イレッサ薬害被害者の会

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平成25年 (2013年) 4月12日 最高裁判所 第三小法廷判決

 平成24年(受)第293号 損害賠償請求事件
 平成25年4月12日 第三小法廷判決
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理    由
 上告代理人白川博清ほかの上告受理申立て理由第3章について
 1 本件は,被上告人が平成14年7月に厚生労働大臣の輸入承認を得て輸入販売した抗がん剤「イレッサ錠250」(以下「イレッサ」という。)を服用後,間質性肺炎を発症して死亡した末期の肺がん患者らの遺族である上告人らが,イレッサには添付文書における副作用の記載が不適切であるなど製造物責任法2条2項に規定する欠陥(以下,単に「欠陥」という。)があり,そのために上記患者らは死亡したものであるなどとして,被上告人に対し,同法3条に基づき損害賠償を求める事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
 (1) がんは,昭和56年以来日本人の死因の第1位であり,中でも肺がんは,早期では自覚症状に乏しく,自覚症状発現時点では既に相当程度進行している場合が多いことなどから,がんの中で死亡者数が最も多いものである。肺がんの80%以上を占める非小細胞肺がんは,原則として手術不能とされる病期VBの5年生存率が3〜18%とされ,同Wでは,5年生存率が1%程度,1年生存率も30〜50%程度とされており,極めて予後不良の難治がんである。これらの病期又は再発例の非小細胞肺がんは,化学療法(薬物療法)適応例とされるが,他のがんや小細胞肺がんに比べ化学療法の感度が低く,これによる治癒を期待することはできず,延命効果も僅かしか認められない。その上,非小細胞肺がんと診断された時点で既に70%程度が上記いずれかの病期であることなどから,化学療法の発展が強く望まれてきた。
 (2)ア 平成14年7月当時,医薬品の輸入には,薬事法(平成14年法律第96号1条の規定による改正前のもの。以下「法」という。)23条において準用する法14条所定の厚生労働大臣の承認が必要とされていたところ,この承認申請をするには,臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を申請書に添付しなければならないとされていた(法23条,14条3項前段)。イレッサのような新薬の場合には,上記資料を収集するための試験につき,国際的に合意された基準に準拠して制定された「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(平成9年厚生省令第28号)等が定められ,さらに,平成14年当時は,抗がん剤の臨床試験について,「「抗悪性腫瘍薬の臨床評価方法に関するガイドライン」について」(平成3年2月4日薬新薬第9号厚生省薬務局新医薬品課長通知)により標準的方法についてのガイドラインが示されていた。このガイドラインによれば,抗がん剤の臨床試験は,主として薬剤の毒性を確認するため,通常の治療法では効果が認められない,又は一般に認められた標準的治療方法がないがんの入院患者を対象に実施される第T相,効果が期待されるがん腫の探索と安全性の検討や,そのがん腫について用法・用量の選択決定及び有効性と安全性の程度の確定をする第U相,有効性と安全性を確認検証し有用性を確立するための第V相という3段階の手続で行われ,第V相の試験結果は,厚生労働大臣の上記承認後に提出することも一般的に認められていた。
 イ 医薬品の添付文書に記載すべき事項については,法52条が定めるほか,厚生労働大臣が定める医療用医薬品の具体的な記載要領として,「医療用医薬品添付文書の記載要領について」(平成9年4月25日薬発第606号厚生省薬務局長通知),「医療用医薬品の使用上の注意記載要領について」(同日薬発第607号同局長通知)及び「医療用医薬品添付文書の記載要領について」(同日薬安第59号同局安全課長通知)が定められ,必要に応じて欄を設け,対応する指示,説明等の記載を行うべきものとされている(以下,これらによる記載要領の定めを「本件記載要領」と総称する。)。本件記載要領では,添付文書の「警告」欄は,「致死的又は極めて重篤かつ非可逆的な副作用が発現する場合,又は副作用が発現する結果極めて重大な事故につながる可能性があって,特に注意を喚起する必要がある場合に記載する」とされ,医師等に対して必要な情報を提供する目的で設けられている「使用上の注意」欄の「副作用」欄は,「重大な副作用」と「その他の副作用」とに分けられ,前者には,「当該医薬品にとって特に注意を要するもの」を記載するとされている。