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 薬害イレッサ裁判報告
2009年10月15日、東京地方裁判所103号大法廷において第27回目となる裁判が開かれました。今回行われました裁判は、関東在住の肺がん治療中の男性が少しでも長く生き続けたいと願って、製薬会社のアストラゼネカ社より出されていた情報を信じて服用した結果、イレッサの副作用である間質性肺炎の被害に遭って亡くなった、その方の遺族が原告の本人尋問が、午後1時30分より午後4時まで行われました。
2004年7月に大阪地方裁判所で、11月には東京地方裁判所で、薬害イレッサ訴訟を提起して5年もの歳月が流れました。この間に、大阪地裁で29回、東京地裁で27回の裁判が開かれ審理が行われて参りました。
東日本訴訟原告の一人、近澤昭雄さん。この日も、東京・霞ヶ関の裁判所前において多くの支援者と共に、イレッサ訴訟に対するご理解を訴えました。
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= 薬害イレッサ訴訟とは =
販売開始から僅か2年半で、服用した患者たちが副作用被害の間質性肺炎により557名も死亡、現在までに787名もの患者が死亡していることに対して、承認した国と販売会社のアストラゼネカ社を訴えている訴訟です。
●製薬会社のアストラゼネカ社に対して・・
治験の段階から、副作用である間質性肺炎で死亡している症例があることを隠して承認を受けたこと。
承認される前の治験の段階から、多くの専門家を使って大々的に宣伝を行って効果を謳い、「夢のような新薬で、延命効果は素晴らしく、副作用は殆ど無い薬」などの情報を流して患者たちを信じ込ませ、使用選択へと誘導し多くの死亡被害者を出したこと。
●国に対して・・
重篤な副作用被害が起きていたことを示す海外からのデータが出されていたのに、審査センターでは「症例の集積をまって検討」と、このデータを無視して承認。多数の死亡者を出したこと。
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私たちは、抗がん剤の副作用による死亡被害の訴訟と言う事で、中々に理解が得られない戦いを続けていますが、「がん患者の命の重さ」とは何かを問いつづけて行くことで安心して受けられる抗がん剤治療の実現を願っています。


●裁判開始前に宣伝行動をおこないました
裁判開始前・12時より、多くの支援の皆さま、大阪や京都からも駆けつけていただいたたくさんの弁護団の方たちと共にイレッサ訴訟へのご理解を訴え、チラシを配りました。
今回も、北区労連からは街戦車で駆けつけマイクを用意していただきました。
C型肝炎の被害に遭って治療中と言う方も、治療による副作用で苦しむ中をチラシを配って声を枯らして訴えていただきました。
薬剤師の皆さんや、支援をしていただいている各団体からもたくさんの皆さんに参加して頂きました。
公害被害者の団体からも、毎回、このの訴訟へご支援をいただいて、今回もたくさんのみなさんに参加をして頂きました。

●原告側代理人よりの尋問
東京地裁103号法廷で、第27回目となる裁判は午後1時30分に開廷。
尋問を受ける匿名原告のSさんが正面の証言台に進みはっきりとした声で宣誓を行いました。
原告側代理人より、原告のSさんに対して優しく語りかけるような口調で尋問が始まりました。
7年前の10月10日にSさんのお父さんは亡くなりましたが、、肺がんではあっても希望を捨てずに生き続けようと頑張っていた当時の様子について尋ねられ、
 ・・・Sさんは、お父さんがイレッサを知ったことを細かく日記に記していた当時を思い出しながら、「世界で初めて日本で承認されるとのこと、驚いた話!、有難い」と、出されていた情報を信じて、大きな期待を抱いていた様子を記していることを述べました。
製薬会社の情報や、専門医の話、また、国が承認して特定療養費制度を適応してまで推奨していることなどから、患者も家族も疑うことなくイレッサに対して大きな期待を持って使用したことが、ここでも明らかにされました。
次に、原告のSさんが、何故7年も経って提訴しようと思うようになったのかについて
 ・・・Sさんは、お父さんは肺がんで亡くなったとずっと思っていたこと、当時は術後という、自分自身も体調が回復していないこともあって、お父さんが服用していたイレッサに関する新聞やテレビなどの副作用被害の報道を自分の父の事とは結び付ける余裕もなく、新聞の報道などで、イレッサの被害を見聞きして酷いなぁーと感じていた程度であったと証言。
ずっと後になって、イレッサ薬害被害者の会のサイトを知り、被害にあった遺族が訴訟を起していたことなどを知って連絡を入れた事。その後・被害者の会の勧めでカルテなどを取り寄せてみようかと考えるようになった経緯について述べました。
その後、当時の医療機関で主治医だった先生に伺うと、お父さんが亡くなったのは、イレッサの副作用である間質性肺炎によるものと考えられるとの事で、意見書を書いて頂いたことから、原告の一人となって訴えなければと考えるようになったこと、誤って使用している患者も多くいて多数の死亡している被害者がいることは見過ごすことが出来ないと思い提訴する事を決心しましたと証言しました。

