としては抗癌剤治療では予測の中の数値で決して高いものではない。とのコメントに変わり、それが・・添付文書等において間質性肺障害などの危険情報はページの中頃ではあっても記載して注意の喚起は行っている。使用する医師がよく熟読していれば被害が発生することはなかった・・と法廷の中でもその主張は変化していきました。
要するに、変化し続けたアストラゼネカ社の最終的な主張では、この被害は使用している一部の医師の安易な使用により発生した被害として、法廷の中で、アストラゼネカ社の代理人が声高に陳述を行いました。この意見は、私たち被害者の会にも多く届いて、"何故医師を訴えないのか、国や製薬会社のアストラゼネカ社を訴えるのは間違っている"、と抗議の形で多く寄せられました。しかし、この被害を服用した夫々の患者や家族の無知によるもの、処方した夫々の医師の過失であると責任転嫁しても何も問題の本質、薬害被害の根絶への解決策は見出せません。国の承認を受けた医薬品であれば、多くの患者に効果が得られるのは当然で、効果が得られた患者が多くいるからとして発生したその死亡被害について納得のいく検証も無く仕方の無い被害とする幕引きで、承認した国と開発・販売した製薬会社が免責されるなどといった乱暴な考え方は、何れ自身への不利益に、国民全体の不利益に、そして何より医療への不信に繋がります。確かに処方した医師の一部には認識・知識不足は否めない部分もあったかとは思いますが、確かなことはこのイレッサの被害は一つや二つの医療現場で起きた被害とは違います。全国的規模で起きたイレッサの死亡被害を単に個々の医師の責任とした医療過誤と片付けるべきでないと私たちは考えます。思い起こしてください、「薬害被害とは・・ 医薬品の有害性に関する情報を、故意にせよ過失にせよ 軽視 ・ 無視した結果、社会的に引き起こされる人災的な 健康被害を「薬害」と言う。」と一般的にこのように定義されているのです。
薬害裁判全般について言えることですが、民事訴訟という性質上、被害者に対する損害賠償を前面として争われることから金銭目当てと多くの誤解が生じ、さまざまな非難・バッシングがあるのは止む得ないことと覚悟の上ですが、せめて薬害被害事件を報道するメディアには偏りのないファクトの報道を願ってやみません。
2011年8月
近澤 昭雄
イレッサ薬害被害者の会代表
薬害イレッサ訴訟原告団代表



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