そして,製薬会社によって構成される任意団体である日本製薬工業協会の自主基準では,上記の「特に注意を要するもの」につき,「医薬品等の副作用の重篤度分類基準について」(平成4年6月29日薬安第80号厚生省薬務局安全課長通知。以下「重篤度分類基準」という。)における3段階の分類のうち最も重篤なグレード3を参考に記載するとされているところ,重篤度分類基準でグレード3に分類される副作用とは,「重篤な副作用と考えられるもの。すなわち,患者の体質や発現時の状態等によっては,死亡又は日常生活に支障をきたす程度の永続的な機能不全に陥るおそれのあるもの」とされており,間質性肺炎はこれに分類されている。
 (3)ア 従来,効能・効果を肺がんとする抗がん剤は,異常増殖するがん細胞の分裂を阻害することにより腫瘍縮小効果を得ようとする殺細胞性のものであり,その作用機序のため,正常細胞の分裂をも阻害することによる血液毒性,消化器毒性,脱毛等の副作用が不可避であった。上記抗がん剤のうち,1990年代以降に製造が承認された主要な6種類の抗がん剤においては,第U相試験において,1.0〜4.9%の頻度で副作用と疑われる間質性肺炎の発症が認められ,うち2剤では各2例の間質性肺炎による副作用死亡症例があり,他の1剤では1例の間質性肺炎と疑われる死亡症例があったが,その余の3剤では間質性肺炎による副作用死亡症例は認められていなかった。また,これら6種類の抗がん剤の添付文書のうち,第U相試験で間質性肺炎による副作用死亡症例が認められた2剤については,「警告」欄に間質性肺炎患者には投与しない旨の,「禁忌」欄に間質性肺炎患者に投与すると致死的となることがある旨の記載がそれぞれされたが,間質性肺炎と疑われる死亡症例があった1剤については,「使用上の注意」欄の「慎重投与」欄及び「副作用」欄の「重大な副作用」欄に間質性肺炎についての記載がされたものの,致死的となることがある旨の記載はなく,「警告」欄にも間質性肺炎についての記載はされなかった。
 イ 他方,平成14年7月当時において,薬剤性間質性肺炎は,抗がん剤,抗リウマチ剤等特定の疾病ないし症状に著効のある医薬品の投与により生ずる一般的な副作用であり,一般に死亡の危険を伴う疾患であったことから,少なくとも肺がんについて抗がん剤治療を行う医師には,上記当時,抗がん剤等の医薬品の投与により間質性肺炎が発症した場合には,それが致死的となり得ることが認識されていた。
 (4)ア イレッサ(有効成分ゲフィチニブ)は,がん細胞増殖に関連する上皮成長因子受容体(EGFR)のシグナル伝達経路を選択的に遮断することによって,がん性腫瘍に対する腫瘍縮小効果を発揮する分子標的薬であり,従来の殺細胞性抗がん剤と異なる作用機序を有するものであるため,従来の抗がん剤にほぼ必ず生ずる血液毒性等の副作用がほとんどみられないという特徴がある。
 イ イレッサの輸入承認時点までに行われた臨床試験のうち国内の臨床試験133例中において,イレッサとの関連を否定することができない間質性肺炎が発症した例は3例あったが,いずれも治療が奏効して軽快した。国外の臨床試験においては,各1000例以上の登録症例数を有する米国の2種類の臨床試験において計3例,その他の臨床試験において2例の間質性肺炎発症例が認められ,うち4例が死亡症例である。しかし,いずれの死亡症例についても,殺細胞性抗がん剤との併用投与,がん自体の相当程度の進行等の事情により,イレッサ投与と死亡との因果関係の存在については,せいぜい可能性ないし疑いがある程度にとどまる。
 また,臨床試験に参加することができない患者に対する治験薬の投与を可能とする英国の拡大供給プログラム(Expanded Access Program)に基づき,イレッサは,標準治療で効果がなかった患者,他の全身性抗がん剤治療が受けられない患者等上記臨床試験に参加できなかった患者にも投与され,その数は,平成14年7月までに全世界で約1万5000人に上る。これらのイレッサ投与患者において有害事象が生じた場合には,イレッサを合成・開発した被上告人の親会社(英国法人)に報告されることとなっていたところ(以下,この報告に係る有害事象の症例情報を「EAP副作用情報」という。),このEAP副作用情報において,イレッサ投与による副作用としての間質性肺炎の発症を否定することができないものは15例あり,うち11例が死亡症例である。もっとも,上記死亡症例のうち2例については,イレッサ投与と死亡との因果関係はなく,残り9例についても,イレッサ投与と死亡との因果関係は,否定はしきれないものの肯定することまではできない。また,EAP副作用情報は,臨床試験における副作用情報と異なり,担当医作成の症例票が上記親会社に送付されるのみで,モニタリング等が行われないため,報告内容と診療録等の第1次資料との照合や,医師間の相互点検による誤りの訂正,整合性の確認等がされないという問題点がある。
