学生感想文
001〜068
東京学芸大学で,抗がん剤イレッサの薬害被害について学生の皆さんに聞いてもらいました。受講した230人ほどの学生のみなさんに感想文を寄せて頂きました。ストレートな思いを多くの皆さんにも読んで欲しいと思いましたので許可を頂きUPいたしましたのでご覧下さい。 
ゲスト講師・薬害イレッサ東日本訴訟弁護団 弁護士 津田二郎
薬害イレッサ東日本訴訟原告 近澤昭雄


001● ガンを宣告された患者さんのショックを新薬イレッサの存在が少しやわらげていたかもしれないのに、まさか副作用死するとは、患者さんも家族も思っていなかったことだろうから、ガン宣告されたときよりも衝撃は大きいと思ったし、悲しみも想像できないものだと思った。なぜ日本では多くの被害がでているのに、すぐに対策をとらなかったのだろうか…。欧米では対応が早かったのに。なぜ、命よりも利益を優先したのか、不思議でならない。

002● 延命効果がなく,致命的な副作用のある薬はもはや薬ではない。毒だ。そんなものを薬として作り,売っている製薬会社はいったい何を考えているのか。自分に,自分の家族に,友人に,その薬とは到底呼べないものを投与できるのか。金をもうけて,人の命を奪っている。立派な殺人じゃないか。一番悪いのはイレッサを売っている製薬会社だと思うが,しかし,危険性を無視し草瓜を売ることを許可して国側にも責任を問うべきだと重い。いくら製薬会社がでたらめな毒をつくろうとも国が許可しなければ被害を抑えられたはず。国民を守らなければならないはずの国が殺人に加担してどうするのか。VTRにも出てきた役所の人の教訓はないとの言葉に,これからも安全だと信じている薬で苦しむ人が増えるような気がして怖くなった。今日のゲストの近澤さんの現在の日本の医療制度や医療界の話を聞いて不安になった。患者のことを第一に考えた医療制度はいつになったらできるのだろうか。教育制度などの改革も大切だが,人の命よりも優先すべきことなんてないはずだ。

003 イレッサの副作用は、流通する以前から可能性があるといわれていたと聞いて、大変驚いた。もしも自分が、何もしなかったら確実に死に至る病気で、今のところ何も手立てがないのだとしたら、承認されたばかりの未知の薬にもすがってしまうのだろうと思う。アストラゼネカ社の責任は非常に大きいと思う。そしてそれと同様に、多くの死亡例があったにもかかわらず、なかなか使用をやめていない医療現場の責任者たちの責任も同様に大きいと思う。誰もの命が、平等に尊いものであるから、死亡可能性のある薬を、ばくちのように使用することは、間違っていると思う。死んでしまったらもう取り返しがつかない。そうなる前に、薬害についての研究がもっと進み、薬治療が安心して行われるようになればよいと思った。ありがとうございました。

004● 去年の今頃,私の祖父もがんで亡くなりました。それはとても急なことで,受験のこともあり,受け入れるのが大変だったことを思い出します。祖父の元へお見舞いに向かうたびに,彼が弱っているのがわかり,もともと細かった祖父の足は棒のようになっていました。がんという病気の怖さを身をもって感じたように思います。だからこそ,がん患者の方の苦しみを思うと,抗がん剤にかける望みの大きさもわかるのです。一日1日を大切に生きているがん患者の方の命を少しでも長く伸ばしてあげたいと思うのは当然だからです。そんな中で起こってしまったこの事件。メディアの情報力,日本のがん塗料の遅れの中で生まれたことが原告の方のお話でよくわかりました。なぜ,がん治療こ後進国の日本でこの薬がすぐに認可されてしまったのかと言う部分が少し疑問なのですが,日本の医療業界が少しでもがん治療について進歩できれば・・・と思います。娘の死を受け止め,熱く語ってくれた彼の強さをとても感じました。
           
005● 問題の見逃し・隠蔽、誇大広告、インターネット上の間違った情報・・・イレッサの薬害を広めてしまったことの原因はさまざまあるが、そのすべてに共通することは、がん患者の命を軽んじたことだと思う。病気で苦しむ人々の命よりも会社の利益を重要視しているからアストラゼネカ社はイレッサ発売に踏み切った。がん患者の命よりも自分たちの体裁を守りたいから厚生労働省は誤りを認めず、何の対応もしてこなかった。何よりも一番重く、大切なのは人の命なのに。人の命こそ一番に守るべきものなのに。私自身や私の家族ががんで苦しんでいて、新薬についてあんな情報が氾濫していたら、わらにもすがる思いでイレッサを使用していただろう。そんな、弱者につけ込むようなことは絶対に許せない。近澤さんは裁判を通してつらいこともたくさんあると思うけれど、ぜひ勝って、国を動かしてほしいと思う。がんばってください。

006 平山安全対策課長の発言「教訓はない」というのをVTRで見たとき、こういう立場にいる人たちは、人の命をどういう風に考えているのだろうかと思った。ただ書類などを見て、数字、情報としてしか考えていないのではないのかと思う。どうしてそういう風になってしまうのかわからないが、そういう態度を改めなければ、こういった医療の問題は決してなくならないと思った。近澤さんのお話を聞いて、現在のがん医療の問題点などを知ることができた。どうすればよくなっていくのか、考えたいと思った。

007 近澤さんのお話を聞いて。聞けば聞くほどどこに原因があるのかわからなくなりました。これは“薬害イレッサ訴訟“という名になっていますが、この中に今の日本の、世界の多くの問題が含まれていると感じました。ネットの問題、がん治療の問題、情報公開、安楽死・・・一つ一つの問題が大きすぎて、頭を抱えてしまいました。イレッサについては、作った会社も、販売した会社も、厚生労働省にも責任があると思います。これだけの検査結果がありながら、いまだに責任を押し付け合い、あいまいな答えしかできない日本政府にはあきれるばかりです。現在、父の弟さんが、がん治療中です。詳しいことはわかりませんが、そのとき初めて、他人事ではないと思いました。裁判傍聴にぜひ行きたいと思います。

008● 「何のために抗がん剤を服用するのか。少しでも長く生きるためです」今回の話で、一番印象に残った言葉だった。私は高校生のとき、薬剤師になりたくて必死で化学の勉強をしていた。私の高校の理系の子は医者を目指している子も多かったから、「どうして医者じゃないの?」と聞かれることもあった。私は手術をしたり直接治療を治すのは医者だけど、実際病気を治しているのは薬じゃないか、と思っていたので薬剤師になりたかった。なぜか今はこうして教育学部(しかも国語科…)に在籍しているけれど、やっぱり病気は薬が治すものであるべきだと思っている。“最小限の副作用で最大限の効果”があるべき薬の姿だと思う。今回の話は私にとってすごく残念だった。

009 今日のお話を聞いて、日本の医療に対する姿勢のなんといい加減なことかと強い憤りを感じた。特に、現在日本で死因第一位となっているがんの患者に対して、あまりにも無責任であると思った。原告の近澤さんが、「娘が死んだことよりも、だまされたことのほうが悔しい」とおっしゃっていたが、そのお気持ちももっともだと思う。効果的な治療薬もなく、ほとんど野放しにされていた患者への対応として、データも大してそろっていないような薬を安易に提供したアストラゼネカ社や虚偽としか言いようのない情報を流した学者たちの責任は思い。また、この事件の裏に企業と厚労省、ひいては政府との癒着があることも見逃せない。このことは医療だけでなく、日本のあらゆるところに影響を及ぼしていると思う。ともかくも、この訴訟を通じて成果が得られているのは喜ばしいことだと思うし、国が企業の利益でなく、もっと国民のことを考えられるようになってくれればと切に願う。原告の皆さんはつらいこともあるかもしれないが、頑張ってほしい。

