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ところが・・・ |
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イレッサ検討会の第4回(3月24日)の開会の冒頭に、製薬会社のアストラゼネカ社からデータの修正があるとして、2002年8月の販売から2004年12月までの推定投与患者数を8万6800人と発表してきたが、アストラゼネカ社の計算ミスで投与患者数に誤りがあったしとて、実は投与患者数は4万2000人でしたと修正の発表がされたのです。投与患者の数は、データを出す際の土台にもなる最も肝心な部分、であるにも係わらず半分の服用患者数として修正をしたということは、全てのデータの信憑性はなくなってしまいました。
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都合、4回開かれた今回の「イレッサ検討会」の結論は、
個々の問題については何一つとして解決されることなく継続使用が決まりました。大量の副作用死亡が発症した原因について、危険回避の方法について、安全性について、副作用のメカニズム・延命効果について、日本人に対する効果について、遺伝子問題について、などの最も重要なことは現時点での解明は不可能としてすべての議論を棚上げしたまま、医療不信をつのらせ患者たちの不安を積み残したままに閉会しました。
このイレッサ検討会閉会を受けて、3月24日に厚生労働省・医薬食品局安全対策課から検討結果が発表されました。
ISEL試験(世界28カ国で合計1692人を対象に行われた大規模比較臨床試験<(※ISEL:IRESSA
Survival Evaluation in Lung cancer)結果について、「東洋人への効果は示唆される」とした従来の見解を示し、使用継続で最終意見をまとめ、使用するについては、日本肺癌学会のガイドラインの順守を添付文書に記載することや医師・患者に対しては、様々な方法を用いてガイドラインを広く知ってもらうための情報提供を厚労省は行っていく。
東洋人には効いている、とされる問題に関してはISELの解析に信頼性が認められたと結論づけたのですが、特に日本人に効くとされることについては、現時点ではデータもないし第三相の治験の段階でもあることだが、「確かに効いている患者がいることは事実」として、いったいどのような事で誰に聞くのか根拠もデータも今はないと言う事で、示されることなく曖昧な結論で今後に問題をひきずることになりました。
昨年の12月にFDAが発表した、延命効果が認められなかった問題についても結論を先送りとして議論を避けて、現在進められている臨床試験の結果を待つということでまとめてしまいました。
要訳すると・・このイレッサは新しい肺がんの治療薬なのだから、データが少な過ぎるのは止むを得ないことで、関係機関としては、さまざまな医療現場や患者に対して注意を喚起する努力を続けて行くので、使用するには医師と患者が良くインフォームド・コンセントをとり、納得の上で服用して欲しいと結論づけ「今後の全責任は、患者と医師にありますよ」と暗に示唆しているのです。
この検討会では、厚労省の事務局から・患者団体から要望書が出されて何千人の署名が出ています、と言った報告がされていました。これは作為的なことで、言い換えれば・・このようにたくさんの患者の要望があるから継続使用とすることにしているのですよ・・全ては自己責任として認識して下さいと暗に言っているのです。このイレッサの副作用死亡の問題が表面化したときも、「肺がんという患者たちの強い要望があったので、早期承認をした」と厚労省側からの説明がありましたが、2年たった今も変わっていない厚生労働省の姿勢を感じます。
イレッサによる間質性肺炎発現率は5.8%です。単純計算では100人に5.8人が副作用の発現があり、一方・死亡率は2.3%ですから100人に2.3人が確実に重篤な副作用で死亡するとなる訳です。では・・残った後の人達は効くか効かないか解らないのに一錠7216円の薬価をかけて、第三相の治験に知らずに参加させられている事実は患者達には伝わっていません。
既存の抗がん剤治療であれば、一定の期間で投与を受けて、医師が「使用継続しても奏効はないであろう」と判断した場合は抗がん剤の投与は中止になります。この場合例え患者が継続投与をお願いしても医師は患者の要望は聞き入れてくれないのが普通です。しかし、イレッサの投与では、たとえ医師が「効果は認められない」と判断しても患者からの継続使用の要望があれば・・果てしなく、使用が許される抗がん剤・・でもあるのです。この事は何を意味するかと言いますと、中止しても継続使用にしても、その患者に対しては「利益も不利益も出ないだろう」と言うことなのです。1人の患者に対して全く効かないと分かったとしても生活の質?・・「服用する事で安心感が得られる」との理由のみで継続使用がなされるという事実には、どのように考えれは良いのでしようか。