 以上の臨床試験及びEAP副作用情報における間質性肺炎発症例において,イレッサ投与後発症までの期間は2〜148日,イレッサ投与との因果関係が否定されない死亡症例における発症から死亡までの期間は0〜30日であり,全体として,早期に発症し急速に進行する間質性肺炎が副作用として存在することをうかがわせるものではなかった。
 (5) 被上告人は,平成14年1月,第U相までの試験結果等を添付してイレッサの輸入承認申請をし,同年7月5日,効能・効果を手術不能又は再発非小細胞肺がんとし,250rを1日1回経口投与するなどのものとして,厚生労働大臣の輸入承認(以下「本件輸入承認」という。)を得た。また,同大臣は,本件輸入承認と同時に,イレッサを,劇薬(法44条2項)及び医師等の処方箋がなければ販売等ができない要指示医薬品(法49条。現行薬事法における処方せん医薬品。以下同じ。)に指定するとともに,本件記載要領に従って添付文書を記載すべき医療用医薬品と定めるなどした。そして,被上告人は,平成14年7月16日からイレッサの輸入販売を開始したが,当時の添付文書(以下「本件添付文書第1版」という。)には,副作用である間質性肺炎につき,「警告」欄には記載されず,「重大な副作用」欄に,「重度の下痢(1%未満),脱水を伴う下痢(1〜10%未満)」,「中毒性表皮壊死融解症,多形紅斑(頻度不明)」及び「肝機能障害(1〜10%未満)」との記載に続けて,4番目に「間質性肺炎(頻度不明):間質性肺炎があらわれることがあるので,観察を十分に行い,異常が認められた場合には,投与を中止し,適切な処置を行うこと。」と記載されたが,間質性肺炎が致死的となり得る旨の明示的な記載はされなかった。なお,上記「重大な副作用」欄にある「重度の下痢」,「脱水を伴う下痢」及び「中毒性表皮壊死融解症」は,いずれも重篤度分類基準で間質性肺炎と同じグレード3に分類されており,「肝機能障害」のうち本件添付文書第1版でイレッサ投与中止が指示されている「重度の肝機能検査値変動が認められた場合」も,同様にグレード3に分類されている。
 (6)ア イレッサの販売が開始されると,平成14年10月11日までの約3箇月の間に,被上告人又は厚生労働省に対し合計34例の間質性肺炎についての副作用症例報告がされた。このうち少なくとも3例は,同日までの追加報告で間質性肺炎の発症が否定され,その余の31例のうち死亡症例は17例であった。
 イ 被上告人は,平成14年10月15日,厚生労働省の指導を受け,イレッサによる急性肺障害,間質性肺炎について緊急安全性情報(以下「本件緊急安全性情報」という。)を発出した。
 本件緊急安全性情報には,イレッサの販売開始後の推定使用患者数が7000人以上のところ,イレッサ投与と発症との関連性を否定することができない間質性肺炎を含む肺障害22例(うち死亡との関連性を否定することができない症例11例)が報告されており,これらの症例の中には,服薬開始後早期(14日以内12例)に症状が発現し,急速に進行する症例がみられたとして,「1.本剤の投与により急性肺障害,間質性肺炎があらわれることがあるので,胸部X線検査等を行うなど観察を十分に行い,異常が認められた場合には投与を中止し,適切な処置を行うこと。」,「2.急性肺障害,間質性肺炎等の重篤な副作用が起こることがあり,致命的な経過をたどることがあるので,本剤の投与にあたっては,臨床症状(呼吸状態,咳および発熱等の有無)を十分に観察し,定期的に胸部X線検査を行うこと。」などの記載がされた。
 ウ また,被上告人は,上記同日,イレッサの添付文書の第3版(以下「添付文書第3版」という。)を作成し,その冒頭に「警告」欄を設け,同欄や「使用上の注意」欄の「重要な基本的注意」欄に本件緊急安全性情報における上記記載と同旨の記載をするとともに,「重大な副作用」欄の筆頭に「急性肺障害,間質性肺炎があらわれることがある」などと記載した。
 さらに,被上告人は,平成14年12月25日,厚生労働省のゲフィチニブ安全問題検討会の結果を受け,イレッサの添付文書の第4版を作成し,「警告」欄に,「急性肺障害や間質性肺炎が本剤の投与初期に発生し,致死的な転帰をたどる例が多いため,少なくとも投与開始後4週間は入院またはそれに準ずる管理の下で,間質性肺炎等の重篤な副作用発現に関する観察を十分に行うこと」という記載を追加した。
