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●今回・24回期日の裁判のご報告● |
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平成20年12月1日,大阪地裁202号法廷において、薬害イレッサ西日本訴訟・第24回の裁判が開かれ、被告側の証人である平山佳伸大阪市立大学教授に対する尋問が行われました。
平山教授は、元、厚生労働省医薬食品局の安全対策課長を務めイレッサの承認・審査に直接に関わった本人で、被害が発生した後の対策も直接的に指示した人物で、被告側の証人としてどのような証言をするのか私たちは注目していました。
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開廷は午前10時、暮れも押し詰まった忙しさの中で開かれたこともあり傍聴席は70人ほどと少し空席は目立ちました。 |
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まず被告・国から平山証人に対して尋問が行われました。 |
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INTACT 1、INTACT 2、試験で示されたイレッサの有効性、安全性について、また、間質性肺炎が発症した当時の国が取った対応に問題は無かった、イレッサは当時、副作用が少ない素晴らしい効果が期待できる薬剤であるとして承認に携わったことなどについて、言葉を慎重に選びながら、染み込んだ、元・官僚らしい証言が終始繰り広げられました。 |
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被害患者数や、被害死亡者数については、質問もなく核心部分と言う事で当然証人への尋問は避けられたのでしょう、従って、このイレッサの承認・審査に直接的に関わった責任者として、私たち原告が一番聞きたかった証言は、何一つとしてありませんでした。 |
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これまで起こされてきた数々の薬害被害の裁判で、何度も繰り返されたことですが、裁判で国や企業敗訴の判決が出されても、誰一人として心から詫びることはありませんでした。
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・原告が言うのであれば、お詫びしましょう。
・それで気が休まるのであれば頭も下げましょう。
・裁判で判決が出されたのだったら損害賠償は払いましょう.....と、
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虚しい形ばかりの謝罪で解決がなされてきました。
いつの時も、どの薬害も同じように繰り返されてきました。
酷いものです。 |
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国の尋問に続いて、
原告側の訴訟代理人による尋問が行われました。 |
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証人尋問はこれが最後とあって、原告側の代理人の皆さんは、裁判所のお叱りも覚悟の上で許された時間を上回る尋問を続けました。 |
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有効性ありとして示されたさまざまな臨床試験 (IDEAL1・2, INTACT 1・2, ISEl、ドセタキセルとの比較臨床試験) などの臨床試験の有効性や安全性などについて尋問いたしました。また、承認に際してアストラゼネカ社が医薬品審査センターに提出した資料で、グレート4の未快復であった患者をグレード3の快復患者として審査センターに報告していた事実についても、当時の経緯について尋問を行いました。
販売前から様々に出されていた「夢の新薬」などといった効果についての情報で、患者たちがイレッサ使用へと誘導が行われたことに対してどのように感じていたのか...についての質問には、その質問にどのような意味があるのかと一蹴し、使用する・しないは、ガン患者個人の問題、お上とはそのような細かな事に関わっていられないと、さも言わんばかり。
また、あるテレビ局が作成したイレッサ副作用被害の番組に、平山証人が、当時の厚労省の医薬食品局の安全対策課長としてインタビューを受けた際に・・多くの死亡被害が起きた件で厚労省として教訓はありますか・・との記者の問いかけに、「教訓ですか・・ うーん、特にありません」と答えているのですが、この問題で証人は、これは製作が意図的に行われたもので一部分を抜粋して作られたものと答えました。しかし、この記者の質問には続きがあるのです。この後、教訓はありませんかの後、続けて記者が・・これだけ多くの死亡被害が出ているのに学ぶべきものはなにもないと ?、と問われても、「・・・そうですね。」と淡々と答えているのです。既にこの時、2005年1月時点で、厚労省の発表では、副作用死亡588例が報告されていたにも関わらず。 |
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午後4時過ぎまで原告側代理人による被告側証人への尋問は続きました。証人である平山佳伸大阪市立大学教授は、どのような質問にも慌てる様子もなく、動じる様子も見せず終始淡々と一口の水も飲むこともなく答えていました。お役人とはこうあるべきと言った見本になるかも知れません。 |
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午前10時から始まった薬害イレッサ西日本訴訟第24回裁判は、そして、この裁判の最後の証人尋問は午後4時30分に終わりました。 |
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