一旦、家族の1人ががんと宣告されてしまうと、ほとんどの患者は自宅近くの身近な医療機関に入院すると思います。これから続くであろう看病や費用などのこと、パニックになって切羽詰っている状態では当然の選択ではないでしょうか。(但し、多少の余裕が残されている初期のガンステージであれば時間の許される中で情報の収集や医療機関の選択は可能と思います)選択した病院が専門の医療機関かどうか等調べる余裕もなく入院して治療を受ける家族がほとんどではないでしょうか。
今回の検討会でも、「どこの医療機関を受診すれば良いのか」、「どこの病院の医師が専門である」等と言った情報を事前に調べて、患者も賢くならなければ不利益は仕方がないだろうと言った暴言にも似た発言が、ある委員からありました。確かにその通りかも知れませんが、正確な情報収集が出来る環境に果たしてどのくらいの人達がいるのでしょう。多くの人達が情報を得られることもなく、その手段もなく、高齢者で医療機関も限られた地域で、動転し誰にも相談出来る術もなく、治療を受けている現実を考えると、果たして自己責任論がどこまで通用できるのでしょうか。特に肺がんの患者さんの年齢はほとんどが高齢者で占められています。町に病院は一軒しかない、インターネットなどまったく知らないと言った環境で暮らしている人達に、今回の検討会の結論は、このような人達は仕方がないから切り捨てろ!と、そのように聞こえるのは私だけでしょうか。
今回のイレッサが抱える今ひとつの問題は、死亡被害者の立場と、使用している患者の立場とに別けて取り上げられることです。死亡した患者と治療中の服用患者とに別けて考えると、それぞれの主張のみが表面化されてしまい本質の部分が消されてしまうことにもなりかねないのではないかと思いつづけて参りました。がその心配は現実になり私達の会に対して、一部の心無い方たちの抗議を受ける形となりましたことは実に悲しいことであります。
危険率の高い抗がん剤の問題を議論するときに、まず一番最初に考えなければならない問題は、その薬が総ての患者にたいしてベネフイットが得られる薬であるかどうかです。一部の人に効くが一部の人には害になる、この開きが大きいのであれば当然、皆で考えていかなければならないのではないでしょうか。
副作用で死亡した患者は少ない、服用している患者はこんなにも沢山いるのだから・・などと言った身勝手な発想でなく、一様にベルフイットが得られる方法を模索し続けて行かなければ、いつかは自分の身に降りかかる有害事象となるのです。自分には副作用は起きませんように・・を願うのではなく使用する全ての患者に、命に係わるような副作用が起きないように、が基本のはずです。
これまでに使用されて来た既存の抗がん剤は、確かに副作用の死亡確率はズバ抜けて高い薬です。このことは全ての患者も家族も承知はしていると思います。今回のイレッサのように、発売当初・副作用はないとか、安全だとか、医師にすら情報が伝わっていないような抗がん剤は別としても、抗がん剤の使用について「患者の自己責任論」が罷り通ってしまうと、医師の知識によって、各医療機関の格差によって、それぞれの患者の知識レベルによって、地域の格差によって大きく異なってしまい、多くの患者に不利益が出る結果にもなります。この問題を私達は見過ごすことは出来ません。何らかの方法を考えて知恵を絞りあって、これから先の抗がん剤の治療に繋がって行けるように皆で考える時です。
本来は、全ての患者に対して利益があることが薬のはずです。しかし何らかの不利益が生じてしまった場合はその事に対する補償と責任は当然であって、この責任所在追求の問題を抗がん剤治療の進歩の妨げと考えてしまうと、医師の抗がん剤に対する技術知識も、各医療機関の設備の改革、製薬会社の治験制度の改革、厚労省の製薬会社寄りの姿勢の是正もなされずに、より一層患者は不利益を被ることになってしまいます。
国の抗がん剤医療に対する考え方レベル、特に癌患者の命の重さについての希薄さ、そして製薬会社の患者に対する安全性の欠如、医師の患者に対する配慮のなさを、患者と死亡被害者の分母と分子論にすり替えて抗がん剤を論じるのでは問題の本質が隠されてしまいます。
患者はどんなに苦しい抗がん剤治も挑みます。僅か一日の延命でもと祈って。
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2005年3月25日
イレッサ薬害被害者の会
代表 近 澤 昭 雄
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