 エ なお,イレッサの副作用による死亡が疑われるとして厚生労働省に報告された症例数の推移は,平成14年が180例,平成15年が202例,平成16年が175例であったが,平成17年に80例と半減し,平成21年には34例となっている。
 (7) 本件輸入承認後の臨床研究結果等によれば,イレッサによる副作用としての間質性肺炎の発症率及び死亡率は,最も高いもので5.81%及び2.26%とされ,発症ないし死亡危険因子としては,間質性肺炎疾患の合併ないし既往,喫煙歴あり,男性,全身状態の非良好等が一般的に挙げられているが,その発症機序は,現在の知見でも明らかではない。
 (8)ア 上告人X1の子であるAは,平成13年9月に病期Wの非小細胞肺がんと診断され,同年12月に化学療法が開始されたが,副作用である吐き気,食欲低下,脱毛等が現れたため,平成14年7月1日の投与をもって中止された。そして,同年8月15日からイレッサの投与が開始されたところ,自覚症状の改善,肺がんの陰影の縮小といった所見が認められたため,同年9月21日に一旦退院し,自宅でイレッサの服用を続けた。しかし,同年10月3日の通院時に肺に異常陰影が認められたため,イレッサの投与が中止され,再度入院することとなったが,その後呼吸症状が急速に悪化し,同月17日,31歳で死亡した。
 イ 上告人X2の父であるBは,平成14年5月に病期Vの非小細胞肺がんと診断され,化学療法が開始されたが効果が生じず,かえって,副作用による疼痛,発熱,食欲不振等の症状が生じたため,化学療法は中止された。Bは,従前から間質性肺炎の治療を受けていたが,がんの進行により間質性肺炎もやや悪化し,酸素投与が行われるなどしていたところ,同年9月2日からイレッサの投与が開始された。しかし,腫瘍縮小効果はみられず,かえって,がんの増悪が疑われ,同年10月9日には既存の間質性肺炎が増悪し,同月10日夕方からは間質性肺炎が急性増悪して呼吸困難となり,同日,67歳で死亡した。
 3 所論は,本件輸入承認時点までに被上告人が認識し得たイレッサの副作用としての間質性肺炎に関する情報によれば,被上告人においてイレッサの副作用である間質性肺炎が致死的なものとなり得ることを認識し得たにもかかわらず,本件添付文書第1版にはその旨の具体的な記載がなく,間質性肺炎についての記載が不適切であることなどから,イレッサの副作用については指示・警告上の欠陥があるというのである。
 4(1) 医薬品は,人体にとって本来異物であるという性質上,何らかの有害な副作用が生ずることを避け難い特性があるとされているところであり,副作用の存在をもって直ちに製造物として欠陥があるということはできない。むしろ,その通常想定される使用形態からすれば,引渡し時点で予見し得る副作用について,製造物としての使用のために必要な情報が適切に与えられることにより,通常有すべき安全性が確保される関係にあるのであるから,このような副作用に係る情報が適切に与えられていないことを一つの要素として,当該医薬品に欠陥があると解すべき場合が生ずる。そして,前記事実関係によれば,医療用医薬品については,上記副作用に係る情報は添付文書に適切に記載されているべきものといえるところ,上記添付文書の記載が適切かどうかは,上記副作用の内容ないし程度(その発現頻度を含む。),当該医療用医薬品の効能又は効果から通常想定される処方者ないし使用者の知識及び能力,当該添付文書における副作用に係る記載の形式ないし体裁等の諸般の事情を総合考慮して,上記予見し得る副作用の危険性が上記処方者等に十分明らかにされているといえるか否かという観点から判断すべきものと解するのが相当である。
 (2) そこで,まず,本件輸入承認時点における本件添付文書第1版の記載の適否について検討する。
 ア 前記事実関係によれば,本件輸入承認時点においては,国内の臨床試験において副作用である間質性肺炎による死亡症例はなく,国外の臨床試験及びEAP副作用情報における間質性肺炎発症例のうち死亡症例にイレッサ投与と死亡との因果関係を積極的に肯定することができるものはなかったことから,イレッサには発現頻度及び重篤度において他の抗がん剤と同程度の間質性肺炎の副作用が存在するにとどまるものと認識され,被上告人は,この認識に基づき,本件添付文書第1版において,「警告」欄を設けず,医師等への情報提供目的で設けられている「使用上の注意」欄の「重大な副作用」欄の4番目に間質性肺炎についての記載をしたものということができる。そして,イレッサは,上記時点において,手術不能又は再発非小細胞肺がんを効能・効果として要指示医薬品に指定されるなどしていたのであるから,その通常想定される処方者ないし使用者は上記のような肺がんの治療を行う医師であるところ,前記事実関係によれば,そのような医師は,一般に抗がん剤には間質性肺炎の副作用が存在し,これを発症した場合には致死的となり得ることを認識していたというのである。