010● 薬害について私は今まで考えたことはなかったけれど、このイレッサに関しては政府の対応が間違っていると思う。薬の安全性をきちんと吟味することなく販売を許し、プライバシーの問題として実験・調査の結果を公表しない。プライバシーを問題として情報を公開できないのであれば、せめて政府が責任を持って安全性を証明してほしい、また、処方は医師の適切な判断説明のもとに行われているので問題はない、といっていたが、医師たちはどこまでイレッサの副作用を把握できていたのだろう。厚生労働省の対応は、医師に責任を押し付けているように私には見えた。抗がん剤ならば副作用があって当たり前なのか、という弁護士の問いについて、私なりに考えていきたいと思った。

011 「夢の新薬」という光の満ちた言葉によって、これほどまでにおおくの人々が,がんで亡くなるよりもずっと早く亡くなってしまっているということを知り、驚きました。インターネットによる書き込みは、口でいうのとは違い、ずっと残ってしまうし、誰もが書き込め、誰もが見ることができるので、改めて恐ろしいと感じました。がんという病気であるということだけでさえ、気持ちは不安でいっぱいであるのだから、ちょっとした甘い言葉に副作用なく直る可能性を信じたいと思うのは当然のことです。これだけ期待されている薬なのだから、もっと慎重に実験を重ねた上で承認される必要があったと感じます。申請から承認までの期間が異様に短いと思いました。被害者の方が補償や救済を早く受けられるようになることを願っています。ありがとうございました。

012● 近澤さんのお話を伺い、インターネットの問題について考えさせられました。がんの患者さんたちが血眼になって情報を求めているとき、そのコミュニティとしてインターネットが使われることはよいことです。しかし同時にみんな一緒にわなにはまる可能性もある、という恐ろしさは考えもしないことでした。書き込みを規制することも容易ではないと思いますが、まず情報に対する嗅覚を鋭くするためにも、情報教育の必要性を感じました。また、こうした誤った情報の大々的な広まりは、当然チェックされるべきものであり、そのためにはしかるべき期間が必要なのかもしれないと思いました。情報の真偽を確かめるのは困難ですが、少なくとも誤っているという疑いが大きくなった時点で、それまでの情報を一新させるよう取り組みが必要だと思います。こういう場面でこそ、インターネットの流動性を生かしてほしいです。それにしても、欧米の反応の速さと、日本の態度の違いに頭を抱えたくなりますね。

013● ビデオの中の厚労省の係の対応があまりにひどくてびっくりした。インターネット上の書き込みを、製薬会社関連の人がやっていたり、インターネットの書き込みを「広告ではない」といったりと、本当にありえないと思う。また、「どうせがん患者は死ぬんだからしょうがない」というような考えを厚労省が持っているのなら、なぜ抗がん剤を作るのか、とも思ってしまう。前にほかの授業で、がん患者に安楽死は認められるかという問題を扱ったが、「無駄な命はひとつもない。」という津田さんの言葉は、そのときに国や医療現場の方に傾きそうになっていた私に、再度人に命について考えさせるものでした。今日は、貴重なお話をありがとうございました。

014● パソコン内の情報がどれくらい信用できるものなのか、改めて考えさせられた。国や病院側が責任逃れをしようと必死になって、そのためにまた新たな被害が生まれていることも知った。ただ、今日の講義の最後の部分は、私が苦手とする問題だった。安楽死についてである。この問題については、中学・高校と何度か考えてきたが、答えが出ない。患者のつらそうな姿を見て家族がさらにつらそうで、そのため医師はやむなく大変になっただけなのかもしれない。そんなことを考え出してしまって、どっちが正しいとかがわからなくなる。この問題は一生かかっても答えが出ない気がした。

015● 薬害イレッサに関する問題を、今日のお話ではじめて知りました。津田弁護士のお話で、“政策形成訴訟”という新しい用語を聞いて、国づくりの訴訟というのは新鮮だと感じました。また、生命倫理については、私は今まで延命治療を行うことについてはあまり賛成の立場ではありませんでした。人間はひとつの生物としてあるままに、余計な治療を行うことなく命を全うすることが自然でよいと考えていたからです。しかし、今日近澤さんのお話を聞き、イレッサを服用することでより命を縮めてしまうのならまったく意味のない治療だとおもいました。また近澤さんが「がん患者は一日一日をとても大切に生きている」とおっしゃっていて、今まで私が持っていた生命倫理観が変わりました。失いたくない大切な命だからこそ、少しでも長く行きたいと思うのは、当然のことだし、死という現実を突きつけられたときには、より強く思うものなのでしょう。今日は本当にお話を聞くことができてよかったです。

016● 私には、薬物アレルギーがあります。中学三年生のときに風邪薬を飲んだら、顔や手の指など全身がむくみ、呼吸困難になりました。本当に苦しかったし、もしかしたらこのまま死んでしまうのかなと救急車の中で考えました。この経験があるので、もしも私ががん患者で、イレッサのことを知ったとしても、すぐに「使いたい」とは思わないし、できれば使いたくないと思ってしまうが、中3の経験がなかったら、そして治らないがんを患っているとしたら・・・と考えると、イレッサに望みを託したくなるだろう。それなのに高いお金を払ってイレッサを服用したにもかかわらず、薬の情報がうそだったり、病気が治るどころかひどくなってしにいたるなんてひどすぎると思った。署名など、できることは限られているが、力になれればいいなと思う。

017● この授業は、仕方がないとあきらめることは許されない、人間が責任を取らなければならない問題にばかり直面しなければならないのでつらいです。うちの父親の家系は、全員がんで死んでいます。私のお父さんは、自分が絶対がんで死ぬんだと思い込んでいます。お母さんはそんなこと信じていません。でも2年位前の健康診断だったと思うんですが、レントゲンで胃に影が見えるから再検査だといわれ、お父さんは本気で落ち込んでいました。結果、何もなくて、本気で安心してました。でもその出来事で、がんは実は身近なものなんだなぁとおもいました。もしお父さんががんになったとき、イレッサで死んだとしたら、許せません。そんな私の両親は、二人とも病院勤務で比較的薬に這いうるさいですが・・・この訴訟があるということすら知らない人は、どう身を守ればいいんでしょうか。

018 対応の遅さや固定観念に厚労省の対応など、日本の馬鹿さ加減が現れていると思う。欧米の対策を見てなぜ何も動きを見せないのか。閉口してしまう。ひとつわからないのが、製薬会社についてだ。英国に本社のあるアストラゼネカ社と日本のアストラゼネカ社とは、どれほどのかかわりがあるのだろうか。本社が欧州での承認申請を取り下げたとき、日本にはその影響はまったくなかったのだろうか。欧州での信用は大切だが日本は知ったことではないと本社が考えていたとしても、イレッサに関する一連の流れを知っているであろう日本支社は何かしら対策を立てられたはずだろう。何も検討されなかったわけもないであろうから、検討したうえで売れるうちに売ってしまおうと判断されたのかもしれない。もしそうなのだとしたら、企業の利益追求は想像を絶する恐ろしさである。

019● 私の家計は代々は胃がんで亡くなる人が多く、一年ほど前にもまだ53歳という若さだったおじが肺がんで亡くなったばかりなので、今回のイレッサ薬害の話は本当に人ごとではない話だった。がんになったことを告げられた患者の方々はまさにどん底といっていいほど落ち込み、どうしていいか分からなくなり、治せる希望があるならどんなものにもすがりたいと思うのは当然のことで、その気持ちに付け込んで危険とわかっている薬を販売した製薬会社はとても許せるものではないし、また承認を急ぎ多数の被害者を出した厚労省の責任はとてつもなく大きい。なのにもかかわらず、厚労省の『教訓はない』とのうのうと言い切る態度には激しい怒りを覚える。薬を認可した人間は、自分が肺がんになってもイレッサを服用出るのだろうか。

020● 「もし、後少しでも生きられるならどんなものでもすがりたい」そう思うのが人間でしょう。本当に、すがるような思いでこの薬を使用されたのだと思います。その結果、死を早めてしまった・・・。憎くて、悔しくて悲しいことでしょう。私は、9月に一番仲の良かった友達を事故で失いました。状況は違います。でも、もしその子が事故にあって、意識不明で生きていて、そのときにそのような薬があって、飲んで、死を早めてしまったのだとしたら・・・。想像するだけでも、残された家族の気持ちが分かるような気がするのです。薬は、命を救うこともあれば奪うこともある。でも、本来なら奪ってはいけないのです。『奪われていい命なんてない』本当に、そのとおりです。私は、本来ならあの実験用のマウスでさえ命を奪ってほしくないです。でも、あのマウスがあって救われている命もあるわけで・・・。命って何なのか。この世の何より大切なものだと私は思います。