●被告側代理人よりの尋問
被告側の代理人は、7年も前のことでSさんには既に時効に掛かっていると主張し、何故今になって提訴する気持ちになったのかを尋ね、原告が、どこで、どの時点で被害を知ったのか、当時はイレッサの副作用被害の報道は多くの新聞やテレビなどでも度々報道されて居た筈で、これらの報道を原告が知らなかったとは到底思えないと、被害が起きていた事を知っていたのではないかと、執拗に尋問を繰り返しました。
被告側のこのように執拗な尋問にも、原告のSさんは落ち着いて証言しました。
・・・イレッサの被害について知っていたのではないのかと、どのように言われても本当に知りませんでしたと答え、その訳は、お父さんが亡くなって、自身の病も完全には回復していない時で治療中でもあり、その上、娘と二人での生活に必死で他の事を考える余裕が無かったためですと、きっぱりと証言しました。
2時間に及んだ尋問は、3時50分に終了しました。
●報告集会が開かれました
裁判終了後、16:20〜裁判所に隣接の弁護士会館1003号室において報告集会が開かれ60人近い参加者で会場は溢れ、参加の 皆さまから、多くの質問や励ましをいただきました。
お昼の宣伝行動から、裁判傍聴とお疲れのところを報告集会までご参加を頂きたいへんに有難うございました。
●この日の裁判を終えて
東京地裁での裁判は、2005年2月16日に第一回が開かれてから5年目、今回の期日で27回目を向えました。ここに辿り着くまで、私たちにとりましてはとてつもなく長い戦いで、苦しくて悲しくて何度も何度も挫けてしまいました。弁護団の皆さんも、苦労に苦労を重ねて作成された様々な証拠資料の提出から、治験に関った医師や承認に関った専門家の証人尋問と、その為の資料作りと、本当に長いご苦労の歳月を費やして頂きました。
西日本訴訟、東日本訴訟共に、原告側、被告側の証人尋問も終わり、そして、原告尋問も全て終了いたしました。本来ならば、次回の期日では結審を迎えて、早ければ来年の春には判決が出されるのではないかと、この日を心待ちしていたのですが結審の日程も不明でどのようになるのか分らない状況では、また、挫けてしまいそうです。しかし、私たちは、何度でも立ち上がり訴え続けて参ります。
何卒、益々のご支援をよろしくお願い申し上げます。
次回は結審を予想しておりましたが日程は不明です。決まり次第当ホームページ上でお知らせ致します。
お問い合わせ
イレッサ薬害被害者の会
代表・・近澤 昭雄

電話:048-653-3998
FAX:048-651-8043
mail: iressa-higainokai@nifty.com
薬害イレッサ東日本訴訟弁護団
城北法律事務所
弁護団事務局長・弁護士 阿部 哲二
弁護士 津田 二郎
担当事務員 新 庄  聖
東京都豊島区西池袋1-17-10
エキニア池袋6階
電話:03-3988-4866
FAX:03-3986-9018
次回・東日本訴訟・最終弁論(8月25日)結審の報告