そうであれば,上記医師が本件添付文書第1版の上記記載を閲読した場合には,イレッサには上記のとおり他の抗がん剤と同程度の間質性肺炎の副作用が存在し,イレッサの適応を有する患者がイレッサ投与により間質性肺炎を発症した場合には致死的となり得ることを認識するのに困難はなかったことは明らかであって,このことは,「重大な副作用」欄における記載の順番や他に記載された副作用の内容,本件輸入承認時点で発表されていた医学雑誌の記述等により影響を受けるものではない。
 イ 他方,前記事実関係によれば,本件緊急安全性情報は,服薬開始後早期に症状が発現し,急速に進行する間質性肺炎の症例が把握されたことを受けて発出されたもので,このように急速に重篤化する間質性肺炎の症状は,他の抗がん剤による副作用としての間質性肺炎と同程度のものということはできず,また,本件輸入承認時点までに行われた臨床試験等からこれを予見し得たものともいえない。
 そして,イレッサが,手術不能又は再発非小細胞肺がんという極めて予後不良の難治がんを効能・効果とし,当時としては第U相までの試験結果により厚生労働大臣の承認を得ることが認められており,このような抗がん剤としてのイレッサのありようも,上記のような肺がんの治療を行う医師には容易に理解し得るところであるなどの事情にも照らせば,副作用のうちに急速に重篤化する間質性肺炎が存在することを前提とした添付文書第3版のような記載がないことをもって,本件添付文書第1版の記載が不適切であるということはできない。
 ウ 以上によれば,本件添付文書第1版の記載が本件輸入承認時点において予見し得る副作用についてのものとして適切でないということはできない。
 (3) A及びBに投与されたイレッサは,遅くとも両名への投与開始時には被上告人からの引渡しがされていたことは明らかであるところ,本件輸入承認時点から上記投与開始時までの間に,本件添付文書第1版の記載が予見し得る副作用についての記載として不適切なものとなったとみるべき事情はない。そうすると,A及びBの関係では,イレッサに欠陥があるとはいえないことに帰する。
 5 原審の判断は,以上と同旨をいうものとして是認することができる。論旨は採用することができない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
 なお,裁判官田原睦夫,同岡部喜代子の各補足意見,裁判官大谷剛彦,同大橋正春の補足意見がある。
 
 裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件事案に鑑み,法廷意見に関連して,以下に取上げる若干の問題点について補足的に意見を述べる。
 1 製造物の「欠陥」認定の基準時と事後の知見について
 本件受理決定の対象は,イレッサが流通におかれた時点における「指示,警告上の欠陥」の有無であるが,その前提として,製造物の「欠陥」認定の基準と事後の知見との関係についてみておくこととする。
 製造物責任法2条に定める「欠陥」は,当該製造物が「通常有すべき安全性を欠いていることをいう」と定義されているところ,その安全性具備の基準時は,あく迄,当該製造物が流通におかれた時点と解すべきものである。製造物が流通におかれた時点においては,社会的にみて,「通常有すべき安全性」を具備していたにも拘ず,事後の知見によってその安全性を欠いていたことが明らかになったからといって,遡及的に流通におかれた時点から「欠陥」を認定すべきことにはならない(事後の知見によって安全性を欠いていることが明らかになった後に流通におくことについては,製造物責任が問われ得るが,それ以前に流通しているものは製造物責任の問題ではなく,回収義務,警告義務等の一般不法行為責任の有無の問題である。)。
 同法4条との関係から,学説上,欠陥の有無は,口頭弁論終結時の知見をもって判断すべきものとされているが,それはあく迄,流通におかれた時点における「通常有すべき安全性」の有無との関係を意味するのである。