021● 今日の授業を聞いていて、薬というものの怖さを知りました。何か体に不調が現れたら、病院にいって薬をもらう、というのは誰もが考えることで、おそらく誰もこのプロセスに疑問は抱かないと思います。一般人である私たちには、医療に関する知識はまったくといっていいほどないといえます。(そのための医学部・薬学部であるといえるでしょう。)それゆえに、医療の知識への信頼は絶大であるのだと思います。そのような状況である私たちには、新薬のことなど到底分かるものではありません。認可されている以上は大丈夫なのだろうと思うのが普通です。薬害というものは往々にしてその期待を裏切るものであるといえるし、審査が不十分なまま認可された医薬品による薬害は、遠まわしな殺人なのではないかと思います。人の命を守るための医師や薬剤師が、人の命を狭めることは絶対に許されることではありません。本当に恐ろしいものであると思いました。これだけの被害がでているのにもかかわらず、いまだにイレッサが出回っていることや、イレッサを服用してみたいという患者さんがいるのにもびっくりしました。

022● 今日、初めて薬害イレッサ訴訟の存在を知った。今まで抗がん剤のことも良く知らなかったし、イレッサという薬の存在も知らなかった。ビデオや話を聞いて、イレッサの副作用の強さに驚いた。副作用によって死に至るということは本末転倒であり、あってはならないことだと思う。また延命効果もあまり期待できないということは、薬として販売されてはいけないと思う。しかし、その薬は今も使われ続け、被害者が増えているらしい。がん患者というのは、きっとわらにもすがる思い出いるのではないかと思うが、その思いを逆手に取り、儲けている企業があることに、僕は信じられない気持ちでいっぱいである。早くイレッサの事態が明らかになり、被害の事実を国が認めたこれ以上被害者が増えないように対策をすることを心から願っている。

023● 自分もかつて定期的に大量の薬を飲んでいた時期があり、“医者からの処方”にはある程度の信頼性があるものと思っていました。今日のお話で、それが音を立てて崩れてしまった気がします。10年遅れているという治療、やっと昨年から始まったという専門医の計画(だとすれば、今がんに侵されていたと判明した場合、“専門医”に見てもらうことは出来ないという切実な話です)薬があればいいというものでもないとおもいますが、そうすると抗がん剤の少なさも、積極性の薄さではないかと疑わざるを得ません、医者(病院)と家族との関係は、非常に難しいものであると思っています。医者は神ではないので常に完璧な対応をすることは不可能であり、家族からすれば一握りでも大切な人を救う可能性があったのに、それを実現できなければ、理不尽に感じると思います。(偉そうな言い方だとは分かっていますが)だから近澤さんが『悔しいのはだまされたこと』とおっしゃったことが印象的でした。助けられないことではなく、そこに誠意がなければ決して成り立たない関係だと思います。

024● 薬の宣伝・広告が禁止されているということを近澤さんのお話によって初めて知った。この話を聞いている中で「そういえば抗がん剤のCM見たことないな」と思っていたので、解決しました。宣伝が出来ないから、インターネットの掲示板に書き込む、これは「宣伝にならない」とはいえないと思った。しかしながら、インターネットの力がここまであるということに驚いた。有用な情報も多くあるが、うその情報もあふれているということを肝に銘じてインターネットを使わないといけないだろう。現代型の問題であると思った。

025● 薬害イレッサ訴訟について今まで何も知りませんでした。イレッサという薬自体、存在を知りませんでした。広告や宣伝のとおりの効果を得られるものであれば、目のつくところに情報があってもよい。その後、薬害として訴訟に発展したので、同様であると思いました。しかし、今回の津田弁護士、近澤さんの話を聞いて、この問題はきわめて重大であることが伝わってきました。がんは死にも直結する病気です。1日1日を大切に生きているわけです。しかし、治る人もいます。がん患者の方々はその治療にかけている人もいると思います。そういった人々は治ればどんなことでもしてしまう。イレッサはそうした人の弱い心につけ込み、販売したのだと思います。情報化社会がもたらした被害の拡大の現われだと思います。インターネットを介した情報があふれ、使用する機会も多いので、正しい情報を見つけること、また、提供者も正しいデータを提示して、データに基づく情報を流してほしい。インターネットは胡散臭いので信用しなくてもいいけど、紙の文として存在しているものは難しい。専門雑誌ですら、信憑性に欠ける情報が乗っているこの時代、私たちは考えて、正しい情報を手に入れていかねばと思いました。

026● 「命の重さを問う裁判だ」とビデオで言っていたのが印象的でした。ずさんな対応で人の命を奪っておいて、「反省点はない」と開き直っている厚生労働省は命を何だと思っているんだと思いました。ビデオでしゃべっていた人は親や子供にイレッサを飲ませることができるのだろうか…。副作用は仕方ないとか症例を集積しようとか言っているのを見ると、抗がん剤を求める人々の必死な気持ちを利用して会社は稼いでいるのだと思い怒りを感じました。何より、私はこの授業に出なければイレッサの実態について知らなかったので、将来自分や家族が当たり前のように使ってしまう可能性があったと思うと、本当に怖いと思いました。この薬害の責任を厚生労働省が認めなければ、今後同じことがまた起こるであろうという弁護士の方の意見に目を覚まされた気がしました。この事件をスルーしてしまったら、また同じような事件が起こるのだと思います。薬を安心して飲めないような世の中にはしたくないです。将来教師を目指すものとして、この事件に注意を注い行きたいと思います。

027● 先週のぜん息のお話も今週の薬害イレッサのお話も、私にとって身近な問題であるという意識がなく、今回のお話も聞くことのほとんどが始めて知ることばかりでした。特に、近澤さんのお話で「日本にはがん専門医がいない」、「医師免許があれば抗がん剤を投与することが出来る」という事実は本当に驚きでした。『ガン』という病気廃止といってもやっぱり専門に勉強しなければ分からないことだと思うし、あまり知識がないにもかかわらず治療することは決していけないと思います。今回のようにアストラゼネカ社の『副作用が少ない夢の新薬』といういかにも人を信じこませるような、そして結局はだますことになった根拠のない言葉には本当に憤りを感じました。近澤さんを始め、原告の方々にはあきらめずに活動を続けて言ってほしいです。

028● 「薬害イレッサ」今日始めて耳にした言葉である。昔『薬害エイズ』という事件があったが、薬害問題は今でも存在することに大変驚いた。抗がん剤による副作用での死亡者が676名というのはあっていい数字なのだろうか?あってはいけない数字であろう。副作用の苦しみを表現するのに『プールに顔をつけられて呼吸できない苦しみ』という津田弁護士がおっしゃっていたが、その苦しみが病気治療の段階であるのはおかしいと思う。近澤さんや津田弁護士の話はとても心に響いた。一刻も早く被告側は罪を認めるべきであると思った。

029 「薬害」の背景には日本の医療が抱ええるさまざまな問題があると思う。まず薬が絶対的に少ないこと。近澤さんが言っていたように、薬が少ないために患者は盲目的に薬を求め、ネットなどの不正確な情報に頼ることになる。2つ目に閉鎖的であること。日本の医療は患者と医者の距離が絶対的に離れている。多少改善されたとはいえ、医者が書くカルテや医者の話、薬などの事柄は患者には理解するのが難しく、その点で患者は医者を信じる他ないのである。おの2点を改善し、医者と患者が対等で、互いに十分な情報、認識を共有し、患者が医療を選択できるようになれば、「薬害」という医療の逆機能化は防げるのではないだろうか。