 本件では,イレッサの承認がなされた当時は,抗癌剤については,第U相試験の結果をもってその承認の可否を決することが出来るとされていたところ,イレッサは,その基準に従って実施された第U相試験の結果を踏まえて承認がなされ,第V相試験は承認により一般に供用を開始した後に実施するものとされ,その結果は,再審査申請時(承認の6年後)に報告するをもって足りるとされていたのである。従って,本件イレッサの承認時に欠陥が存したと認められるか否かは,本件承認時の第U相試験の結果得られた知見及び第U相試験によって得られたことが想定されるその後の知見や,本件承認時迄に得られたであろうことがその後明らかになった知見によって判断されるべきものであり,第V相試験の結果の如何は,第U相試験の結果によって承認された本件イレッサの「欠陥」の判断には影響しないものというべきである。そして,本件記録上,第U相試験終了時点において,イレッサの承認を差控えるべき欠陥が存したことを窺わせる事情は何ら認められないのである。
 2 医療用医薬品の副作用について
 医薬品,殊に医療用医薬品は,身体が日常生活において通常摂取しないものを,その薬効を求めて摂取するものであるから,アレルギー体質による反応等を含めて,一般に何らかの副作用を生じ得るものである。
 医療用医薬品のうち汎用的に用いられるものについては,その求められる安全性の水準は高く,副作用の発生頻度は非常に低く,又その副作用の症状も極めて軽微なものに止まるべきものであり,かかる要件を満たしている医薬品は,「通常有すべき安全性」が確保されていると言えよう。
 次に,一般に医療用医薬品は,薬効が強くなれば,それと共に一定程度の割合で副作用が生じ得るものである。当該医薬品の副作用につき,医師等は一定の用法に従うことによりその発生を抑止することができ,あるいは発生した副作用に対し,適切に対応し,またその治療をすることが出来るのであれば,かかる副作用が生じ得ること及びそれに対する適切な対応方法等を添付文書に記載することによって,「通常有すべき安全性」を確保することが出来ると言って差支えないと考える。
 しかし,薬効の非常に強い医薬品の場合,如何に慎重かつ適切に使用しても,一定の割合で不可避的に重篤な副作用が生じ得る可能性があることは,一般に認識されているところである。そうであっても,副作用の発生確率と当該医薬品の効果(代替薬等の可能性を含む。)との対比からして,その承認が必要とされることがある。その場合,「慎重投与や不可避的な副作用発生の危険性」については添付文書に詳細に記載すべきものではあるが,その記載がなされていることによって当該医薬品につき「通常有すべき安全性」が確保されていると解することには違和感がある(その記載の不備については,不法行為責任が問われるべきものと考える。)。
 他方,かかる危険性を有する医薬品であっても,その薬効が必要とされる場合があり,その際に,かかる重大な副作用の発生可能性が顕在化したことをもって,当該医薬品の「欠陥」と認めることは相当ではない。
 上記のように副作用が一定の確率で不可避的に発生し得る場合には,「通常有すべき安全性」の有無の問題ではなく,「許された危険」の問題として捉えるべきものであり,適正に投与したにも拘ず生じた副作用の被害に対しては,薬害被害者救済の問題として考えるべきものではなかろうか。
 3 副作用としての間質性肺炎の評価についてイレッサでは,薬事法による承認後一般に供用されたところ,法廷意見にて述べるとおり,投与後早期に間質性肺炎を発症し,急激に増悪し死亡するとの症例が次々と報告されたところから,平成14年10月に本件緊急安全性情報が発出されている。しかし,同情報の記載によれば,推定使用患者7,000人以上中,間質性肺炎を含む肺障害は22例(0.31%),同死亡例は11例(0.16%)に止まっているのである。また,法廷意見に記載する間質性肺炎の発症率が最も高い例である5.81%との研究結果は,第一審判決の認定によれば診療録等の第一次資料を入手し得た140例中22例においてイレッサ起因性が否定されたというのであり,同研究により間質性肺炎の発症が認められた全例につき同率で起因性が否定されるとすれば,その発症率は4.91%となる。この値は,第一審判決の認定する第U相試験の結果を踏まえて承認された他の抗癌剤の間質性肺炎の発生頻度に比して,イリノテカン(4.89%)とほぼ同率であって,格段に高い数値とは言えない。
 また,薬剤性間質性肺炎自体は,第一審判決が詳細に認定するとおり非常に死亡率の高いといわれている病気であり,急性型も存するのであって,イレッサの服用が即急性型に結びつくかは必ずしも明らかではない。
 他方,イレッサは,「手術不能又は再発非小細胞肺癌」に適用するもので,具体的には病期VB又はWの患者で,他の化学療法が施されたが副作用等から同様の化学療法の実施が困難な患者を対象に投与されているものなのであって(原判決の認定によれば,亡Aの場合は,脳を含む多発的な転移で治療が手詰まりの状態であったのが,イレッサ投与後摂食できるようになり,一旦退院している。また,亡Bは,非小細胞肺癌の診断を受ける2年半前から間質性肺炎の診断を受けていたものであり,癌の症状は進展し,平成14年9月には治療の手段は手詰まり状態であったところ,イレッサ投与により,痛みは和らぎ,安定した状態が約一週間継続した。),イレッサの副作用の内容,程度を評価するに当っては,かかる患者(他に治療の選択手段が殆どない患者)に対して投与される薬剤であることが,十分に考慮されるべきであると思慮する。