030● このようなことがあったなんて、知らなかった。医者たちがイレッサの関連があるだろうという結果を示したにもかかわらずもう少し待ってみるという結論を出した機関が信じられない。ガンにかかわらず、いろんな病気を持っている人は治したいという気持ちでいっぱいなのに、副作用など、しっかりと調査しきれていないのに「この薬はイイ」などと言って売りつけるのはありえないことだと思う。患者やその家族はわらにもすがる思いだ。「治る」とか、「効く!」とか書いていたら飛びつく人はたくさんいるだろう。患者たち自身もちゃんと調べたりするべきだが、薬をつくる会社、調べる人たち、その薬を取り扱う病院、医者、など関わる人たち全てがちゃんとその薬について知るべきだと思う。患者さんたちも受身ではなく、積極的に知ろうとすることが大事だと思う。私の父は医療関係の仕事をしているので、いろいろ話を聞いてみたいと思う。

031● 厚生労働省の対応は「怒りを覚える」というより、「呆れ返る」ほどのものだ。専門である医師達が、一つの薬について問題があると報告しているのに、様子を見るの一点張り。効果があると言っておきながら、科学的データはないと言う。どう考えたって人に処方し、その効果を見ようという「人体実験」以外の何物でもない。むしろ、一種の「国家殺人」なのでは?と疑いたくなってしまう。人や人の作ったものには完全無欠なものはない。ミスもある。しかし、この事件は、事前にデータを蓄積した上で審査すれば容易に防げたし、万が一発見できなかったとしても、発生後に迅速に対応すれば、ひどくはならなかったはずだ。原告と被告の原告側の意見しか聞いていないため、もしかしたら偏った考えになっているという可能性もあるが、それを考慮したとしてもあまりにもひどい状況だ。断固たる態度で臨まないといけない問題である。

032● 「イレッサ」というものが何か、どうしてそれが問題になっているのか初めて知った。がんという病気はとても恐ろしいが、わらをもすがる思いで試した薬によってもっと苦しむことになるとは。最も印象に残ったのが、ビデオで厚労省の方がインタビューに淡々と答えていたところだ。「イレッサの事情からは何も学ぶことはない。」と言いきった役人に嫌悪感がつのった。近澤さんのように自分の子供を失ったときでも本当にそういうことが言えるのだろうか。また、近澤さんのお話から、日本のガン医療の現状も知り、驚いた。本当に信用できるものは何なのか。この裁判を通して国はそのようなことを真剣に考えてほしい。

033● 薬の副作用によって命が奪われることがあるなんて、とても驚いた。患者さんは自分の病気を治すためには、どんな薬・治療法もすがる思いで利用するだろう。そのような患者さんやご家族の方の思いを、製薬会社や厚労省は裏切っている。人命がかかっている薬の承認を、なぜ簡単にやってしまったのだろうか。とても悔しい。私の祖父は、一昨年すい臓ガンで亡くなった。末期で話すことも目を開けることもできなくて苦しんでいる姿をずっと見てきた。しかし、このように末期であっても、祖父や家族は病気が少しでもよくなるように、苦しさがやわらぐように、アガリクスなお様々なものにたよった。イレッサのような薬もあったら使っていただろう。このように承認された薬を信用して使って、副作用で亡くなってしまったとしたら、とても考えられない悲しみを味わうと思う。祖父も悔しがるだろう。病気で亡くなるよりも。製薬会社も、厚労省も、たった一種の薬で患者の一生が決まるということも過言ではないことをもっと自覚してほしいと思う。薬害で苦しんでなくなった方々のためにも、日本のガン医療が改善されていってほしいと思う。

034● 命が残り少ないがん患者にとって、命をのばすための方法があって、それをお金で買えるなら、どれだけ幸せなことなのか。しかも、副作用がないと言われ、マスコミでも大々的に宣伝された魔法のような薬だったら、誰でも買いたいと思うだろう。そのように、一般の人々に知れ渡る前に、イレッサの危険性を我々に迅速に伝える制度をつくっていかなければならないと感じた。でも、日本の医療制度について、何も知っていないということが、今日の講演を聞いて気づいた。どうして、なんで、という疑問だけが残ってしまった。裁判をおこさなければ、そのことで世間に知られるようにならなければ、国が変わらない、謝罪しないというくさりきった日本をどうにかしていい方向にもっていこうとする津田弁護士や原告のその力強いpowerが、とても尊敬に値するものである。

035● 今日の題材は今までの授業で一番興味を持ちました。授業のはじめに流れた映像の中に、画期的な新薬としてのイレッサの登場をよろこぶ掲示板への書き込みが、とても生々しくて、何ともいえない気持ちになりました。私は日本の医療は進んでいるものだと思っていましたが、原告の方のお話の中で日本のガン治療は米国に比べて10年も遅れているということを聞いて非常に驚きました。厚生労働省で世界初の認可がおりてからわずか1ヶ月で「延命効果なし」という報告がなされているにも関わらず、それから4年以上経った今でも、患者の思いを利用して、薬を売りさばこうとする誰かがいて、その薬を求める人が後を絶たないという状況は恐ろしいと思います。情報のこわさと、医療界への不審がつのった90分間でした。ひとつだけ疑問に思ったのは、本当にこの薬で全快した人は一人もいないのだろうかということです。これだけイレッサによって命を落とした人がいる状況では、そんなことは意味がないのかもしれませんが…。しかし、なぜアストラゼネカ社がイレッサを作ったのかということも知りたいです。原告の近澤さんのお話しは、がんにまつわるさまざまな方面の問題がうかび上がってすばらしかったです。

036● 私の親もガンなので、今日の授業は私にとってとてもつらかった。抗ガン剤に副作用があるのは防げないのはある程度確かなことかもしれないけれど、その副作用を背負うのは患者自身である。患者側にたって薬を作ってほしい。そして何よりも許せないのは、誤解を生むような宣伝を行ったことだ。「夢の新薬」だとか、「副作用が少ない」とかをガン患者がきいたら、どう感じるか考えてほしい。きっとうれしくなるし、安心するはずだ。しかし、イレッサはその期待を裏切り、たくさんの人々の命を奪った。結局、薬を大量に売り、利益を得ることを優先し、患者のことには十分に配慮していないような、薬品製造者側の、利己主義的な精神がうかがわれるのが残念だ。薬は、人を助けるためにあるものだ。人の命を奪うためにあるものでない。薬は単なる商売道具とは異なる。人間を助けることもできるが、殺すこともできる、恐ろしいものでもあるのだ。そういった性格をもつ薬というものは、慎重に扱われる必要がある。そして医療は、治療する側と、される側の信頼に基づいて行われるべきである。短い命も、これから始まる命も、まだまだ長い命も、みな平等な価値がある。命に対する冷たさが、今回の事件を生んだのではないか。あと短い命をその人がどのように生きていくか、短い日々を一日でも無駄にしないために、十分考慮し、支えていくのが医療である。医療と切り離すことのできない薬をつくる、そしてその薬をしようすることが、一人の人間に何をおよぼすのかということを、慎重に考えるべきであり、あいまいな判断や、他人事のような精神、利己主義の基づいた態度で医療に携わってはいけない。

037● 何故「副作用で多くの人が亡くなっている薬だから、使用をやめよう。せめてもう一度検討しよう」と国はしないんだろうと単純に憤りを感じた。こんなに薬害がはっきりしているのに、使用について何の問題も感じていない国の責任は重い。国側の思惑なんてわからないから、本当にただこの薬について考え直し、承認の体制をきちんと管理し、実験(動物実験など)の結果を考慮し、それも検討に入れる。そしてちゃんと命の重さを考えるだけで、十分このような悲劇はなくなるとおもうのにって、切実に思う。「効きます」とか「データがない」とか「実験に有用性がない」とか国民、しかも生きるために必死な国民に嘘をついたり、隠蔽したり、責任から逃げたり、許されるものではない。