 4 添付文書における副作用の表示について添付文書の表示は,当該医薬品を使用する対象者に対してその理解に資する為に記載すべきものであるところ,イレッサは,前記のとおり劇薬で要指示医薬品の指定を受け,「手術不能又は再発非小細胞肺癌」を適応対象とする薬剤であるから,その使用者は,一般の臨床医ではなく,難治性癌の治療に携っている臨床医である(原判決のようにそれを「専門医」と表示するのは少し適切さを欠くであろう。)。
 このような医師は,従前から抗癌剤の投与歴を有していると推認されるところ,従前から用いられている抗癌剤には,何れも副作用として間質性肺炎が含まれていたのであるから,新規に承認された抗癌剤においても,その副作用に間質性肺炎が含まれていることは,それらの医師にとっては言わば公知の事実であり,また,間質性肺炎が一旦発症した場合には,それが難治性であることも同様に認識されていたと言えよう。
 そして,原判決も認定するとおり,添付文書の「重大な副作用」の表示はグレード3を示すところ,イレッサの添付文書に「重大な副作用」として記載されている重度の下痢や肝機能障害は,何れもグレード3であり,イレッサの適用対象となる重篤な癌患者にとってそれらの副作用の発症は,死亡への転帰となり得るものなのであるから,「間質性肺炎」を「重大な副作用」の一つとして記載したことは,イレッサの承認時迄の第U相試験の結果からすれば,必要にして十分な記載であったということができると言えよう(なお,法廷意見に指摘するとおり,イレッサ承認当時供用されていた他の抗癌剤のうち,間質性肺炎に関して「警告」欄に記載されているもの及び「禁忌」欄に記載されているものが二例あるが,何れも「間質性肺炎患者」への投与についてのものであり,未だ同病に罹患していない患者についてのものではない。)。

 裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。
 上告人らは,指示警告上の欠陥に関して,イレッサの副作用症例における因果関係についての原審判断を非難するので,この点について補足する。本件における指示警告上の欠陥として上告人らの主張するところは,本件添付文書第1版に警告欄を設けて間質性肺炎の危険性を告知させたり,イレッサによる間質性肺炎が致死的なものであることを本件添付文書第1版に記載させるなどの措置をとるべきであったのにそれをしなかったというものである。上告人らの主張するように販売開始時における添付文書に主張のような副作用の発生に関する指示警告を行うためには,販売開始時点において指示警告を行うことが可能でなければならず,そのような副作用の発生が予見可能でなければならないが,この予見可能性は,副作用症例として報告されたもののうちその副作用とされる症状とイレッサ投与との間に積極的に因果関係が認められる症例のみに基づいて判断すべきものではない。その症状の重篤性,上記因果関係が客観的には存在する可能性の程度等に照らし,副作用として指示警告をするのが相当であるとすべき場合もあるのであるから,因果関係を否定できない症例を含めて検討し,判断すべきものである。この点に関する原審の説示は,上記予見可能性を肯定する判断の根拠とし得る症例は積極的に因果関係が認められる症例のみであるとの誤解を生じさせかねないのであり,相当とはいい難い。ただ原審はイレッサ投与との因果関係を否定できない症例をも認定しているところ,これら症例は他の抗がん剤の副作用として発症する間質性肺炎と同程度のものであって,それによって予見が可能なのは他の抗がん剤の副作用として発症する間質性肺炎と同程度のものにとどまるものといわざるを得ない。服薬開始後早期に発症し急速に重篤化する間質性肺炎は,かなり特質のある副作用の生じ方であり,他の抗がん剤の副作用として発症する間質性肺炎とは発症形態が異なるのであって,それを予見することができたとはいえないといわざるを得ないのである。確かに,イレッサは,分子標的薬という従来とは異なる作用機序の医薬品であり,その腫瘍退縮の詳細な機序は未だ不明であり,かつ,第V相試験実施前であることからすると,何らかの副作用が生じるかも知れないとまでは予見可能かも知れないが,それが他の抗がん剤の副作用として発症する間質性肺炎とは異なる態様を示す間質性肺炎であることまで予見できたとはいえないのである。そして予見が可能である他の抗がん剤の副作用として発症する間質性肺炎と同程度の間質性肺炎が発症することに関する指示警告として,被上告人のした本件添付文書第1版の記載等で不十分であるということのできないことは法廷意見のとおりである。