038● 私はこれまで「イレッサ」という薬がどのような問題を起こしていたのか知らなかった。しかし今回の授業をうけて、イレッサが企業や厚労省をとおし、多くの患者さんたちを苦しめてきたことを知り、大変ショックをうけた。ガン患者の多くは自らの病に苦しみながら、その回復を強く願い、イレッサを投与したのだろう。延命効果を期待しながら高い薬を買い、そのせいで寿命が縮むようなことがあれば患者もその家族も、いたたまれないはずだ。「なくなっていい命などない」という津田さんの言葉が強く心に響いた。余命が少ない人を人体実験にするような行為は人間のすることには思えない。津田さんの言うとおり、残りの命が少ない人ほど、その人生を有意義に過ごせる様周りの人間が配慮するべきではないだろうか。彼らが間違った情報に依存し、人の命を奪ったとすればそれは立派な殺人である。これだけ多くのガン患者を苦しめたイレッサが今なお「夢の新薬」として一部で騒がれていることに大変驚いた。この原因として、国や製薬会社が「イレッサは危険な薬物である」という事実を認めていないことがあるという。重い病に苦しみ、藁をもつかむ思いで、治療法を必死に探している人が、この情報を見つけてしまったら。国や厚労省はもっと情報の管理を徹底するべきであろう。ガン患者は一日一日を必死に生きている、という言葉が印象的だった。言葉の全てがずっしりと心に染みた。

039● イレッサでの死亡率はどの位なのか。おそらく676人もの死亡例があれば、結構高いのではないかと思う。イレッサによって治る人はどの程度まで回復するのか気になった。もし自分が末期ガンで、余命あとわずかとなってしまったならば、イレッサに手が延びてしまうかもしれない。私はイレッサについて何も知らなかったので、もう少しよい点というのも見て、客観的に判断したかった。(国が研究データを公開しないのはおかしいと思う。)たくさんの人が亡くなっている事実から、よほどひどい薬なのだろうと思うが、死亡率50%なのか、10%なのか、0.1%なのかこれによって判断が異なってくる。ただ薬害訴訟としてあげられているものを、患者の助かりたいという心理につけ込んで、いつまでも売り続けているというのは危険だと思う。これではいつまでも被害が拡大し続けてしまうのは必至だろう。売れるから、とか自分の名をおとしたくないからなのかは分からないが、なぜ国は承認したままなのか?先進国であるはずの日本が、なぜこんなにも後進的なのか?患者のために、ということは、どの程度国は考えていてくれるのだろうか疑問に思う。お話を聞くと、国は後にひけない状況にきているのではないだろうか。何とも冷たい国家だと思う。こういった訴訟活動はどんどん多くの人に知ってもらうことが必要だろう。そうすれば世論が変わって、国に変化をもたらすことができるかもしれない。一人ひとりの力は微々たるものですが、くじけることなくがんばってください。

040● ハッキリ言って私は、この問題についてまったく知らなかった。この授業が問題意識を持つきっかけになって良かったと思う。ニュース番組の特集か何かで厚生労働省の保守性が批判を受けていたのを見たことがある。新薬が開発されても承認までに非常に時間がかかり、治療なお可能性があるものも国内では何もできないような事例が多くあるということらしい。薬の導入にはあくまで慎重であるべき、という姿勢はこのイレッサの薬害の教訓の中にも示されているが、新薬導入の逆の副作用が強く用いるべきでない薬の禁止・回収等に見せた消極性は怠慢というほかになく、批判せざるを得ない。慎重でなくてはならないというのは、動き出すまでに時間を空ければ良い(もしくは、空けてもよい)ということでは決してなく、詳細な調査をあくまで可及的速やかに行い、それに基づいて有効な判断を下す、そういう姿勢であってほしい。そうでなければ、とても国民のための政府とは呼べないだろう。私は父方の祖父をガンで亡くし、私が生まれる前に医療ミスで同じく父方の伯母をなくしています。私は伯母を知りませんが、医療ミスでふいに大切な家族の命を奪われたときの家族の落胆、衝撃のようすは見聞きして分かっているつもりです。「あまりのショックに裁判なんて考えることもできなかった」と祖母は言います。そんな中で立ち上がった近澤さんはとても強い方だと思います。応援しています、がんばってください。

041● 私のおばさんもガンで1年ほど前に亡くなった。何だかまだ公的には認められていない薬を点滴に入れるようにお願いしていた。その薬には楽に死ねる作用があるとおばさんは言っていた。私は公には承認されていない薬なんて信頼できるのかなぁ、楽に死ねるって死んだ人から感想を聞いたわけでもないのに何で分かるんだ!!と思いましたが、おばさんの息子たちはその高い珍しい薬を血眼になって探し、秋田から東京にまで飼いに通っていました。お医者さんも公認されていない薬を買うために処方箋を出していたし、この薬を点滴に入れてくださいといったら言われるがままに入れてくれましたが、これは正しい行為なのですか?医者は患者が望めばそれに従うしかないのですか?結局おばさんはみんなに言わせれば「楽」に死んだのかもしれません。でも、息子の顔も兄弟の顔も分からず、赤ちゃんのようにおしっこをたらし、1日中何もしゃべらず天井を見つめているおばさんを見て、この薬を投与してよかったのかな、と私は思います。その薬を投与すると気がくるえるそうです。苦しみがわからないんだそうです。そんな薬でも飛ぶように売れる。やはり90を過ぎたおばさんはどうすれば楽に死ねるかが重要でどんなに高くても買っていましたが、多くの人はどうすれば長く生きれるかに焦点がいくのが当然だと思います。国が認めても、認めなくてもガン患者はくもの糸にすがるがごとく、新薬に飛びつく。飛びつかずにはいられないというのが身内から見た意見です。だからこそ、副作用について製薬会社は詳しく言及しておく必要があると思います。死においつめられてる時には1つでもいい所があるなら試さなくては、といういいところにしか目がいきません。副作用について詳しく言及するのが当然の企業倫理なのではないでしょうか。

042● 厚生労働省がまだかつて厚生省だった時も似通った事件があったのを思い出した。薬害エイズ問題である。ヨーロッパ・アメリカはこの危険性が判明した瞬間、迅速な対応で一斉回収をした。しかし、日本の厚生省はもう少し様子を見ようと先送りして、結局薬害エイズを引き起こしてしまった。つくづく思う。小学生・中学生の頃から必死に勉強して東大に入り、OBのたくさんいる官僚になった彼らは、一体何がしたいのだろうか。さすが勉強ができるだけあって、問題が生じたらあらゆる言い訳を持ち込んでくる。彼らはそんな自分たちの仕事に誇りをもてるのだろうか。勉強できることと頭がよいこととは別だと感じた。もっと、ワラをもつかむ気持ちで裏切られた人たちの声をきいてほしい、リアルな家族の悲痛な声を聞いてほしい、ますます国民の心から離れていくのをやめてほしいと感じた。

043● 「イレッサ」その言葉すら私は今日初めて聞きました。“命の重さ”その言葉が胸に響きます。アストラゼネカ社の人は何を思いながらこの薬を作ったのでしょうか。がんにおかされている人々を助けたい一心で作ったあまりに他のものが何も見えなくなってしまったのでしょうか。それとも自分の会社の利益を上げたいがために、副作用を分かっていながら作ったのでしょうか。真実はわかりませんが、後者は絶対に許されないことだと思います。病気を治すことと引き換えに命を落とす。あまりにも大きすぎる代償です。“殺してくれ”と願うほどの痛み。私には測り知ることが出来ません。私の祖父も肺がんです。祖父は後2ヶ月足らずの命だと言われています。病院で副作用に耐えながら、少しでも延命するのか。家で最後の時を迎えるのか。祖父は後者を選んだようです。

044● 私は今回の薬害イレッサ問題について、患者さん達は殺されたと言っても過言ではないと思います。薬のせいで亡くなったことは明らかな上に、事前のマウス実験でも悪影響が確認されているし、更には薬の申請から承認が一般的な一年という期間よりもはるかに短い5ヶ月しかかからず、急ぎ足で、人の命を左右する薬を許可してしまったことも十分国と製薬会社が責任を取らなければならない理由になると思います。またビデオを見て強く衝撃を受けたのは、厚生省の平山安全対策課長の「教訓はない」という言葉です。安全に対して最大の責任を担う人物がこのような反省のない言葉をもらすことが信じられなかったです。反省のない過ちは必ず繰り返されると思います。今後の患者さんの為にも今もう一度この問題を正面から見つめなおすべきだと思います。

045● イレッサが承認された時の新聞記事の印象は「すごいな」というものだった。ガン細胞に直接攻撃するなら安全だと思った。日本が抗がん剤を承認することが少ないのは有名な話だから、医療の進歩だけではなく、日本の意識の進歩も感じさせるような内容だった。ガン患者にとっては、希望そのものだったかもしれない。話を聞いて思ったことは、国はこの訴訟を医療の問題にとどめておこうとしているのではないか。今の“医療”ではガン患者はここまでしか治せない。今の“医療”で副作用はつきものである。問題は、そこではないだろう。1番重要な問題は、「医療と患者の関係」だ。医療は専門職として情報を蓄えており、それを患者に提供してやる、という態度をとっている気がする。それではだめだ。それではいつまでたっても患者の被害がなくならない。医療は患者にとって素材であってほしいと思う。その素材を患者の望むように調理するのが医者であってほしいと思う。そういう関係をつくれなかったことが、国の責任であり、国はしなければならないことだと思う。医療の問題にしている限り、「教訓はない」ままであると思うが。どうなんだろう?

046● 薬局に薬を買いに行ったとき、数種類の薬があったためどれがいいのか分からずにお店の人にきいてみたら「この新しい薬が最近よく売れています」と言われ、素直にその薬を買ってしまいました。“新しい”と聞くとこれまでの薬より効用があるのだと思ってしまうし、“よく売れている”というのもそれなら信用できると信じてしまいます。しかし今回のお話を聞いて、自分がそのような選択をしたことが怖くなりました。薬は手軽に飲めるし、症状が良くなるもの、というイメージがありましたが、一歩ひいて考えてみると、自分の知らないところで自分の身体に影響を及ぼしているものであるので、簡単に服用してはいけないものなのではないかと思いました。近澤さんが、専門外でもがんの治療ができるというお話をされたとき、ドキッとしました。私は塾の講師をしていたとき、自分があまり得意でない科目をあいまいな知識のまま教えてしまった経験があります。生徒の先生に対する信頼は大きいもので、自分が恥ずかしくなりました。患者の医者に対する信頼というのも大きいものだと思います。昨年専門医を育てることが決まったのは“やっと”ではありますが、良かったと思います。私は、裁判というのは過去に行ったことのためにするものだと思っていました。しかし、近澤さんのお話を聞いて、裁判は未来にまた同じことを起こさないためにするものという意味もあるということに気がつきました。

047● 「薬害イレッサ訴訟」は「薬害」に限定される問題ではない。企業と国による情報詐称と、あまりにずさんすぎる官僚の体質、日本の医療制度自体の欠陥が多くのガン患者を殺したのだと思った。日本人の死因の1位である悪性新生物(がん)への対応がこんなにも不十分であり、ガン難民を作り出しているという事実には驚いた。ガン患者に対し、医者は最新の技術でもって最大の努力を尽くし、そして死んでいく、という勝手な思い込みがあった。私はこんなにも無知で思い込みだらけだ。この日本という国で、ガン患者とその家族は一体何を信じ、何に頼ればいいのだろう。死が近いと判断され、公然とモルヒネを投与される患者に貴重な1日を生きる権利が見えない。恐ろしいことだと思う。裁判、行きたいと思います。

048● 何故、日本でイレッサが禁止されないのか、不思議でたまらない。延命効果もなく、死に至る副作用があるイレッサ、なぜそこまで分かっていてアストラゼネカ社も日本政府も廃棄しないのだろうか。私達は無知です。特に私は、今日までイレッサという薬自体知りませんでした。そんな私達が、「夢の新薬」と言われれば、飛びついてしまうでしょう。ある意味、大々的な広告により、誰もが引き下がれなくなったのかもしれません。試験で悪い結果になっても、圧力により公表できなかったのかもしれません。しかし、それは絶対にあってはならないのです。何のための試験なのでしょうか。何のための情報公開なのでしょうか。何の効力にもなっていない事が明白です。そして、これは、これから先にまた起こるかもしれない危険です。薬害は、決して私と無関係ではありません。自分が病気になった時出される薬、その一つ一つに危険があるのです。本当に恐いと思います。私の父は、昨年大腸ガンになりました。私は今まで、ガン患者の方が亡くなるのは、ある意味仕方ないと考えていました。しかし、恥ずかしい事に自分の父がガンになったら、どうあっても助けて欲しい!!生きて欲しい!!と思いました。幸いにも、父は早期発見だったので、治りました。しかし、父が入院中、同じ病室だった方達を見て、胸が痛くなりました。日本の末期ガン患者やガン患者に対して、もっと手厚い対応や、末期の方が穏やかに過ごせる施設が必要だと思いました。近澤さんが喋った、「話を真剣に聞いてもらえて、私の娘は無駄死にじゃなかったと思える」という言葉が、頭に残った。

049● イレッサに対するビデオや弁護士さんの話を聞いて、イレッサはとても恐ろしい殺人薬だと思った。マウス実験で副作用があることもわかっていて、被害者もたくさん出ているのに、厚生労働省は何も対策せず、野放し状態であったことに信じられない気持ちだった。これ以上被害者が増えては、イレッサだけでなく、あらゆる薬の新製品を疑いの目で見るようになり、使用するのをためらってしまうことになるだろうと思う。薬は生命に関わるものなので、もっと万全に審査してもらいたい。原告の方の話から、国や製薬会社のずさんな対応に憤りを感じた。どうにか自分たちの責任を逃れようとするところに、自分たちの仕事ややっていることにもっと責任を持ってほしいと思いました。日本の医療の実態をたくさん聞けて勉強になりました。

050● 私は薬害イレッサ訴訟について何も知りませんでした。何もその薬について知らない状態で、「夢の新薬」「副作用がない」などと聞いたら、「とっても良いお薬なんだな」と思ってしまっていただろう自分を想像すると怖いです。今まで授業で多くの方のお話を聞かせて頂きましたが、その度に思うことは情報の怖さです。私もよく思うことですが、人は自分以外の人間が体験して効果があったことは信用しやすいと思います。“口コミ”で広まるなどがその典型だと思います。ですが、その“口コミ”を信用しないとすると、最期に信用できるのが国の承認ではないでしょうか。副作用についての記載が不十分だったアストラゼネカ社にももちろん怒りを感じますが、データが不十分のまま承認した国にも怒りを感じます。国が信用できないとしたら、私たちは何を目安に安全性、信頼性を考えればいいのでしょうか。近澤さんのお話を聞いていても、よりそれを実感します。副作用が確認され、死亡者が出ているのに、今でもイレッサが使用され続けていることには驚きました。被害がどんどん拡大しているのに、効用があるからといって使用を許可し続けている。これはおかしいと思います。危険が少しでもつきまとうならば、承認すべきではないと思います。近澤さんのお話の最後に安楽死のことがありましたが、私はそのことについて深く考えたことがありませんでした。考えるには難しすぎると思い逃げてきました。しかし近澤さんのお話を聞いてそれではいけないと思いました。近澤さんは「こんなにも多くの人に話をきいてもらえてうれしい」とおっしゃっていましたが、ぜひもっと多くの人にこの話をしていただきたいと思いました。