 裁判官大谷剛彦,同大橋正春の補足意見は,次のとおりである。
 イレッサには副作用として急速に重篤化する間質性肺炎が存在すること,このような副作用は本件輸入承認時点までに行われた臨床試験等からこれを予見し得たものといえないことは法廷意見の判示するとおりである。したがって,指示・警告は具体的に予見し得た副作用について適切に行うことが必要でありかつ十分であるとする以上は,本件では指示・警告上の欠陥はないということになる。
 イレッサは分子標的薬であり,従来の抗がん剤にほぼ必ず生ずる血液毒性等の副作用はほとんどみられないという特徴があり,従来の化学療法に対する感度が低いとされた手術不能又は再発非小細胞肺がんという極めて予後不良の難治がんに対する有効性が期待された。抗がん剤については,当時,有効性と安全性を確認検証し有効性を確立するための第V相臨床試験の結果は,厚生労働大臣の輸入承認後に提出することが一般的に認められており,イレッサについても第U相までの試験結果により,一定の条件を付した上で承認された。
 本件輸入承認当時において副作用として間質性肺炎の存在は認識されていたものの,急速に重篤化する間質性肺炎の存在は予見し得なかったことは前述のとおりであるが,平成14年7月16日のイレッサの輸入販売開始後の約3箇月間に合計34例の間質性肺炎についての副作用症例報告がされ(うち3例は後に否定),そのうち死亡症例は17例あり,被上告人は同年10月15日イレッサによる急性肺障害,間質性肺炎について緊急安全性情報を発出している。第U相までの試験結果によって承認され輸入販売が開始された医薬品については,その後に行われる第V相臨床試験において新たな副作用の存在が認められる危険性は第V相試験を経た場合に比して大きいことが一般に予想されるところである。本件で後に判明した急速に重篤化する間質性肺炎という重篤な副作用は,こうした潜在的な危険が表面化したものであり,具体的なものとして予見可能性はなくても,概括的な予見の範囲内にあったと考えることも可能であろう。特に,本件では,輸入販売開始後僅か3箇月間で重篤な副作用が認識され,しかも重篤性は異なるものの間質性肺炎であることを考えた場合には,この点に関する記載のない本件添付文書第1版は指示・警告として不適切といえるのではないかとの疑問が生ずる。
 しかし,結論としては,法廷意見が述べるように,本件添付文書第1版の記載が不適切であったということはできないであろう。添付文書に記載を求めるとしても,概括的には危険が予見できても具体的内容が明らかでない限り,その記載は一般的・概括的なものにならざるを得ず,指示・警告としての効果に疑問がある。概括的に予見される危険については,処方に当たる肺がん治療を担当する医師がこれを理解していることを前提に指示・警告を記載しないとしても,特段の事情がない限り,やむを得ないものといわざるを得ない。また,後に判明した結果を前提に具体的な記載を求めるとすれば被上告人に不可能を強いることになり法の趣旨に反することになろう。
 イレッサが,手術不能又は再発非小細胞肺がんという極めて予後不良の難治がんを効能・効果として,第U相の試験結果により厚生労働大臣の承認がなされ,要指示医薬品,医療用医薬品とされた上で輸入販売が開始されたのは,有効な新薬の早期使用についての患者の要求と安全性の確保を考慮した厚生労働大臣の行政判断によるものであり,その判断に合理性がある以上は,その結果について医薬品の輸入・製造者に厳格な責任を負わせることは適当ではない。その一方で,副作用が重篤であり,本件のように承認・輸入販売開始時に潜在的に存在していた危険がその直後に顕在化した場合について,使用した患者にのみ受忍を求めることが相当であるか疑問が残るところである。法の目的が,製造者の責任を規定し,被害者の保護を図り,もって国民生活の向上と国民経済の健全な発展に寄与することにあるならば,有用性がある新規開発の医薬品に伴う副作用のリスクを,製薬業界,医療界,ないし社会的により広く分担し,その中で被害者保護,被害者救済を図ることも考えられてよいと思われる。
(裁判長裁判官 寺田逸郎 裁判官 田原睦夫 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 大橋正春)





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