051● 「薬害イレッサ」という言葉は聞いたことがあったが、詳細は全く知らなかった。自分の祖父(昨年亡くなりました)と母はがん患者なので、抗がん剤の問題はとても身近に感じる。特に母は、がんを切除してから多くの薬を飲んでいた。幸いに母の症状は全快したと言える。が、祖父の場合は、結局がんが原因で亡くなった。副作用によって髪が抜けたり苦しんでいたという様子を父から聞いたことがある。そういった状況の患者や、それを見ている身近な人間にとって、「副作用がない」という薬は大きな望みであるだろう。世の中に出回っている情報を容易に信じてはいけないが、追い込まれた人間は信じやすくなってしまう。しかし、薬を手に入れる時に、国や専門家である医者から忠告(「副作用はある」「死亡する可能性がある」といった情報)を与えられれば、患者も服用を迷うであろう。「薬を希望した患者がいけない」「情報をちゃんと調べなかった患者がいけない」と、患者の自己責任としてこの問題を解決する人もいるだろう。だが、国や医師が認めれば、患者もその薬の効果や情報を信じるだろう。認定されていなければ服用しないだろうし、それでも服用することで初めて自己責任という問題になると思う。人が生きていく上で、病とは切っても切り離せない存在であり、薬も同じく必要な存在だ。そんな薬を信じられなくなる状況はこわい。

052● 人権教育の授業の中で苦しみを訴える方々は皆、自ら進んで不幸になったのではなく、気がついたり、口車に乗せられてしまった結果不幸になっている。実に悲しいことであり、社会体制というものを疑う。人の弱みに付け込むことを公的機構までもが行っているこの世間とはいったい何とひどいものだろうか。自分も重病といわれる喘息患者だ。小さい頃から何種類もの薬を服用してきた。もう薬はこりごりだ。最近自分の服用していた薬がこれから20年30年後に副作用が出るのではないだろうかと恐ろしくなる。まるで自分達が薬の効果を知るための丁度よい実験体だったのではないかなぁと思う。イレッサの場合、絶望の淵に立たされてしまった人々をだました。人として、企業や医療機関、役所は謝罪と補償を行うべきだ。

053● 病気にかかった人にとって、その病気が軽いカゼであろうが、末期的で重い病気であろうが、薬に治すための力を借りたくなるのは、すでに普通のことである。病気にかかった人が、薬の力に頼って、服用をしようとする場合、我々は、薬を、厚生労働省を信じて、疑うことをあまりしようとしない。重い病気(末期ガンなど)にかかった人々が、「すごい効き目!」といったような広告(うたい文句)を掲げている薬が出回った場合、すぐに飛びついてしまう気持ちもよく分かる。厚生労働省によって承認された薬なのだから大丈夫であるというのは神話なのかもしれない。今回のイレッサによって、薬害が起こっているということは、我々の普段服用している薬も実は危ないものなのかもしれないという意識を国民一人一人が持つきっかけにならなければいけないのだろうか。国民一人一人が、きちっと厚生労働省を監視する市政を取らなければ、安心して薬を飲むことができなくなってしまうだろう。決して他人事ではない。

054● 人の生に対する執着はどん欲だ。そこまでして生きたいか?と疑問になることもあるけど、「薬害」のような人災は絶対にあってはいけないと思う。ガンという死から逃れるために、死ぬほどの苦しみでも副作用と戦うというのは仕方ない。でも死から逃れるために、別の死があっては絶対にいけないはずだ。患者は弱い立場だし知識も少ない。だから医師や企業の説明を聞くしかない。医師や企業は真摯に対応する責任があるし、神様でもないのに命を扱う立場にあって真摯に対応しないことが信じられない。それになりよりも驚いたのは、今も「イレッサ」が日本で認められ使われ続けていることだ。TV等で「薬害イレッサ」という言葉を目にしたことがあるが、もう使われてはいないものだと思っていた。日本の対応がここまで遅れているとは知らなかった。医師にも企業にも、そして国にも見放されて、患者さんや遺族の方はどんな気持ちだろうと考えると、怒りが込み上げてくる気がした。「娘の死は無駄ではなかった」という近澤さんの言葉が耳から離れません。絶対に正しい戦いだと思います。がんばって下さい。

055● 薬害があることが世界的に分かっていながら、「効く薬だ」「希望の薬だ」と言って薬を売ることを認めた国の責任はとても重いものだと思いました。どうして認めてしまったのか?どうして広まってしまったのか?被害を受けた方々の気持ちは計り知れません。すがるような気持ちで見つけた薬が、最悪の場合死に至るという副作用を持っているなんて思わなかったでしょう。そもそも、こんな事態になってしまったのには日本のガン治療体制に原因があります。患者さんの気持ちはいつの時代も、ただ病気が治ってふつーに暮らしたい、それだけなのに、医療はそれに見合う発展をとげていないのです。薬害訴訟で一番悲しいことは、イレッサに限らないのですが、原告側が訴訟の間に亡くなってしまうことです。折角、訴訟を起こそうとがんばったのに、その訴訟の諸手続の間に亡くなってしまう…それはとても悔やんでも悔やみきれない思いだと思います。安楽死の問題はとても難しい問題だと思う。もしそれが、医師の意思のみの判断で行なわれていたとすれば、それは問題だと思う。しかし、患者が苦しくて苦しくて死んだほうがましだと思ってしまったとき、それが問題であるかどうかとてもあいまいになると思う。私は死にたいと思えば死んでもいいと思っているから、安楽死は別に構わないと思ってしまうが、患者の気持ちの底にやっぱり生きたいという思いがあるのだとすれば、やはり、安楽死という方法では解決できないのではないか。

056● 私は先日、風邪をひいて39度を越す高熱を出し、寝込んだばかりでした。熱が下がるまではとても辛い思いをしました。それでも、薬を飲むと少しだけ安心になり、「薬を飲んだからじきに楽になるだろう」というように思いました。このように、病気で辛い思いをしている人にとって「薬」とはそれだけ頼りにしているものであり、回復への数少ない望みの一つです。その「薬」が、逆に危険なものとなり得るということは、本当に恐ろしいことだと思いました。病気で苦しんでいて、わらをも掴む思いをしている人に、あたかも救いの手をさしのべるかのような宣伝文句で薬を売ったアストラゼネカ社が、とても許せないと思いました。また、私たちと同じ大学生でも、イレッサのことを知って、支援連絡会に参加していることを知り、自分と同じ様な学生でも、活動に参加していることがわかりました。

057● 私の祖父もガンで亡くなりました。ガンとわかってから、入退院を繰り返し、最期はつらいことですが、あまりにも苦しいため、「もう終わりにしたい、疲れた」と言うようになったと聞きました。元気だった祖父がそういうことを口にするほど、ガン治療は本当に苦しいのだと思います。そんな患者さんたちが、「夢の薬、イレッサ」と聞いたら、誰もが飛びつくと思います。副作用がない、すぐ効くと聞いたらなおさらです。まさか、売り出すための宣伝だなんて思わないし、そんな余裕もあるはずがありません。なぜ国はイレッサを承認してしまったのか?イレッサに関する正しい情報はどこにあったのか?ガンだから死ぬのは仕方ないと考えていること自体が問題だと思います。その考えに基づいて、被害の実態を隠そうとしているような会社が、薬を製作していることが怖いです。本当に病気を金儲けのためだけに利用しているようです。製薬会社、医師、日本に医療社会の制度にも多くの問題があると思います。ガンセンターの方針も、国民をだましているように感じられます。自己責任でイレッサを選んだのだから、わたしたちに責任はないと主張する製薬会社、国。確かにイレッサを選んだのは患者たちとその家族ですが、正しい情報を与えず、また間違った情報が流布していることを知っていながら訂正しなかった責任は大きいと思います。この裁判をもっと多くの人が知ることが、医療世界を変えることにつながるので、私も正しい知識を求めるようにしたいと思いました。

058● “美しい国”の行政が破綻していることは、あらためて言うまでもない。むしろ、私が特に考えさせられたのは、インターネット情報の危うさである。これまで、いくら「インターネットの情報の信頼性は低い」と言われようとも、どこが、どのように信頼性がないのか、不勉強なためよく理解し切れていなかった。しかし今日の講演において、肺がん患者はインターネットの情報を信じて服用したと近澤さんはおっしゃっていた。医薬品は広告宣伝が厳しく規制されており、自宅で寝たきりの患者にとっては、インターネットが情報取得のための重要なツールとなるようだ。そのような患者の状況を逆手にとり、「インターネット情報は広告宣伝ではない」という言い訳となってしまう。今回、初めて、具体例からネット情報の影を理解することができた。とてもすっきりした。

059● 今日の授業を受けるまで、薬害イレッサの問題を知りませんでした。特に津田弁護士、原告の近澤さんの話を聞いた中で印象的だったのは、インターネットなどによる情報の無責任さです。実際に私も、何か不明なことがあると、インターネットを使って調べることが多く、自分の一切知識のない場合は、そこで見つかる主流と思われる考えをうのみにしがちです。かつての誤情報など削除されぬまま残っていく現実に恐ろしさも覚えました。私はこの春から損害保険の企業に入社予定です。その中で、医療保険などに携わる機会もあるので、今日のお話を胸に留め、つとめていきたいと思います。

060● 薬害イレッサ訴訟の件は、今回の講義で初めて知りましたが、ひどい事件だと思いました。なぜ通常は承認に1年かかるのに、5ヶ月という短期間で承認されたのか。なぜ副作用について正確な報告がなされていなかったのか。アメリカやイギリスでは迅速に行われた対応がなぜ日本ではとられなかったのか。疑問が浮かび上がるばかりでした。癌患者たちにとって「希望の薬」とまで称されたにもかかわらず、実際は詳細な情報が開示されないというのはあまりに無責任だ。しかも、こういった事態が今現在起きているというのは信じがたい。近澤さんの話からは、イレッサへの期待を高まらせた情報を信じ込んでしまった悔しさが強く感じられ、聞いているのが本当に辛かった。この件についてはいち早く解決してほしいと思う。

061●イレッサを含め、抗がん剤のことは、ドラマなど以外では身近なことではなかったので、少し難しかった。でもガンという単語を聞くだけで深刻で辛い話だと感じた。また、日本の医療というのが、実は後れをとっていて、規制なども整っていない状況だというのは、意外であった。抗がん剤が一回効かなかったらもう無理とほっといたり、90日しか入院できなかったり…。それに手段がもうない患者がイレッサを見つけ、医者に聞くとガンに効くようだなんて無責任なことを言うのが信じられなかった。しかも、薬の服用は患者の自己責任だなんて、ほんとにあり得ないと思う。なんだか、医者の判断で、患者の容態が悪化し、結局言い訳、責任転嫁をしている感じが『白い巨塔』に似ている気がした。

062● 薬の承認前にマウス実験で危険性が明らかになっていたにもかかわらず、作為的に承認され、企業の経済的利益が国民の生命や安全よりも優先されてしまったことに強い驚きと怒りを感じました。国民の安全を守らなくてはならない国がその責任を怠ったために薬害が広がるなんてことが二度とおきないように、薬害イレッサ訴訟で被害者に最もよい結果が出るよう願っています。自分にできることは、この問題についてよく理解し、署名するというような小さなことくらいかもしれないけれども、応援していきたいと思います。

063 この事件はガンを患う人々の弱みにつけ込んだ、極めて卑劣なものであると思った。また、日本のがん治療、それにとどまらずにほんの医学界のあり方について疑問を投げかけるものであろう。そして医学を取り巻くメディア(インターネット含む)にも問題があると見ることができる。ここ数年の間、“医療エキスパートの最先端技術”といったようなTV番組(特番が多いですかね)をしばしば見かける。その内容は、そういった最先端技術によって命を取り留めた患者の涙の物語的なものになっている。また医療界を舞台としたドラマも多い。我々一般人は、何となく“日本の医療は凄いんだ”という思い込みが強いと思う。医学は進んでいるんだという神話的なものが形成されているのではないか。そういった日本人の意識も、この事件の一因となっているのかとも思った。

064● 今まで、授業で薬害について聞いたことはあったが、イレッサのことは今回初めて知った。単に私が無知であったということもあるだろうが、この薬について知らない人はたくさんいるだろうと思う。もし、そのような人の中に抗がん剤を探している人がいて、インターネットの掲示板等でイレッサを見つけたら、「副作用が少ない」「治った!!!」などという誇張表現・広告にひかれ、投与を希望することがあるのではないだろうか。がんを治したいと必死になっている患者にとって、新薬の情報に頼ってしまうのは当然だ。だからこそ、厚生労働省や企業は、掲示板にまで目を張り巡らし、誤りを訂正すべきだ。情報を野放しにすることは、あってはならないことだ。責任を全て取るべきだとは思わないが、患者の訴えに対して、「本当に副作用が原因なのか」とか「結局は死ぬのだから…」とかと答えたり、被害状況を正確に把握していなかったりというのは、あまりにも非情・無責任ではないだろうか。また、がん難民の話はひどすぎると思った。治る見込みのない患者は退院させ、病院の中での死亡者を減らす…これは単に病院の社会的な評判や利益のみを考えただけではないのだろうか。医療事故の隠ぺいでも言えることだが、医療は「健康を守る」という本来の目的からそれていると感じる。言い訳をすることよりも、お金儲けをすることよりも、何をすべきなのかということを考えなければいけないと思った。

065● イレッサという薬の名前を初めて聞きました。ガンになれば、ほとんどの場合、死に至ってしまうというイメージが一般的だと思われるが、「延命効果がある」「副作用がない」といったうたい文句で、薬をすすめられれば、どんなに高い値段でも、飛びついてしまうだろうなと思った。確かに、この薬は需要も高そうだし、経済的利益も高いだろうと思うが、一番必要なのは人間の命だと思うし、利益よりも人権の方が大切であると思う。人間が生きる権利を人権とするならば、製薬会社はその権利を逆手にとって、よく調査もしないで高い薬を売りつけて利益を得ようとしているように見える。人権を守るふりをして人権を侵害しているようにみえる。薬害という問題について今まではほとんど知識がなかったので、これをきっかけに色々勉強してみたいと思った。娘さんが亡くなった今でも、原告として、他のがん患者のために、活動をしている近澤さんはすごいと思った。がんは特効薬もなく、死にとても近い病気かもしれないが、患者の生きていたいという思いに対して、できる限りの努力をしていくことが究極の「人権を守る」という行為だと思った。

066● 薬害イレッサの問題は副作用をしっかり調べて提示しなかった薬品会社、データによる裏づけがないままに承認してしまった厚生省だけの問題だけでなく、現在の日本の医療体制、情報が混雑している社会の問題でもあることが分かった。本来は信用すべき政府、医師への不信感をもたらしたと思う。このような社会の側面を指摘するためにもこの訴訟の意義はあると思った。私は生命倫理の問題に興味があるので、近澤さんが最後に述べられた安楽死の問題について考えさせられた。問題視されて、議論の余地がまだあり、反対意見の多い安楽死が現実に行われ、政府機関の例として挙げられているのは問題だと思った。

067● まず、消費者の一人として、「夢の新薬」「副作用なし」という言葉に対してもっと不信感を持たなくてはならないと感じました。医療を魔法か何かのように世間が捉える事で、医者や製薬会社にとってプレッシャーになったり、奇妙な優越感のようなものを与えてしまう可能性はあるでしょう。患者側がつい「夢の新薬」という言葉にひかれてしまうように、医療サイドも人間なのだということを忘れると、痛い目を見るのは自分だと思います。けれども、このイレッサという薬では、そもそも情報が隠ぺいされています。これでは消費者が製品について正しい知識を得ることが出来ないと思います。しかも有効性がないとわかったのに、こんな薬が承認される事自体がありえない事です。承認申請後6ヵ月後に承認されたとの事ですが、6ヶ月の間何を審議していたのか疑問です。

068● 私にとって薬は「安心」でした。私は毎日薬を飲まなければならないという状況にいて、重大な病気などではないのですが、薬を飲むことで、体が他の人と同じ様に活動してくれるので、とても安心します。この薬が、自分にとって毒となってしまったら、信じているものが自分を苦しめる、死に追いやってしまうモノになってしまったらと思うとこわくてしかたありません。今日の講演を聞いて、絶対に、日本中が考えていかなければならないことだと深く思いました。近澤さんの思いが、とても私の心を動かしました。最後の問いかけを、私も私なりに考えていきたいと思います。私にとって薬は「安心」できるものであってほしいと願うからです。

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